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月の依る辺に

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俺の反応で不安になったのか、上目遣いでこっちを見る様はとてつもなく可愛かった。
呆けた頭に喝をいれて、言葉を紡ごうとしたら、
「さて、互いに興味を持ったようなので、話を進めましょう。」
鳴澤さんに言葉を盗られた。…タイミング良すぎだろ。
そんな俺の恨みがましい視線を気にもせず、
「まず紹介しましょう。彼女は白澄明菜さん。君と同学年の三年生です。クラスが違うから、顔見知りではないようですね。」
いつも通り優しく微笑みながら話を始める。
「先日、彼女から相談を受けました。どうやら、最近になって記憶が飛ぶ回数が増えているらしいんです。それで不安なのでどうにかならないか、ということです。」
また、妙な言い方をするもんだ。
だが、そんなもの俺にはどうしようもないし、なにより俺一切関係ない。
「病院にはいったんですか?脳外科とか。」
当たり前なことを訊いてみる。
「もちろん、知りあいの優秀な人を紹介しました。君もよく知っている人ですよ。」
当然のように、鳴澤さんも答える。
しかし、俺と鳴澤さんの共通の知人って―
「…あぁ、あの人か。」
溜息混じりに小さく呟く。
なるほど、それで俺に話が来たわけね。大体話の筋が読めたわ。
「えぇ、その人です。で、調べてもらいましたが、彼女は身体的には極めて健康なんだそうで、記憶障害をきたすような怪我や病気はないそうです。そうなると、消去法として、精神的な問題ということになるわけですが、それなら自分より優れている奴がいる、と彼女に君を紹介したそうです。」
どうやら推測通り、あの面倒くさがりな俺の主治医が、あろうことか、患者に患者を押しつけやがったようだ。ちゃんと仕事しろよ、全く。
「それで?具体的に俺は何をしたらいいんですか?彼女の身辺調査ですか?」
半ば自棄になりながら、わかりきった質問をする。
返ってくる答えは当然、
「無論、彼女を“視て”もらいたいんですよ、君にね。」
もっとも面倒なものだった。
…今度あの人にあったら、あんたの給料半分よこせ、と言ってやろう。それ位貰っても罰あたらないだろ、これは。
そんなことを考えて、はぁ、と深い溜息を付く。
それでもやるあたり、俺も相当お人好しだな、と改めて認識する。
「ふぅっ、それじゃ、さっさとやりますか。」
言いながら中腰になり、彼女と顔を近づける。…ようとしたんだが、反射的に彼女が顔を引いた。
「あの、なにするの?」
驚いた感じで少し妙な疑問が飛んできた。なので、こっちも首を傾げながら、
「何って、あんたの中を覗くんだけど。…あれ、もしかして何するか聴いてない?」
躊躇いながら、首を縦に振る。
と同時に俺は鳴澤さんに視線を送る。なんか少し笑ってないか、あれ。
「どういうことっすか、先生。先に説明したんじゃないんすか?」
まっすぐ立って、鳴澤さんの方に体を向ける。
「いえ、特には何も。君がすると思っていたので。いきなり顔近付けたときはびっくりしましたけどね。」
ふふっ、と顔に手を当て、笑いを噛み殺している。…お互い様なんで、何も言えない。
「それに説明したところで、多分彼女にはわかりませんよ。君の眼のことを理解する必要もありませんからね。ただ、原因とその解決法がわかればいいんです。」
…ふむ、それもそうか。俺も彼女に理解してもらう気はない。
なら、と改めて彼女の方へ向き直る。
一応簡単な説明だけしておこう。
「白澄、だったか。これからあんたの“中”を視る。けど、あんたは何もしなくていい。リラックスして、俺と目を合わせてれば、すぐに終わる。」
「へっ?中って、どういうこと?中を見るって…」
「それについては詳しく説明しても時間の無駄だし、別に俺の言うことを信じなくてもいい。ただあんたの精神を視る、と考えてくれればいいさ。」
「…わたしの精神って、わたしの心を見るってこと?」
「似たようなもんだが、違う。でも安心しろ。記憶とか、具体的なあんたのプライバシーにはなんら関与しないから。」
そう言って、顔を近づける。まだ何か訊きたそうだったが、彼女は口を閉じてこっちを見つめてくれた。
…しっかし綺麗な顔してんなぁ、なんか緊張してくるよ、こっちが。
だが、いかんせん腰が痛いから、いいかげんやりますか。
…静かに目を閉じる。
自身に転換の暗示を掛け、クーペのレンズのように、自身の眼を切り換える。
視る世界の方向を反転させ、瞼をゆっくりあげる。
一転、世界は色を失った――

「ふぅ、もういいぞ。お疲れ。」
目を押さえながら、直立する。ぎっくり腰になりそうだ。
「…もういいの?すごく短かったけど。」
少し不満の籠った台詞に、背を向けながら手を振って返事をする。
相変わらず、慣れはしたが気味が悪い。周りにあるもの全てに嫌悪感がしてくる。
本当にストレスが溜まってしょうがない。が、他人に当たってもしょうもないから生返事を返すだけになる。
まぁ、彼女が不思議に思うのも無理はない。なんせあんだけ思わせぶりな話をしといて、実際やってみればなんのこともない、ただ一、二秒目を合わせただけなんだから。
だが、こっちはその数秒がものすごく苦痛であるわけ。だからなんか無性にやってらんない気分になる。
そんな心情を察したのかはわからないが、お疲れ様です、と鳴澤さんがお茶をいれてくれた。
「それで、どうでした?彼女は。」
休む暇なく直球。本当に油断ならないな、この人は。
「どうもも何も、健全この上ないって感じでしたよ。今の白澄自身にはなんら変なものは見当たりませんでしたから。」
腰を捻りながら返答。小気味よく、ぽきっ、っと鳴ってなんかすっきりした。
「そうですか。そうすると何が原因かは、今の状態では解らない、ということですね。」
手にあるマグカップの中を見ながら少し残念そうに言う。
確かに彼女の精神に異常はなかった。けど、気になることがある。
俺は正直、それを今言うべきか悩んでいる。
ふと、悩みながら視線を泳がせていると、
「…あの、すいません。」
と、困惑を浮かべながらも律儀に手を挙げて質問しようとしてる彼女と目が合った。
「ん、どうした?」
「いや、二人で会話が完結してたから、私訳わかんなくて。私のことで話してるのに、私がわからないってなんか気持ち悪くてさ。」
確かに張本人を置いていくのは良くないな。なにより、これは彼女にしか関係のないことだし。
「そうだな、んじゃあ結論以外簡単に説明しよう。まず、俺の眼についてだが、最初に言ったとおり俺の眼はあんたの精神が視える。というか通常人には視えない角度で、俺は色んなものを視ることができる。これは理解しなくても信用しなくてもいい。ただ、そういうものだと思って、話を訊いてくれ。」
訝しげだったが、彼女は静かに頷いた。それを確認して、続きを話す。
作品名:月の依る辺に 作家名:高崎 彰悟