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Largo 〜ゆるやかに〜

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 輔は慌てて廊下に飛び出し、貢平を探し回った。
 途中、永野とすれ違い
「お疲れ様でした」
と、通り過ぎようとしたが、
「そんなに慌ててどうした?」
と呼び止められた。
咄嗟に「なんでもありません」と言い繕う。
 が、永野が、
「あぁ、そうそう。藤代君から伝言預かってる」
と言い出したので
「え?」
 輔は驚いた。

「さっき、彼の師匠のレオ・コパル教授が交通事故にあった、と国際電話があったらしい。急いでむこうに戻るから、最後まで演奏会を聴けないけどすみません、と言っていた」
「交通事故…」
「教授が事故、ってことは、例のカルテットはどうなるんだろうね。あ、カルテットのことは藤代君から聞いてる?」
 なにもかも初耳の事ばかりで、輔は脳内の整理が追いつかない。
「いえ、何も」
「あ、そうなの?藤代君、君をヴィオラに誘いたがってたみたいだけど」
 一体、何の話なんだ?
「あの、カルテットって何のことですか?」
 永野が、輔の顔を見て、本腰を入れて説明する態勢にはいった。
「僕も、昨日夕飯を食いながら、ちらっと聞いただけなんだけどね」

 教授の演奏活動三十周年記念で、一年だけの期間限定カルテットを組む、という企画があるらしい。ファーストヴァイオリンは教授で、セカンドヴァイオリンが藤代君。ヴィオラとチェロはオーディションで選ぶ予定だそうだ。
 教授には、推薦したいヴィオリストがいるから、今回の帰国で話をしてくる、と言ってきたらしい。
 でも、自分がお膳立てした、って聞いたらきっと君はオーディション受けないだろうから、僕から話してもらえませんか、って、さっきも言われた。君を引き抜かれたら困るから、って断ったけどね。
 だけど、彼は、どうしても君のヴィオラの音が欲しいようだね。昨日、今日、と君の音を聴いて、やっぱり欲しいと思ったそうだ。
 今日の演奏会でも、コンチェルトの一楽章、ヴァイオリンソロとヴィオラだけで動くところあるでしょ?あそこ、雨宮君の音聴いてたら安心して弾けるんだって。

それから、思い出したように、永野が言葉を続ける。

 あぁ、それから、こんなことも言っていた。
『ヴィオラなんてヴァイオリンを諦めたヤツの集まりだ、って、先輩よく言ってるけど、本当はヴィオラを好きで弾いてることを自覚してほしいと思います。あんなに愛おしそうな表情して弾いてるくせに。俺は雨宮先輩がヴィオラに転向して、本当に良かったって思ってます』だって。

「じゃ、伝えたよ。どうするかはゆっくり考えて、で結論出したら教えてね。お疲れ様」
 永野は、そう言って歩き出した。

 輔は、今、永野から伝えられた言葉をゆっくり反芻する。

 一緒にいるための努力を、今、俺がすれば、一緒にいることができるのか…?
 そのチャンスを、貢平が作ってくれたのか?

 ふと、廊下の向こう側に、山下の顔を見つけた。
 素直になれば。
 山下の表情は、やっぱりそう言っているように見えた。

 ***

 一ヶ月後。
 貢平の通う音楽院で、コパル教授のカルテットのオーディションが行われることになった。
 募集されるのは、ヴィオラとチェロ。
 貢平は、そのカルテットのセカンドヴァイオリン奏者として、オーディションに立ち会うことになっていた。

 コパル教授の怪我は、軽くはなかったが、後遺症の残るものでもなかった。楽器を弾くのには問題が無さそうで、皆ほっとしたのだった。
 貢平が演奏会の後すぐに呼び戻されたのは、貢平がこのカルテットの企画に深く関わっていたためで、呼び戻されたあとの貢平は病院のベッドで動けない教授に代わって、いろいろな事務や雑務をこなしていたのだった。

 あの演奏会のあと、何度か輔に連絡をとろうとしたが、結局一度も連絡がとれなかった。
 輔の実家にも電話してみたが、しばらく練習に集中したいから、と単身赴任中の父親の所に泊り込んでいるそうで、家に帰っていないのだという。

 輔の母は、貢平のことを覚えていた。
 輔と一緒に学生生活を送ったのは一年足らずだったが、輔は貢平の下宿に入り浸っていたし、輔の母は、その度に輔に自炊の足しになるような差し入れを持たせた。

 立派になって、おばさんも嬉しいわ、と喜んでくれた。
 この間の演奏会、とても評判が良かったそうじゃない?また、演奏会に出る時はおばさんにも教えてね、と。

 結局、オーディションのことは輔に伝えられないままだった。


作品名:Largo 〜ゆるやかに〜 作家名:萌木