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Largo 〜ゆるやかに〜

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 その日、貢平は永野と打ち合わせを兼ねて軽く食事した。少し酒も飲んだが、早々にホテルに戻った。
 輔に手紙を書いた時点で、振られたらきっぱりと諦めようとは決心していた。だが、はっきりとした拒絶も無いまま、輔は山下と二人で食事に行った。すべてにおいて、嫌なら嫌といっそ清々しいほどはっきり切って捨てるあの輔が。
 そして二人は『いつものところ』に行った…

 すっきりしない気持ちを引きずりながら、しかし、明日の本番にはこの気持ちを引きずることのないよう、気を引き締める。
 ホテルに戻る道で、日本に帰ってきた日に輔宛ての手紙を投函したポストを、ふと視界の隅に捉えた。
 何の気もなしに通り過ぎて、だが、何か違和感を感じてポストの前にもどる。
 ポストには張り紙がされていた。

 『先日、当ポストに食べ残しの入った弁当箱が入れられ、投函された手紙が汚損されました。当ポストをご利用の皆様には、大変ご迷惑をおかけして申し訳ございません。
 再発防止に務めてまいりますが、重要な手紙などは、コンビニ等、有人のポストを利用されることをお勧めいたします。』

 何だ、これ?
 どういうことだ?
 ほろ酔い気分が、一気に醒めた。
 ひょっとして、先輩あての手紙も、被害にあった?
 だから、返事がなかった?

 いや、たとえ俺の手紙が先輩に届いていないとしても、リハーサル後の先輩の態度がすべてだろ?
 三年前には俺には向けられることがなかったあの笑顔で、先輩は俺を見たんだから…

 いや、でも、もしかして…

「あー、もう、駄目だ!」

 ぐだぐだ考えるのは性に合わない。
 それに、こんな不安定な気持ちでは、明日の演奏に差し障る。

 貢平は携帯を取り出した。
 先輩が手紙を読んでくれたのかどうか、それだけ確かめよう。
 そう決心して。

 ***

 輔は、食事のあと、
「送っていくから」
と言われ、山下の車に乗り込んだ。
 泊まっていけば?と誘われたが、
「明日、本番ですからやめておきます」
と断った。
 山下とは後腐れのない、割り切った関係を続けている。

 だが、山下は
「彼なんでしょ、雨宮が忘れられない男って」
 信号待ちしながら、そんなことを言い出した。
「山下さん、なにを…」
「明日の本番は彼の晴れ舞台だもんね。失敗できないよね」
 そう言って輔を見やり、ニヤリと笑う。
「雨宮があんなに必死になって弾いてるとこ、初めて見た」
 輔の、普段のポーカーフェイスが崩れ去る。
「君にそんな表情(かお)させられるヤツなんて、そうそういないよね」

 信号が青に変わった。
 車を発信させながら、さらに追い打ちをかける。
「彼も、君のこと気にしていたみたいじゃない」
 輔は、ただ黙って山下の言葉を聞いている。
 
「…何を気にしているの?俺たちはゲイであることがマイナス評価につながるような世界に生きていないよ?良い演奏ができれば、それがすべてだ。しかも、彼にはそれができる実力がある。…むしろ、君の方が彼に相応しくなるために努力しないといけないくらいじゃないの?」

 輔が、ふと微笑った。
「山下さん、容赦ないなあ」
「素直になればいいのに、って言ってるだけだけど?」
 山下はさらに畳み掛けるように言う。
 輔は、力なく微笑んだままぽつりとこぼした。
「…俺はもともとバイだからいいんです。でも、あいつは、俺が引っ張り込んだようなものだから…」
 山下は、一瞬、意外そうな顔をした。
「雨宮って、意外に純情なんだね、可愛いなあ。彼に渡すの勿体無いなあ。でも…」
 そこで、いたずらっぽく笑う。
「俺には、自分が引っ張りこんだ、なんて気は遣ってくれないんだね」
 輔は呆気にとられ、そして笑う。
「何言ってるんですか、山下さんだってもともとバイじゃないですか。それに、俺よりずっと人生の先輩のくせに」

 その時、輔の携帯が鳴った。
 ポケットから携帯を取りだす。
 発信者の番号が表示されている。
 …この番号は。
 輔は、電話に出ることを躊躇した。
 忘れようとしたけれど、忘れられなかった貢平の番号。
「…出ないの?」
 呼び出し音が鳴り続ける。
「彼なんでしょ?」
 それでも輔は動かない。
 痺れを切らしたように、山下は急にハンドルを切って車を路肩に停めると、輔から携帯を取り上げた。
 表示された着信画面の応答ボタンを押す。
「はい、雨宮輔の携帯です。藤代くん?」


作品名:Largo 〜ゆるやかに〜 作家名:萌木