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DEAD TOWN

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 もやもやする心を引きずりながら、柊は歩いていた。小高い山を目指して。
 振り払っても、振り払っても残る残像。それは、どんなに歩いても歩いても消えることはなかった。いや、それよりももっと鮮明に蘇る。こうして目を閉じれば、走馬灯のように色鮮やかに浮かび上がってくる。良いことも悪いことも、ジェイクもエリナという小娘のことも、そしてこの街。異色であるこの街のあらゆる全てのことを。
 柊は朝の匂いがする空気を胸いっぱいに吸い、軽く息を吐いた。一睡もしていない頭なのに、何故か冴えわたっている。朝靄が立ち込めるこんな朝でも爽快に感じてしまうのはどうしてなのだろう。今まで味わったことのない経験をしたから、まだ混乱をしているのだろうか。
 気だるい躰。なのに、フワフワとしていた。もしかしたら、自分は歩いてではなく鳥のように羽ばたいてここまで来たのだろうか。実際にあり得ないことなのに、一度そう思ったらなんとなくそう思えてきてしまうのは、やはりあの疑似世界がもたらす錯覚にすぎない夢(ゆめ)幻(まぼろし)が原因なのだろう。だから、今は何が起きても驚かないだろう。天と地がひっくり返っても、朝と夜が逆転しても、そして自分がもう既に死んでいると告げられたとしてもだ。もし自分が、今ここで人生を終えろと言われても、たぶんそれに従うだろう。もう何も思い残すことはないし、それに元の世界に戻っても廃人同然の生活を送っていたのだし。いてもいなくてもいい存在。そんな自分が、たった一日だけれど楽しい一時を味わってしまった。久しぶりにひとりの人間として扱われ、温かな肌に触れられたことに自分は喜びを知ってしまったのだから、この世界が危険だと言われても、あともう少しだけ―――。そう思うことは贅沢なのだろうか。
 柊はつまらない世界に身を置き、そして安定が一番だと考えてきた。それが幸せであり、幸せなのだと思い込んできたのである。何もないことが安定。何もなさすぎることの安心。刺激はいらない。平凡で、平坦で、平穏な生活。朝起きて、仕事をして、腹が減ったらそれを満たして、そしてまた寝る。そんな単調な生活が永遠に続くのだと思っていた。女だって、いなきゃいないで別に困ることはない。性欲だって若いころと違って格段に落ちている。欲という欲が、今の自分にはほとんどないらしい。枯れてしまった、といってもいい。一人でいることに慣れすぎたのかもしれない。
 柊は、もう一度浅く息を吐いた。そして、空を眺めた。けれど、朝靄が邪魔をして真っ白だった。柊は時間を確認する。高級な時計が嫌味たらしくキラッと光った。まるで、お前には相応しくない持ち物だ、というかのように。
 午前3時半。このままいけば、あと10分ほどで辿り着くだろう。指定された場所に。道さえ迷わなければの話だが。夏の朝は早い。小鳥たちの囀(さえず)りが騒々しかった。視界は相変わらず悪かったけれど、薄らと山らしきものが見えてきた。たぶん、あの小さな山らしき丘が人山という山なのだろう。柊は更に早足で歩いた。
 小高い山を登り切った頃には、朝靄は消えていた。けれど、麓(ふもと)を見ると何故か真っ白に覆われ街を見渡すことが出来なかった。柊は、それが少々淋しく思った。もう二度と見ることのない街。もう二度と来ることのない街。だから、最後に一目だけ見ておきたかった。なのに、それを拒絶するかのようにそれは姿を現さなかった。今の自分は単なる裏切り者でしかないのだろう。それでも柊は帰りたい場所がある。それがどんなにつまらない世界でも。やっぱり帰りたい。元の世界に。あの場所に。
 意を決するように、柊はこれから全速力で駆け抜けていかなければならない獣道に目をやった。午前4時まではまだまだ時間がある。でも、このままここにいれば帰りたくない衝動が自分に襲い掛かるかもしれない。なのに、一歩が出ない。緩やかな下り坂だから、この一歩が出れば後は重力に逆らうことなく行けばいい。下へ下へ下へと下って行けばいい。何も考えずに、行けばいい。行けばいい。行けば―――。
「どうしたの?早く行きなさいよ」
 背後から声がして、柊は荒くした息を潜めた。そして、ゆっくり振り向いた。そこにいたのは、あの小生意気な女だった。腕を組み、相変わらず不機嫌な顔をしている。
「あぁ、言われなくても行くよ」
「なら、さっさと行きなさいよ。言っておくけど、全速力で走るのよ。途中で転んだりしないでね。もう歳で、足腰が弱っているかもしれないけど」
 そう言って、エリナはニヤリと笑った。
「ふん。最後まで小生意気で可愛げのない女だったな。お前」
「そう?最後に褒めてくれて、アリガト」
「褒めてなんかいないぞ。これは、嫌味だ。っていうか、お前にはそんな嫌味も通じないのか?」
「だから?何が言いたいの?くだらない」
 く、くだらない???お前なぁ〜!!!と言いそうになるのを、柊はグッと堪えた。こんな時にケンカなどしたくない。もうこの不機嫌な顔を見るのももう最後なのだから。そう自分に言い聞かせ、柊は我慢をした。
「お、お前は、なんでここにいる。もしかして、俺を見送るためか?それとも、俺がいなくなるから淋しくなったのか?」
「そうよ」
「えっ……?な、何?今、なんて?」
 エリナのまさかの返答に、柊は優越感を帯びる。やはり、同じ人種。最後の最後に分かり合える時が来たなんて。柊は上気する躰で、エリナに近づいた。目の前にいる女を力いっぱい抱き締めたくなったのだ。
「stop!!!」と言ったと同時に、エリナは銃口を柊に向けた。
 柊は歩みを止め、無意識に両手を上げた。危機的状況に陥った時、人は学習能力が高くなる。無意識的に、自分の身を守る手段を勉強するのだから。
「バカじゃないの?冗談に決まってるでしょ?」
 ううぅ……。やっぱりか。柊は、小娘の言葉をまんまと信じてしまった愚かな自分を恥じた。
 柊が降伏したことを確認してから、エリナは銃をしまった。
「お墓参りに来ただけ。だから、勘違いしないで」
 そう言って、エリナは柊から視線を外し、遠くにある街を見つめた。
 いつも感じる、エリナから漂う哀愁。それはどこから来るのか、柊は見つけ出したかった。いや、本当はもう知っていた。知っているはずなのに、でもそれに触れていいのか分からずただただ分からないふりをしてきた。この目の前にいる女は、たぶん過去に戻りたがっている。そのことを分かっていながら、自分はこのまま消えてしまっていいのだろうか。過去の思い出だけを糧とし、そして今を生きる女、エリナ。いや、もしかしたら今を生きてなどいない。いつも遠い過去を見つめている。瞳(め)が、心が、躰が、今を生きようとしていない。生命の輝きがない。魂が死んでしまったかのようだ。あの、墓とは名ばかりの粗雑に作られた古びた棒切れで出来た十字架のように、やっとこの場所に立っているようだ。そんな女を残して、自分は元の世界に戻ってもいいのだろうか。自分は後悔しないのだろうか。
「どうしたのよ。早く行きなさいよ」
 エリナは柊を一瞥してから、粗雑に作られた十字架の前にしゃがんだ。墓前には、生前故人が好きだったのかウイスキーのボトルと色とりどりの花束が置いてあった。
作品名:DEAD TOWN 作家名:ミホ