ジュラ外伝
これまで事務的な対応をしていた衛兵に、初めて戸惑いの表情が浮かんだ。衛兵は隣の同僚の様子を窺ったが、彼もまた、目前の人物の予想外の行動に戸惑っているようであった。衛兵は若干の警戒心を抱きつつ、女性に向かって言い放った。
「あんたも公僕なら、議事堂に関する規則は知っているだろう? 例外は認められない。このまま帰るんだな」
その口調は最初は強く、しかし最後に向かうにつれてだんだんと弱くなっていった。というのも、その間イリーの瞳は固い意志とともにまっすぐと彼の瞳をとらえたままで、その圧力に気圧されたからであった。衛兵はここにきて初めて戦慄を覚えた。いったい、目の前の人物はなぜこんなにも自信にあふれた態度をとれるのであろうか。規則が絶対、というわけでは必ずしもないことは衛兵も先刻承知している。時には柔軟な対応を求められることも、一度や二度ではない。がしかし、少なくとも一公務員の立場で会期中の議事堂内に立ち入ることは重大なルール違反であり、ただでは済まないことは容易に予想できた。また、そのような事態を許してしまえば、衛兵自身の管理責任が厳しく問われ、それなりの処罰を受けることになるのは確実だった。
衛兵は、変わらずじっと彼の瞳を覗き込むようにしているイリーに対し、威嚇するように手にした槍を突きつけると、警告を発した。
「とにかく、いかなる事情であれ、今現在の議事堂内に立ち入ることは許されない。早々に立ち去られよ」
衛兵の手にする槍は一見、儀礼用の装飾品に見えるものの、その実先端には高出力の光線銃が内蔵されている。さらに、矢尻から絵の部部分にかけては電磁コーティングが施されており、刺すことや薙ぎ払うことでも相手にダメージを与えることができる、実戦向けの万能の武器であった。
しかし、イリーに向けられたその武器はいまだ機能を有効化されておらず、単に威圧の目的で使われていることは明白だった。
イリーの瞳が揺れ、一瞬、表情が柔らかくなったように見えた。むろん、イリーとてこの程度の問答で議事堂内へ立ち入れるほど、規則が甘いものではないことはわかっている。また逆に、この程度のことで会期中の議事堂内へ立ち入りを許すようでは、衛兵として失格だとも思う。にもかかわらず、あくまでも形式にこだわったのは、公務員としての義務を果たすため、そして、これから起こりうる出来事に対し、最大限の責任をイリー自身が取ろうという意志の現れであった。
「さすがですね」
衛兵には聞こえないほどの小声で、イリーがつぶやく。しかし、次の瞬間イリーは顔を引き締め、凛とした声で言い放った。
「ここで問答をしていても埒があきません。申し訳ないが、押し通らせていただく」
瞬間、二人の衛兵の間にさっと緊張が走った。同時に、これまで鈍い色を放っていた槍の先端が、ぼうっと蒼く輝き出す。いまやその武器は待機状態から解放され、武器としての機能を解放されたことは、誰の目にも明らかだった。
「貴官を危険因子と判断する。今すぐ立ち去られよ。さもなければ」
言葉に続き、イリーの頬をかすめるように、青白い閃光が宙に向かって放たれた。斜線上の髪の毛が瞬時に蒸発し、あたりに紙の焼け焦げる臭いが立ちこめる。威嚇射撃というには身に近すぎるその斜線は、なかば命中させることを目的としているように思えた。しかし、この威嚇にもイリーは微動することなく落ち着き払っているかに見えた。彼女はただじっと、衛兵たちの手元を見つめ、次の行動を予測することに全神経を集中した。
威嚇射撃が効果をもたらさなかったことを悟った衛兵は、いよいよイリー本人を攻撃すべく、斜線の軸先を彼女の足下へと向けた。同時に、もう一方の衛兵は槍を横向きに構え、薙ぎ払う体制に入った。
発砲する方がわずかに早いと判断したイリーは、すっと身をかがめると間髪入れず、片足を繰り出して身に向けられている槍の先端を蹴り飛ばす。同時に、懐から電磁ナイフを取り出すと、自らに迫ってくる槍の柄を受け止めた。狙いのはずれたブラスターの熱戦は足下の階段をえぐり取り、薙ぎ払われた槍は、イリーの横腹をあわや一閃する直前で、電磁ナイフに受け止められて青白い火花を散らしている。それは、熟練者同士が稽古を行っているかのような、一瞬の間の出来事だった。鍛えられた衛兵は、しかし動揺することなくすぐに次の動作に移っていた。銃口をそらされた衛兵はそのまま槍の柄を覆う電磁コーティングを展開している。おそらく、そのまま下からすくい上げるようにイリーの切り裂く目的だろう。方や、受け止められた槍の電磁コーティングを無効化しながら手前に引き、今度は銃口でイリーのことを狙っていた。
先ほど、槍の先端を蹴り飛ばしたイリーの足はまだ元の位置に戻りきっておらず、体制はやや崩れた格好となっていた。このままでは二方向からの攻撃に対処できない、瞬時にそう判断したイリーは、体をさらに縮めると、地に着いた片足で思い切り前方へ高く跳躍した。耳元を、ヴォンという音とともに衛兵が振り上げた槍がかすめる。電磁コーティング特有の、肌をちりちりと焼くような感覚が、イリーの側頭部を襲ったものの、どうやら直撃は免れたらしい。いっぽう、地を蹴ったまま伸びきっていた足は、脛のあたりに鋭い痛みが走った。おそらく、ブラスターの閃光が直撃したか、かすめるかしたのであろう。イリーは空中でややバランスを崩したものの、それでも衛兵の頭上でかろうじて一回転し、その背後に着地することに成功した。再度、片足に焼けるような感覚が走ったが、バランスを崩して転んだりしなかったところを見ると、どうやら足そのものは無事につながっているらしい。
それだけわかれば、十分だった。イリーは振り向きざまに、とっさの出来事に対応しきれていない衛兵たちの足を薙ぎ払った。たまらずもんどり打って倒れた二人の首筋を、すかさず出力を最小に絞った電磁ナイフの刃の背で続けざまにたたきつけた。悲鳴を上げる暇もなく、二人はその場で失神した。
衛兵が意識を失ったのを確かめると、イリーはその場にかがんで足の様子を確認した。ブラスターの熱線はパンツの裾とストッキングを溶かし、脛の一部を黒く焦がしていた。その跡から察するに、おそらく表皮だけでなく真皮まで火傷は達しているはずだ。しかし、いまはその程度のことで音を上げていられない。イリーは衛兵の槍を一本手に取り、それを杖代わりに歯を食いしばって立ち上がると、一つ大きく深呼吸してから正面の扉を手前に引いた。ごとり、と鈍い音を立てて左右に開いていく扉。その隙間が頃合いになったのを見計らって、イリーは大きく槍を振りかぶって室内へと投げ込んだ。続いて、ほんの一呼吸置いてわずかに左右の間が広がった隙間から、今度は電磁ナイフを投擲したのだった。