ジュラ外伝
「わかりました。そういうことなら、アルザード家の駐機場を使用して構いません。しかしくれぐれも、貴族さん方の苦情については覚悟しておいてくださいよ」
「ご協力、感謝します」
イリーはインカムを外すと、機長に向かって声をかけた。
「そういうわけですので、ノーブルに直接つけてください」
「了解。ノーブルへ向かいます」
機長は復唱すると、機体を王都へ向けて降下させ始めたのだった。
すでに連絡を受けていたとはいえ、ノーブルに一般の機体が着陸するという前代未聞の自体に空港関係者は戸惑いを隠せなかった。それでも体は忠実に仕事をこなし、シャトルの着陸作業は順調に進んでいった。やがてパッセンジャーボーディング・ブリッジが接続され、扉が開くと中から足早にイリーが出てきて、近くにいた係官に声をかけた。
「議事堂まで行きたいのですが、移動手段はありますか?」
「ここからだと、公共の交通手段はありません。ビーグルをご利用なさいますか?」
珍客の到来に戸惑いながらも、係官はイリーの問いに答えた。ノーブルの連絡港を常用している貴族たちは独自の移動手段を持っているため、貴族階級の人々が行動する範囲内には、あえて公共の交通機関は設けられていない。このため、ビーグルすなわちタクシーを利用してはどうかと係官は提案したのだった。ちなみに、空港で働く人たちのため、市民階級の居住地と港との間には定期便が運行されている。いったん市街地へ出てから議事堂へ乗り継ぐという手段もあるにはあったが、あえてノーブルへの着陸を強行したことからも寸暇を惜しんでいることは明らかで、係官もそのような方法を薦めたりはしなかった。
イリーは少し考えたうえ、その提案を却下した。
「いえ。できれば手空きの方に議事堂まで送っていただきたいのですが」
ビーグルを呼ぶことすら時間が惜しい、イリーならではの提案だった。係官は数瞬、思案して返事をした。
「そうですね。何人か手は空いているので可能だと思います。確認してみますので、少々お待ちください」
イリーは手近な壁に背を預けると、ふうとため息をついた。ここまでは、比較的順調にこれた。しかし、問題はこれからである。上級貴族と王族しか入ることを許されない議事堂に乗り込んで、開催中の議会を中断させてまで、これまでの経緯を説明しなければならない。当然、これまで以上に警備や認証が厳しくなり、一筋縄ではいかないだろう。しかし、イリーには何としても、それをやり届ける義務があった。いや本当は、イリーの上司である所長が行えばよいだけの話であったのだが、その所長の消息が知れない以上、イリーが率先して行動するよりほかになかったというのが本当のところだ。それでも、イリーは不満を外に出すことなく、淡々と自分の役目を果たしていた。
そうこうするうちに、手空きのものがイリーを議事堂まで送る準備が整い、港内の作業用ビーグルがイリーの前に横付けされた。本来ならばここでポーターが扉を開けるところであるが、正規のビーグルではないためそれはできない相談、また、イリーもそのような行為は求めていなかったため、さっさと自分で扉を開けると車内へと乗り込んだ。
「議事堂まででいいんですよね?」
運転手の言葉にイリーは軽くうなずいた。
「あんなところまで何しに行くんですか? 第一、いまは会期中で中には入れませんぜ」
「だからこそ、用事があるのです」
イリーの返答に怪訝な表情を見せた彼だったが、気を取り直すとビーグルを発進させた。急速に遠ざかる港を背に、イリーは深く座席に体を沈めたのだった。
さて、余談であるが、ノーブルの利用を強行したことについての顛末について触れておこう。実際のところ、懸念された貴族たちからの抗議は一件も入らなかった。自分らが利用している駐機場を占有されたのならばいざ知らず、他家の駐機場の様子などにいちいち関心を割くことがないという理由と、実際に港に詰めているのは使用人や一般の作業員たちだけなので、気づかなかったということである。
港から議事堂まで、ビーグルを飛ばしてわずか数分。イリーはじっと目をつぶり、つかの間の休息を満喫した。やがて現地に到着すると、彼女は運転手のその場で待っていようかとの問いかけにかぶりを振ると、議事堂の正面に降り立った。そのまま見据えた正面には少し長めの登り階段が続き、その頂上に議事堂の正面扉が控えている。ちなみにわざわざ苦労を要する階段のみを設置し、エスカレータの導入を固辞しているのは、伝統と格式を重んじてのことである。そんな雰囲気を体全体で感じ取るかのように深呼吸すると、イリーは階段への一歩を踏み出した。
議事堂の正面扉、その両脇には衛兵が控えている。彼らの目には、先ほどから不審な人物が映っていた。普段は公開されている議事堂も会期中は閉鎖され、一般の人は立ち入ることができない。このため、この時期に議事堂を訪れる人は皆無といってもよく、たまに正面まで乗り付けるビーグルは評議員御用達の特別仕様車と決まっている。それがいま、どう見てもごく普通の、というにはいささか薄汚れたビーグルが正面に停止して、中から降り立った人物が議事堂に向かって階段をまっすぐ登ってくる。その格好は評議員のそれではなく、一公務員のものだったが、会期中は公務員といえど一般人と同様、議事堂内に立ち入ることは許されないということは、その職に就いているものであれば誰でも知っているはずであった。なのにいま、その人物は迷うことなく議事堂の入り口を目指している。議会を妨害しに来た過激派ではないかという疑念も含め、衛兵の間に動揺が走った。
問題の人物、すなわちイリーが議事堂正面に到着すると同時に、衛兵たちは彼女の正面で手に持った槍を交差させた。
「会期中につき、議事堂は閉鎖しております。恐れ入りますが、お引き取り願います」
丁寧だが、いっさいの反論を受け付けない口調で衛兵の一人がいった。
「火急の用件です。規則は知っておりますが、議会の方々並びに国王陛下にお目通り願いたい」
イリーの口調はしかし、衛兵以上の威圧感を持っていた。その雰囲気に気圧され、思わず衛兵は何の用かと問い返しそうになる。が、すぐに自分の役目を思い出すと、彼はイリーに向けてやや強い口調で告げた。
「申し訳ありませんが、会期中は関係者以外の立ち入りは認められません。恐れ入りますがお引き取り願います」
おおかた、田舎から陳情にでも出てきた役人の一人だろう。たまに、こういう常識知らずの輩がいるので、気が抜けない。しかし、こういったイレギュラーな出来事により、ただ立っているだけの門番の仕事にいくばくかの変化が生じ、気分転換になることも事実であった。そういえば、改めてよく見れば目の前の人物は、少しきつそうな雰囲気はあるものの恐ろしく美人で、職務中でなければ思わず口説きたくなるような女性であった。そういえば、どうしてこの女性は立ち去らずに目の前にいるのだろう?
衛兵がそんなことを考え出した刹那、イリーの瞳が彼の瞳をまっすぐにとらえた。
「火急の用件、といったはずです。あなたが職務に忠実なことには敬意を払いますが、そこを通しなさい」
「は?」