ジュラ外伝
第一章 終わりの始まり
時間を少しさかのぼる。
王立第三研究所。数ある王立機関のうち、天体観測や分析など、宇宙研究を行っている機関である。宇宙という、時間的にも空間的にも広大なスケールの対象物を相手にしているため、ともすれば他の機関から見て、のんびりした施設に見られることが多い。ゆえに、よそからは羨みとやっかみをひっくるめて、こう呼ばれることが多い。「星見のお茶会」と。
その日、所内の空気は珍しく緊迫した雰囲気に包まれていた。通路を行き交う人も、普段と違って皆小走り気味であることからも、ただならぬ事態であることを伺わせる。果たして、その事象の震源地を追ってみると、「情報処理室」と札のかかった部屋へとたどり着く。
部屋の説明。ドーム状の形状、階段状のオペレータ席、中央の一段高い場所に、室長および代理の席。壁は出入り口以外は可変のスクリーンになっており、汎用的な情報を一元的に映し出す。個々のオペレータ専用の情報は、各席の端末上か個人の目の前の宙に投影される
開きっぱなしの扉からは、ひっきりなしに人が出入りしており、部屋の中からは時々怒号にも近い声が飛び交っているのが聞こえてくる。かと思えば、折しも、部屋へ入ろうとした若い研究員が逆に部屋から出てきた人と鉢合わせして、抱えた資料の山を床にぶちまけ、混乱によりいっそうの拍車をかけているといった案配だ。
そんな混乱気味の部屋の中央、周りより少し高い位置にある室長席では、室長代理のダ・イリーが席に着くことなく、努めて冷静に部下たちへ指示を出していた。
「イリー副長、観測室からの入電来ました!」
「副長、データの誤差修正、指示願います!」
「資料届きました! これより中央電算機に入力開始します」
「副長!」
「副長…!」
「副長……!」
若干二四歳にして室長代理に選ばれるほどの優秀な頭脳を持つイリーだが、部下たちから次々とあがってくる報告を逐次処理していくのは、骨の折れる仕事であった。
「観測室からのデータは三元確認を忘れずに!」
「誤差修正は一二マイナスの〇八で」
「電算機への入力、急いでください」
「!」
「…!」
「……!」
ひとしきり指示を出し終わったところで、イリーは傍らの通信士に確認をとる。
「室長との連絡は取れましたか?」
声をかけられた通信士はヘッドセットを軽く抑えながらイリーを振り返り、応えた。
「いえ、駄目です。まったく応答ありません」
「そのまま呼び出しを続けてください」
イリーはこめかみを押さえながら、改めて指示を出した。
どこの王立機関でもそうだが、上層部の人員は貴族たちで占められていることが多い。もちろん、熱心に仕事に取り組むものも多いのだが、中には単に名義を貸しているだけという認識で、ほとんど職場に顔を出さないものがいることもまた、事実であった。そしてここ、王立第三研究所は特にそういった「やる気のない」貴族たちが集まっていることで有名だった。それでも普段は、彼ら抜きでも業務に支障が出ることはないのだが、いま現在起こっている事象は行政府へ報告を行う必要性が確定的で、従ってたとえそれが形式的なものであれ、所長が立ち会うことは非常に重要な意味を持つのであった。
途切れることない部下への指示を続けながら、イリーは手元に室長のスケジュール表を呼び出してみる。が、そこにはむなしく「通常勤務」の文字が躍っているだけであった。室長室への直接連絡、館内放送による呼び出し、果ては部下を室長室に走らせてみたりもしたが、そのどれもが空振りに終わったことからも、室長が現在所内にいないことは歴然としていた。かろうじて出勤している何人かの上級幹部たちに話を聞いても、誰もその居場所を知らず、かくして先ほどから無意味とも思える呼び出しが繰り返されている。
イリーは、本日何度目になるかわからないため息を軽くついてから、斜め前のオペレータに指示を伝えた。
「現状までをまとめられますか?」
「はい。メインスクリーンに映しますか?」
「お願いします」
イリーは席に腰を落ち着け、じっとスクリーンに見入った。スクリーン、実際には空中に投影された映像であったが、そこにはこれまで表示されていた様々な情報がいったん隅に追いやられ、中央に岩塊の映像が表示された。
「遊星ハ・グーレ。三七八日前に確認されたときの様子です」
オペレータが、無感情な声で告げる。
「この時点で進行方向は黄道面に対してほぼ平行、秒速四〇〇〇〇エテにて進行中。本星系への影響は皆無と見られておりました」
続いて映像が切り替わり、再び遊星が映し出される。ただし、その角度は先ほどとは若干変わっていた。
「二二一日前。遊星ハ・グーレ、進路を黄道面に対して七八度に変更。本星系を横切る軌道に乗ったことが確認されました。なお、同時に速度を秒速一七〇〇〇〇エテに増速したことも確認されています」
「その後の調査で、遊星と黄道面の間にマイクロブラックホールの存在を確認。遊星はこの重力の影響を受け、方向を転換、同時に加速したことが判明しています」
オペレータの解説は続く。映像はさらに切り替わり、今度は中央に連星が投影された。
「二連の第五惑星、ソトカとウチモクです」
「一八八日前。ハ・グーレの軌道を詳細に計算したところ、黄道面通過時に二連惑星の至近距離を通過することが判明しました。この時点で最悪、惑星のどちらか一方に衝突する可能性も指摘されています」
連星の映像を表示したまま、オペレータの説明は続いた。
「八三日前、ハ・グーレの軌道がほぼ確定。今後不測の事態が起きない限り、連星ソトカと衝突することが確実となりました」
映像は、再びハ・グーレのものに切り替わる。
「五〇日前。ハ・グーレの軌道に変化なし」
映像の遊星からは、太陽風の影響を受けて尾が吹き出している様子が見て取れた。
「四〇日前。同じく軌道に変化なし」
「三十日前。軌道に変化なし」
日数のカウントダウンが進むにつれ、遊星から吹き出す尾は少しずつ長さを増し、いまや完全に一つの彗星となっていた。
「二十日前。軌道に変化なし」
「十日前。軌道に変化なし」
映像が連星に切り替わった。宇宙空間に、寄り添う二つの惑星の姿が映し出された。
「七日前。軌道に変化なし」
「五日前。軌道に変化なし」
「四日前。軌道に変化なし」
オペレータは無機質に、遊星の軌道に変化がないことを告げてゆく。
「三日前。映像を高速再生に切り替えます」
オペレータがそう告げると、映像の片隅に時刻が表示された。その時の刻み方は最初、実際の時刻の進み方と同期していたが、みるみるうちに速くなり、映像が高速に再生されていることを示していた。
映像にはしばらく、連星がそのままの様子で映し出されていたが、やがて画面上方からすっと現れた彗星が連星の片方に接触したかに見えた次の瞬間、双方の星は無残にも砕け散った。残った片割れの惑星はといえば、爆発の影響を受け一瞬ぐらりと揺れ動いたように見えた後、表面に次々と閃光が走り、徐々に崩壊していく様がまざまざと映し出された。