ジュラ外伝
ゲンはどかっと席に座り直すと、不機嫌さを隠さずに声を上げた。
「俺はこれからキューブの確認を行う。何か重大な事柄以外に邪魔をするな。それから、イリーはどうした?」
「所長代理とは昨日以来連絡が取れません」
応えるオペレータの声には戸惑いが含まれていた。実際、昨日王都へ報告へ向かったときには、日中あるいは遅くとも翌朝には戻るだろうと思っていたからである。しかしいま、午前の業務が開始される時刻を過ぎてもイリーが姿を現すことはおろか、いまだに連絡一つないのであった。このようなことは、イリーの性格からして考えられないことだった。
「怠慢だ!」
ゲンは苦々しく舌打ちした。
「俺はキューブの確認を続ける。イリーと連絡がついたら報告しろ」
そういって彼は今度こそこれまでの状況を把握するべく、端末に向かって集中したのだった。
いっぽう、そのころ。王都では留置場の一室で尋問されているイリーが、内心のいらだちを隠すかのようにじっと目を閉じて座っていた。
「それで、どうして正式な手続きを踏まずに強引に会議場へ乗り込んだのかね?」
取調官は、先ほどから何度か繰り返されている質問をイリーにする。
「緊急の事態です。日数を要する正規の手続きをとっている時間はないと判断しました」
「それで、衛兵四名に怪我を負わせて強引に会議場へ乗り込んだと」
取調官には、細かな事情は伝えられていない。彼にとってはイリーは単に、議会の開催中に会場へ乱入した暴漢だとしか思えなかった。
「強引な手段をとったことは深くお詫びいたします。しかし、そうせざるを得ない事情があったのです」
「だから、その事情とやらを教えておくれよ。このままじゃあ、あんたが不利になるだけなんだぜ」
「それは申せません」
イリーとて、ことの重大性は理解している。重大すぎるが故に機密性も高くなり、その内容を安易に口にするのははばかられるのであった。取調官が詳しい事情を把握していないということは、議会の連中も同様の判断をして情報を押さえているのだろう。これは半ば、イリーの予期していたとおりの出来事だった。とはいえ、彼女とていつまでも留置されているわけにはいかなかった。というよりむしろ、このような事態であるからこそ一刻も早く研究所に戻り仕事を再開しなければならないのにと、内心忸怩たる思いであった。
天井を仰ぎ見て、取調官はふうとため息をついた。
「こりゃ持久戦かな」
ぽつりと彼が漏らした一言に、イリーの眉がぴくりと動いた。そしてここから解放されることは、当分ないかもしれないと覚悟を決めるのだった。
朝から貴族会議は紛糾していた。昨日よりは幾分落ち着いた雰囲気はあったが、それでも普段に比べたらはるかに議場内は騒々しく、かつぎすぎすした空気に満ちていた。
「とりあえず被災を回避するには宇宙へ出るということに異論があるか、意見を統一したい」
議員の発言はすぐさま実行に移され、集計の結果満場一致でその意見は賛同を得た。しかし、その対象をどう選別するのかという段になると、とたんに意見は四散し議論がまとまらなくなるのであった。そもそも根本的な問題は全人類を宇宙に避難させるほどの宇宙船を確保する目処がたたないということ。仮に外宇宙を航行する能力がない宇宙船、すなわち軌道衛星級のものを含めたところで、生き延びられる人数などたかがしれていた。であればこそ、その線引きをどう行うのかが、皆を悩ませるのだった。
「当然の話だが」
一議員が口を開く。
「船を動かすのにかかる関係者たちは最優先で確保しなければなるまい」
議場のあちこちから、異議なしとの声が上がる。その一方で、その家族はどうするのかとの疑問の声が上がり、一つ問題を解決するたびに一つ以上の新たな問題が浮かび上がるという有様だった。
それでも昼ごろまでには、宇宙船を動かすのに最低限必要な要員およびその家族を筆頭に、各分野の専門家たちなどは優先して救出すべきとの大勢でができあがりつつあった。
昼の休憩もそこそこに再開された午後の議会では、まず最初にイリーの処遇について論ずるところから始められた。各種関連機関の調査により、イリーの報告が正しいことの言質がとれているとはいえ、一部議員たちは警備兵たちに暴行を働いたことを問題視し、強弁にイリーに処罰を与えることを要求した。イリーの報告内容の重大性と緊急性から彼女の行動を責めるべきではないという意見が大多数を占めていたものの、彼らの中に有力貴族が混じっていたことからことは簡単に収束せず、しばらく
激しい論戦が繰り広げられた。最終的にその判断は国王に委ねられることになったのだが、彼にとってもその決断は辛い判断を強いられるものだった。心情的にはイリーに同情していたのだが、ここでお咎めなしということになれば一部貴族たちの反発は免れず、今後の議会運営に悪影響が出るのは明らかだった。だから国王は、イリーに対する無期限の謹慎処分を言い渡す必要があったのだった。
続いての議題は、いよいよ本題ともなる、実際に宇宙船で地球を脱出する人員の選別方法についてであった。実際、今後完成が見込まれる船を含め、すべての船をかき集めても地球の総人口を宇宙空間へと脱出させることは不可能であることは明らかだった。であるからには、当然ながら脱出する人員を選別する必要があったのだが、これは非常に難しい問題であることは誰もが痛切に感じていた。しかしそれでも、議場の様子を外から眺めることができるものがいたとすれば、選別の対象に議会の出席者が含まれていなかったことに違和感を抱いたに違いない。彼らは、国王までもが自分たちが助かることはなかば当然のことだと思っていたので、議論の対象身自らを加えることなど夢にも思いつかなかったのである。
さて、避難民の選別方法であるがこれは様々な意見が出されて混乱気味であった。いわく、貴族と名のつく階級のものはどんなに下位のものでも最優先に対象に加えるべきだというもの、王族と議会に列席しているものたち以外は平等に抽選すべきだというもの、それぞれの思惑もあり、議論は平行線をたどりこそすれ、収束する気配は一向になかった。とはいえ、いまはまだ議論が始まったばかりの段階であり、今日中に結論を出す必要はないことは誰の目にも明らかであったため、いささか議論に真剣味が欠けていたことも事実である。また、同様の考えなのか国王も特にこの段階で議論に口を出すということは控えていた。彼はただ、黙って白熱する議論に耳を傾けつつ、時折手元の端末にメモをとっているのであった。
警察署の前で、半ば呆然とイリーは立ち尽くしていた。何度目かの取り調べの最中、慌ただしく部屋に駆け込んできた人物が取調官に手元の端末を見せると彼は一瞬、険しい表情を浮かべた後で端末とイリーの何度か視線を往復させた。やがて彼は大きく息をつくと、姿勢を正してイリーにこう告げたのだった。。
「ダ・イリー王立第三研究所所長代理に告ぐ。貴殿は今回の暴行事件に関し、本庁は一切の捜査権を放棄するものとする。ただちに私物をまとめ、本庁を退去するように。なお、貴殿においては追って沙汰あるまで自宅にて待機せよとのことである。何か質問は?」