ジュラ外伝
いかに「ナーサ」を快く思っていないとはいえ、ナーサとてれっきとした王女である。このような場においてどのような文言を並べるのが正しいのかは、当然のごとく理解していた。正面を向いてねぎらいの言葉をかける彼女の態度に、一点の曇りもなかった。むろん、ナーサが述べる美辞麗句は本心からのものであったことも付け加えておかねばなるまい。彼女が忌憚していたのは「ナーサ」、もっといえば「ナーサ」に備え付けられた武装なのであり、船そのもの、いわんやそれを建造している作業員たちを嫌うことなど決してなかったのである。
「また、これまでの作業において怪我人が一人も出ていないとのこと、非常に喜ばしく思う。これもひとえに、皆の意識の高さ故のことと誇らしく思う。今後とも、この調子で安全にはくれぐれも留意してもらいたい」
ナーサの言葉は続く。
「本船は様々なアイディアが盛り込まれ、これまでにない新機軸な船になっていると聞く。それゆえ、建造にも新たな技術の習得等が必要とされ困難を伴うものだと聞き及んでいるが、にもかかわらずスケジュールに寸分の遅れもなく、むしろ前倒しする勢いで順調に進んでいること、皆の高い士気と技量あってのことと誇りに思う。また、本船のテストケースとして先に試作された『ヘラス』においては、すでに試験航海に望んでおり、経過はきわめて良好との報告が届いている。本船にも多大な期待がかかっていることを忘れずに、残り短い期間、作業に集中してもらいたい」
そこでナーサは言葉を切り、所長に向けて目配せした。それを受けて所長はマイクを手に取ると、全艦に向けて放送した。
「皆のもの、聞いての通りである。ただいま賜ったお言葉通り、安全に注意して作業に励んでもらいたい。以上、作業はじめ!」
所長の言葉を合図に、作業員たちはいっせいに作業へと戻っていった。現在ナーサのいる、動力室の人たちを除いては。さすがに王女本人を目の前にしては高ぶる気持ちを抑えられず、彼らも容易に作業へと戻れなかったのである。
その様子を察したナーサは所長に、階下に降りて彼らを直接慰労したいと申し出た。安全を懸念した所長はそれに反対したが、ナーサの熱意とマイルの擁護に根負けし、渋々許可するのだった。
階下の作業員たちは、ナーサが去ったのを見るとさすがに興奮も冷めたかにみえた。がしかし、彼女が改めて一階の入り口に姿を見せると、ひときわ大きなどよめきが起き、一気に彼女を中心とした人の輪ができた。
「お前たち、少しは控えないか」
所長の制止もむなしく、押し寄せる人、人、人。しかしナーサは、その所長を制すると一歩前へ進み出、最前列にいた作業員の手をしっかりと握りしめた。
「作業、ご苦労様です。何か大変なこととかはありませんか?」
「いえそんな、大変だなんて滅相もありません」
声をかけられた作業員は、手を握られていることもあってか紅潮した表情で問いに答えた。
「遠慮する必要などないのですよ。何か不満があれば、存分に申し出てください。ほかの皆はどうですか?」
手を放して、ナーサは周囲を見渡しながら再度問いかけた。しかし、その問いに答えるものは皆無であった。王女殿下に不満を述べるなど恐れ多かったこともあるが、多少はともかく大きな不満を感じているものがいなかったこともまた事実だったのである。もっともそれは、事前にナーサが作業員の負担を極力軽減するように働きかけたたまものだということを、当の本人たちは知る由もなかったのであるが。
「不満もないようで、何よりです」
少し待って、誰からも不満が出てこないのを見たナーサは、満足そうにうなずいた。そしてナーサは、前の方にいる人たちをねぎらいつつ順に手を握りしめていった。それを見た後ろのものたちが、我先にと前の人たちを押しのけて手を伸ばそうとする。ナーサは苦笑しながらそれに応えた。
「そんなに慌てなくとも、大丈夫ですよ」
そういいながら、彼女は差し出された手一つ一つをしっかりと握っていくのだった。そうして一通りの慰問が終わると、ナーサは改めて全員を見渡した。
「皆、大変かとは思いますが、あと少しなので頑張ってくださいね」
そういうナーサの口調は、相手の人数が少なかったということもあったのだろう、艦内への放送時とは異なり幾分くだけたものとなっていた。
「殿下!」
集まった人たちの間から、いくつもの声が上がる。ナーサはそれに軽く手を挙げて応えながら、マイルと所長を従えてその場を後にした。
動力室を後にした一行は、マイルの希望もあって武器管制室へと移動を開始した。しかしその途中、ナーサの持つ通信機が突然、着信を知らせる鳴動を始めた。マイルとのデートの際は、よほどの事態がない限り連絡があることはないので、彼女はいぶかしみながら通信に応答する。
「はい。ナーサです」
「恐れ入ります、殿下。王妃様より至急帰還されるようにとの指示が出ております」
応対に出たオペレータが、ナーサに伝えた。
「お母様が?」
それは、いままでにない出来事だった。ナーサは驚きながらも了解の旨を伝えると、マイルに向かって告げるのだった。
「ごめん、マイル。急いで帰らないといけないみたい」
「王妃様かい? 珍しいね、どうしたんだろう」
マイルはそう応じると、所長に帰る旨を伝えた。そして二人は、所長の先導に従って駐機場へと足を向けた。
シロウは、相も変わらず話し好きな作業員に付き合いながら、内心苛立っていた。それは、窓からナーサとマイルの乗機の様子を観察するのを妨げられることもあるし、何かあったときに即座に対応できないという焦りがあったことも含まれていたかもしれない。しかし、それでも表面上はおだやかに作業員に応対していた。と、窓の外へ走らせた視線の隅に、ナーサとマイル二人の姿がちらりと入った。
「嘘、早すぎる!?「
「は?」
思わず口をついたシロウの言葉に、作業員は怪訝な表情を浮かべる。
「失礼。そろそろ出発しなければならないので、このあたりで失礼させていただいてよろしいかしら?」
内心の焦りを隠して穏やかに話を切り上げようとするシロウに対して、作業員は初めて気づいたように(実際、そうだったのだろう)応えた。
「あ、これは長々と話し込んでしまって……。もちろんですとも。道中お気をつけて!」
シロウは努めて普通に、さりげなく席を立つと部屋の外へと出て行った。通路を何度か折れ曲がったところで周りに誰もいないことを確認すると、全速力で駐機場へと向かったのだった。
そんなシロウの努力もむなしく、彼女が駐機場に着いたころには、ナーサとマイルの姿はすでにそこから消え失せていた。シロウは自分の失態を悔やむまもなく、機体に体を滑り込ませると手早く機関を起動し、上空へと舞い上がる。そしてナーサたちの姿を捜すが、あいにくと雲が出てきたこともあり、視界には何も捕らえられなかった。
「失敗したわ」
こんなことならば、駐機場を離れるのではなかったとシロウは嘆くが、後の祭り。高度なステルス性を備えた二人の乗機がレーダーに映るわけもなく、完全に追うべき対象を見失ったシロウは、そのまま王都へと戻るしかないのだった。