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雪の華~Wintwer Memories~Ⅱ

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 少なくとも妻が夫を愛し必要としているならば。では、吉瀬の妻は夫を愛してはいなかったということ? 
 それとも、こんな科白は所詮、まだ結婚というものをまるで理解していない女の理想論なのだろうか。輝もまた誰かの妻となり、夫が吉瀬のような行動を取れば、夫を非難し、果ては離婚届を突きつけるのだろうか。
「―ありがとう。僕の無謀としか思えなかった夢をそんな風に言って貰えて。あなたの言葉に、少しは救われましたよ」
 気がつけば、吉瀬の優しい笑顔があった。
 輝がプライベートに立ち入りすぎたことに対しても気を悪くしている様子はない。
「済みません。色々と失礼なことをお訊きしてしまって」
「良いんですよ、それは本間さんが僕に興味を持って下さったってことでしょう?」
 意味ありげに笑う吉瀬に、輝は熟した林檎のように紅くなった。
「き、吉瀬さんっ。それは、一体、どういう意味ですか!? 私は別に」
 と、吉瀬がさも愉快そうに笑い声を上げた。
「冗談ですよ。冗談。まったく、泣いたり笑ったり、忙しい人だ」
「私をからかったんですね」
 輝がむくれる側で、憎らしいことに、吉瀬はまだ楽しげに笑っていた。

LessonⅢ 悪意ある噂

 これで撮影も終わりだと、どこか名残惜しい気持ちで考えていた輝の気持ちは、良い意味で裏切られた。
「お疲れさまでした。私、着替えてきますね」
 輝が言うと、吉瀬は微笑んだ。
「駄目ですよ、撮影はまだ終わりじゃないんですから」
「え?」
 どうも吉瀬という男は、ダンディで知的な印象とは正反対のユーモア精神に富んだ男のようである。
「それは、どういう意味ですか?」
 輝は戸惑い気味に訊ねた。吉瀬は悪戯っぽく笑う。そういう表情は、まるで年齢を感じさせない。由佳里の話では、彼女の父親と同年代で、既に五十歳に達しているそうだ。由佳里みたいな良い子が嘘を言うはずもないし、また、その必要もない。
 だが、吉瀬の若々しい外見と五十歳という実年齢は、どう見てもそぐわなかった。こうして間近で見ていても、まだ輝は吉瀬が自分より二十歳近く年上だとは信じられないのだから。
「行けば判りますよ」
 吉瀬はまたも謎めいた微笑を刻み、輝を促した。
「そろそろ移動しましょうか?」
「移動、ですか?」
 思わず鸚鵡返しに訊ねてしまったのがおかしかったのか、吉瀬は笑みを含んだ声音で言う。
「そう、来れば判りますから」
 ややあって、笑顔は消さずに言った。
「大丈夫ですよ、警戒しなくても。別にウェディングドレス姿のあなたが幾ら魅惑的だからといって、その姿でホテルに連れ込んだりはしませんよ」
「まさか」
 輝は笑い、逆にその言葉で彼の言うとおりに従う気になった。
「僕についてきて。寒いから、コートがあれば上に羽織った方が良いですね」」
 吉瀬は一旦、貸しスタジオから出た。機材が入っているらしい大きなバッグを肩にかけ、輝が外に出るのを待っていたようにドアに施錠する。
「どこかに行くんですか?」
「そう、まあ、直に判ります」
 吉瀬は相変わらず何か企んでいる悪戯好きの少年のような表情である。吉瀬に導かれるようにしていったのは、スタジオの入っている雑居ビルの裏手であった。今まで気づいたこともなかったが、ビルの裏には、小さな公園があった。
「あ―」
 更に愕くべきことに、公園に隣接するように、小さな教会がひっそりと佇んでいる。丁度、教会の入り口からそのまま公園に行けるような造りになっていた。
 輝の意をくみ取ったように、吉瀬が静かに告げた。
「この公園は元々、教会の所有なんですよ。教会を建てた初代の牧師が近隣が次々にビル化されていったのを嘆いて、子どもたちのためにと私財を投じて遊び場を作ったと聞いています」
「今は違うのですか?」
 輝の素朴な疑問に、吉瀬は小さく頷いて見せた。
「その牧師は子どもがいなかったため、養子が跡を継いだのですが、その人も病気で早くに亡くなりましてね。もう、この教会で牧師をやろうという人がいないんですよ。一度は取り壊そうという話まで出たんです。でも、それはあまりに忍びないし、地域のために貢献した初代の意を無にはできないということで何とか残すことになりました」
「そう―なんですか」
「今はこの町内の人たちが交代で掃除とかして、細々と温存しているような状態でね」
 吉瀬は説明を終えると、バッグを地面に下ろし、中から機材を取り出し始めた。
「でも、大丈夫かしら。あんまり長くいると、ドレスが汚れそうで不安だわ」
 輝が裾の方を気にしながら言うのに、吉瀬は笑った。
「このドレスは裾も地面にはつかないし、何とかいけるんじゃないかな。後の二つだったら、絶対に無理だったでしょうが」
 確かに、吉瀬の言うとおりだった。トレーンを長く引いたタイプの方はむろんだけれど、デコルテを大胆に見せるデザインの方もスカートの裾は地面についただろう。今、輝が着ているのは、くるぶしの上くらいまでの長さしかないので、しゃがみ込んだりしない限り、裾が地面につく心配はあまりなさそうである。
「なかなか良いロケーションでしょう? 教会があるから、あれをバックに撮ればとふと思いつきましてね。室内のスクリーンも棄てたものじゃないけど、撮るなら、やっぱり本物が良い」
 機材の準備が終わったらしく、吉瀬が輝に指示を出す。教会を背景に、公園の入り口付近に立つように言われ、輝は素直に従った。
 吉瀬がカメラのファインダーを覗き込む。
「うん、なかなか良いですよ、それじゃあ、始めますよ」
 シャッター音が続いて響き渡った。
「中で撮れないこともないんですが、今日は時間も押してきていることだし、背景にして撮るだけで良いですか?」
 改めて訊ねられ、輝は頷いた。
「はい、全然大丈夫です。私、まさか本物の教会と一緒に撮影して頂けるとは想像もしていなくて。これで十分です」
「歓んで頂けて良かった」
 吉瀬もまた嬉しそうな顔になる。
 そのときだった。輝の身体が大きく揺れた。普段通勤用に愛用しているのは、ローヒールの地味なパンプスなのに、今日は借り物のピンヒールだ。銀色のシンプルなデザインだが、洒落ていて、どこか〝シンデレラ〟に出てくるガラスの靴をイメージさせる。輝も気に入っていたが、いかにせん、はき慣れていない高さなので、立っているだけで相当の注意を払わなければならない。
「おっと、危ない」
 よろめいた輝を咄嗟に脇から吉瀬が両手で支えてくれなければ、輝はそのまま無様に地面に転倒していただろう。
「私ったら、何てドジ。ごめんなさい」
 ショックから立ち直り、謝ろうとした輝は身を強ばらせた。何と、輝は吉瀬の逞しい腕にすっぽりと包み込まれていたのだ。
「あ、わ、私」
 自慢にもならないが、何しろ彼氏いない歴三十一年である。男性とキスを交わしたこともなければ、手をつないだ記憶もない。手を繋いだことがあるとすれば、小学校の運動会でダンス演技をしたときくらいのものだ。
 なので、こういう展開にはまったく免疫がないのである。吉瀬の両手は輝の細腰と背中にしっかりと回されていた。別に彼に他意はなく、むしろ吉瀬が抱き止めてくれたお陰で、輝は事なきを得たのだ。