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雪の華~Wintwer Memories~Ⅰ

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 しばらく夜空から舞い降りる雪と教会の美しくも幻想的な眺めに見惚(みと)れていた輝だったが、ふっと我に返った。
―あなたは誰?
 隣を振り返り、訊ねようとしたその瞬間、すべてが消えた。輝はただ一人、白いドレスを着て立っているだけ。赤々と灯りが灯っていた素朴な教会もなく、雪もない。ただ荒れた野原が際限なくひろがっている。そのただ中に、輝は所在なげに佇み途方に暮れている。
 慌てて隣にいた男を捜したけれど、もちろん、男もまた跡形もなく消えていた。
 あなたは一体、どこの誰だったの?
 輝は懸命に周囲を探してみたが、人影はおろか、犬猫も見当たらない。あれほど降り積もっていた雪も見事なまでに消え果て、漆黒の空には冷たく凍るような白銀の満月が輝いていた。
 手を伸ばし、輝の髪に落ちた雪を優しく取ってくれたひと。所詮は夢だといえばそれまでだが、あまりにもリアル感のある夢だけに、なかなか、それが夢であることを受け容れられない。
 眼が覚めたのは、その直後であった。気がつけば、輝の頬は濡れていた。隣にいてくれる人がいることがこんなにも心満ち足りるのか。夢ではあるが、知ってしまった今、一人でめざめる現実が余計に身にしみた。
 結婚だとかウェディングドレスのことばかり考えているから、こんな妙な夢を見てしまったのだろう。結局は、そう結論づけた。
 幸せな夢は長くは続かず、いつか醒めるもの。いつか有名な女流エッセイストの書いた一文がふと思い出された。それにしても、よりにもよって、ウェディングドレスを着た夢を、しかも花婿が側にいる夢を見るなんて。それこそ会社の連中が知れば、〝結婚しない女は気の毒だね〟と憐れみと嘲笑の対象にされかねない。
 それにしても、あの夢が途中で覚めてしまったことが泣くほど哀しかったのか。自分に問いかけてみたけれど、応えは既に判っていた。夢が覚めたのが哀しかったからではない。一緒にいてくれた男―さりげない優しさで髪についた雪を取ってくれたひとがいなくなってしまったからだった。

LessonⅡ 心ときめく記念日

 その日は瞬く間にやって来た。ネットで見つけてすぐに予約した夜はまだ十一月下旬だった。それまでの二週間を長いような、短いような―妙な心もちで輝は過ごした。
 当日の朝、輝は約束の時間、午前九時きっかりにN駅前の大通りに立った。しかし、やはりというべきか、既に数え切れないほど通ったことのある舗道に立ち、幾ら周囲を眺め回してみても、その写真館らしき建物は見つからない。
 まさか、からかわれたとまでは思わないが、もう少しその辺りを詳しくきいておくべきだったかと後悔しかけた時、舗道沿いに建つビルと喫茶店の間を少し入った路地から、一人の男が現れた。どうやら、その路地に面している小さな雑居ビルから出てきたようである。
 女にしては背が高すぎる―これも、たまに世話好きの叔母を通じてもたらされる見合い話で断られる原因の一つだ―輝よりは、10㎝は高い身長だ。
 深いグリーンのアラン編みのセーターに、ブラウンのコーデュロイのズボン。カジュアルな装いだが砕けすぎずに、様になっている。髪にはところどころ白いものが混じり始めているところを見ると、もう四十は過ぎているように思われる。
「もしかして、本間さんですか?」
 男は躊躇いも見せず、真っすぐに輝に近寄ってくる。一方、輝は突如として見知らぬ男に話しかけられて、茫然とした。
「は、はい。本間ですけど」
 頷くと、男は破顔した。ほどよく陽に灼けた男らしい顔にやわらかな微笑がひろがる。
「良かった。ちゃんと場所をお話ししておかなかったので、もしかして迷われたのではないかと心配して見にきたんですよ」
 その言葉から、この男が例の写真館のカメラマンだと判る。そこで、輝は漸く訊ねたかった質問を発する勇気を得た。
「あの―、こんなことを初対面でお訊ねして失礼なのですけれど、幾ら探してみても、この辺りに写真館はなかったと思うんですが」
 と、男の笑みが更に深くなった。
「申し訳ない。やはり、事前にお話ししておくべきでしたね。実は写真館なんてたいそうな名前を名乗っていますが、その写真館そのものは実体がないんです」
「は?」
 あまり物に動じないと自認している輝だが、流石に愕きを隠せなかった。これは新手のドッキリだろうか? それとも、到底、そうは見えないが、悪質な手の込んだ悪戯か?
 独身の中年女にウェディングドレスを着せて撮影してやると甘い夢を見させておいて、ドタキャンするとか。
「もしかして、私をからかっているんですか?」
 つい声が大きくなってしまったのは、この場合、致し方ないだろう。
 すると、対する男は真顔で手のひらをひらひらと振った。
「まさか。何で僕がお客さんをからかわないと駄目なんですか?」
 更に少し心外だと言わんばかりに続けた。
「これまでに一度だって、人の心や気持ちを弄んだことなんて、ありませんよ」
「でも、実体がないということは、写真館は存在しないんでしょう」
 輝も少し憤慨めいて言うと、男は首を振った。
「いえ、写真館そのものは、ちゃんとありますよ」
 それから、ああと納得したように頷いた。
「僕がちゃんと事情をお話ししなかったから、心配されていたんですね。ご心配なく、大丈夫ですよ。どういうことかといいますと、写真館メモワールというのは、確かに僕がやっている写真館なんですが、撮影する場所、つまり固有のスタジオを持ってないんです。僕はれっきとした本業があって、そっちをやりながら副業みたいな感じでカメラマンをやってるんで。撮影は、知り合いが持っている貸しスタジオを借りてやるんです」
 なるほど、それで実体のない写真館というわけね。輝は漸く合点がいき、胸をなで下ろした。つまり、撮影の予約が入ると、そのスタジオを借りて撮影するというわけだ。
「さあ、こうして立ち話ばかりしても何ですから、中にどうぞ」
 促され案内されたのは、入ったことはないけれど、いつも何度となく前を通ったことのある雑居ビルだった。周囲のビルが近代的で立派なので、三階建ての前時代的なビルは余計に侘びしく見える。こんな薄汚いビルの中のスタジオでは期待できそうもないと、早くも輝はここに来たことを後悔し始めていた。
 だが、不安と予想を裏切り、ビル内は意外にも小ぎれいだった。確かに古めかしいものではあるが、掃除も行き届いていて、見苦しいところは何もない。狭いエレベーターに乗り込み、二階で降りる。短い廊下は剥き出しのコンクリではなく、愕くべきことに紅いカーペットまで敷かれていた。―ただし、かなり色褪せ、すり切れた年代物ではあったが。
 写真館のオーナーはエレベーターを降り、カーペットの敷かれた廊下を少し進んだ突き当たりのドアを開けた。見たところ、廊下沿いに部屋が三つ並んでいる。貸しスタジオというのは、いちばん奥の部屋のようである。また、廊下の反対側はすべて窓になっており、冬の陽射しが窓を通して廊下にまで差し込んでいる。
「本間さん」
 先に入ったオーナーに呼ばれて、輝は慌ててオーナーについて中に入った。