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フェル・アルム刻記

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 ルードはごろりと仰向けになった。青い空には雲がゆっくりと流れている。南中に近い日の光は優しくルードを包み、ルードの肌をくすぐるように吹いてくる風も――ライカは風の異変を訴えたが――心地の良いものであった。先ほどまで頭の中に入ってきた奇妙なざわめきも、今では聞こえなくなっていた。
「そういやここ一週間、動きっぱなしだったんだな。とりあえず目的地には着けたし、よかったとするかぁ……」
 あくびを一つ、ルードは呑気に言った。
 誰のものでもなく、溜息が出る。一行は姿勢を崩さず、しばし岩と化した。

「なんと。古い友人が尋ねてくるとは……」
 雲の移りゆくさまを眺めていたルードは、聞き慣れない声に、はっとして起き上がった。うたた寝をしていたライカと顔を合わせるが、彼女も怪訝《けげん》そうな顔をするのみだった。
「〈帳〉だ」
 ハーンは立ち上がるとあたりをぐるりと見渡した。そのハーンの行動に応えるかのように声が言う。
「実に久しいな、ティアー・ハーン。まこと短き命しか持ち合わせないバイラルにあって、稀有《けう》にも君は姿を留めているかのようだな。……まあ、それはいい。十年ぶりかな?」
(この声が〈帳〉。大賢人か)
 真実を知る、と聞かされてきた人物と、ついに対面が叶うのを知ったルードは胸が高まった。〈帳〉の声は、鐘の鳴るような美声ではあるが、感情を抑えたもののようにルードには思えた。
「十三年ぶりとなりますね。お久しぶりです、大賢人様」
 恭《うやうや》しくハーンが答えた。
「なに、〈帳〉で構わない。ハーンと……そこの二人も何かわけありのようだな。一体どのようなおもむきだ?」
 〈帳〉の声はどこからともなく聞こえてくる。
「では〈帳〉……とりあえず僕達をあなたの館に招いてくださいませんか? 結界が張られていては、僕にはどうしようもないんですよ」
 一瞬、〈帳〉が苦笑したような気がした。
「それはしかり。失礼をしたな。では結界を解こう。客人達よ。しばし目を閉じていてくれないか。君達が視覚に頼っている以上は、結界内には入れないのでね」

 ルード達はおのおの目を閉じた。途端に、ルードは自分の体が宙に浮くかのごとく軽くなっていく感覚を覚え、次には今までざわめいていた地面が、次第に自然そのものに還るような感覚を知った。帯剣しているガザ・ルイアートからも、人のぬくもりに似た暖かさがルードの頭の中に伝わってきた。
「目を開けてくれ、客人よ」
 声を今まで以上に近くに感じ、ルードは目を開けた。

* * *

 大きさがとりどりの石を巧妙に重ね合わせて造られた城が――〈帳〉の館が眼前にあった。館は、まるで千年も前からその場所にあったかのようなたたずまいをみせていた。周囲を囲むのは緑。結界の中とはいえ、荒涼とした遙けき野にあるとは思えないほど、地面に潤いが感じられた。
 ルードは横を見る。ハーンとそう変わらない年かさに見える長身の若者が、ハーンと対峙するかのように立っていた。臙脂《えんじ》の服がやけに映えて見える。
(彼が……〈帳〉なのか……)
 ルードは〈帳〉の持つ雰囲気に、少々臆した。大賢人と称されるゆえの気品なのか。
 彼の顔はほっそりとしていて、ほりの深いものだった。切れ長の目と相まって、端正な顔は、町を歩けば必ずと言っていいほど振り向かれるほどの美しさと、神秘さ、そして翳《かげ》りを併せ持っていた。
 しかし瑠璃《るり》色の瞳には、若さの煌めきというものが全く感じられない。永い年月を生きてきたかのような哀しさと、悟りきった色をたたえている。また、黒い右目は光を失っているのか、動くことがない。まるで雪のような細く癖のない白髪はライカと同じように肩甲骨のあたりまで伸ばしていた。
 彼の両の目尻から頬に至るまでは、細いくちばし型の中で反復する、精細な幾何学模様の刺青も臙脂に彩られており、彼の風貌をより奇異に映しだしていた。

「ようこそ、〈帳〉の館へ」
 〈帳〉はルード達を一瞥し、落ち着き払った口調で言った。
 ハーンが手をさしのべ、握手を求めると、〈帳〉はそれに応え、かすかに笑った。
「さあ、入るがいい。私も野良仕事を終えて、畑から戻ろうとしていたのだ。そうしたら君達がいるのを知ってね。そうだ、結界の外にいる君達の馬も、後で呼び寄せよう」
 〈帳〉はそう言って、訪問者達を館に招き入れた。
「あ、それじゃあ失礼します」
 〈帳〉はその言葉を言ったライカをじっと見つめる。彼の緑の瞳がきらりと煌めく。

《フローミタ アー ラステーズ コムト、アルナース!》

「え?」
 〈帳〉の言った『言葉』にライカはびっくりしたようだった。彼女も答えた。

《……メクタ ラソ ディナークァー ダン アルナシオン メッサノ……》

 〈帳〉はそれを聞いて満足そうにうなずいた。
「なるほど、確かにわけありのお客様だ。これは重大だな。ニーヴルの時以来か。いや、外からの干渉という意味合いを考えれば、あの時の比ではないな」
「なぜ、わたし達の、アイバーフィンの言葉を知ってらっしゃるの? ……〈帳〉さん」
「外の世界からやって来た風の民の娘よ。エシアルルを存じているだろう?」
「は、はい。わたしのいたところでは“森の護り”といわれる長寿の種族です。“慧眼《けいがん》のディッセの野”と現世《うつしよ》とを行き交うことによって、不死に近い命を得ているとか。大賢人様はエシアルルでいらっしゃるのですか?」
「〈帳〉と呼んでくれていい。……さよう、私はエシアルルだ。いや、かつてはそうだったと言えるな。額に水晶こそあるものの、白髪のエシアルルなどいはしないだろう(エシアルルは皆、深緑の髪だからな)」
 ライカは、驚きと、喜びが入り交じったような複雑な表情をかいま見せた。
「じ、じゃあ、〈帳〉さんも、この世界に入り込んだんですか。わたしのように……」
「そうだな。……そう、入り込んだのだ。広い意味ではね」
 〈帳〉はライカの後ろにたたずんでいるルードを確認した。
「……そこの少年には我々のことが分かっていないようだな。無理もないか、歴史は全て隠されてきたのだから。ハーンよ、それを彼らに聞かせるためにここに招いたのか? かつて、私が君に教えたように」
 ハーンはうなずいた。
「ならば話さねばならないか、フェル・アルムとアリューザ・ガルドの関わりについて。そして我らが起こした罪について。……この“大賢人”がな!」
 最後はまるで自嘲するかのように言い捨てた。
「あなたのおっしゃるとおりです、〈帳〉。彼らにフェル・アルムの隠された真実を話してほしい、というのが、ここに来た理由です」ハーンが凛々《りり》しい口調で話した。
「それともう一つ。ここに来るまで、僕達はきわめて不思議な体験を重ねてきました。“ニーヴル”の時以上に奇妙な出来事をね。僕達のほうからはそのことについてお話しします。そして、この少年少女の不思議な出会いを契機に起こり始めたあらゆる“変化”について、助言をいただきたいのです。あなたがどう思われるのか、僕らがこれからどうすべきなのか――ことは十三年前以上の惨劇を生みかねませんから」
作品名:フェル・アルム刻記 作家名:大気杜弥