フェル・アルム刻記
「……いいや。おれ達はやってのけるよ、デルネア。まだまだ不可能なんかじゃない。俺達には出来るよ。さ、ジル」
ルードに背中を押されたジルは、てくてくとルードとデルネアの間に割って入り、わざとらしく咳き込んだ。
「おっほん! そりゃ、普通だったら間に合わないんだろうけどさ。でもだいじょうぶ! ここにおいらがいる限りね!」
なるほど、とサイファが小さく相づちを打った。
「小僧?」
何者だと訝しむようにデルネアが言った。
「ああ、おいらはジル。こう見えてもトゥファール様の使いなんだ。んで、おいらは遠かろうと何も気にせずに、空間を渡れるわけなんだよなぁ」
ジルはさも得意げに胸を張ってみせた。その割に、神の使徒であるということを何事もないようにさらっと言いのけるあたりは実に彼らしいが。
「あんまり役に立つしろもんじゃねえけどな」
「ぐ……」
ディエルに話の腰を折られたジルは小さく呻くが、それでも気を取り直してデルネアに言った。
「どう? おいらに大樹の場所を教えてくれれば、今すぐにみんな連れてくよ?」
「ジルの言葉は本当だ、デルネア。この子にはそういう力があるのだ」
サイファがジルの両肩に手を置き、デルネアと向き合った。
「私達は表向きの考え方こそ違えど、根本では一致するはずだ。……今さっきルードも言っていたように、悲劇を免れるためにフェル・アルムを創造した貴君にとって、世界が消え去るのは耐えられないと思うけれども、いかがだろうか?」
デルネアはぎろりとサイファを見やった。
「もとより、小娘に説教されるいわれなど無いが――小僧、場所を教えろと言ったな」
「うん。でもどこそこにあるって言葉で説明されても、おいらにはぴんと来ないから……かといって地図なんてここじゃあ書きようがないし……そうだね、頭の中で強く念じてちょうだい。おいらはそれを読みとるからさ」
デルネアは否定しなかったので、ジルはそれを了解の印と見たのだろう。
「よっし! それじゃあみんな集まって、おいらにしっかりとつかまって! 転移してる最中に、誰かが空間の狭間に取り残されても、おいらにゃあ探しようがないからね。最後の大仕事、みんなで見届けよう!」
「オレは行かない」
「そう……ええっ?!」
ジルは飛び上がらんばかりに激しく驚いた。当然、ディエルも一緒に行くものとばかり思っていたのだろう。
「ちょっと兄ちゃんてば。どうして?」
「……なあデルネア。このおっきな空間を元に戻すっていうんだから、相当な反動ってのが発生するんじゃないのか?」
ジルの喚き声をよそ目に、ディエルは冷静にデルネアに訊いた。
「創造した時と同様の力は起こり得るだろう。そしておそらくはこのウェスティンの地に多くの力が集中して巻き起こる。空間の切れ目がすぐそこにあるわけだからな」
「……ジル、聞いただろう? オレはここに残って、その反動とやらを抑えてみせる」
「そんな、兄ちゃんとまた会える自信なんて……」
涙目になるジル。ディエルはそんな弟の額を軽く小突いた。
「だったら! 間違いなくみんなを送って、きちっとやってのけて、それからここまで戻ってこい! ……オレを送った時みたいに、突拍子もない場所に行っちまうんじゃあないぞ」
ジルは黙ってうなずいた。
「というわけだ、ハーン兄ちゃん。こいつのこと面倒見てやってくれよ? さすがに間違いをやらかすなんてことはないと思ってるけどさ」
「ディエルも気を付けて。多分、凄まじい力に立ち向かうことになるだろうから無理は禁物だよ。……また、落ち着いたら今度、タールを聴かせてあげるからさ」
ハーンが言った。
「うん……いつになるかは分かんないけど、そうしたいよ」
ディエルはやや複雑な笑みを作った。
「まあ、兄ちゃんにだったら会えるだろうね……」
「ねえ……ジル。君には申しわけないんだけれども……私もここに残るよ」
サイファは、ジルの肩に置いた手を、彼の頭に持っていき愛おしむようにそっと撫でた。
「姉ちゃん……?」
サイファを見上げたジルの顔はすでに涙に濡れていた。兄の激励に心打たれたものがあったのだろう。それゆえに、サイファは言うべき言葉を言ってしまうのをはばかれたが、それでも言うしかなかった。
「私はドゥ・ルイエだ。国王として、まだ私にはここでやるべきことがある。北方には戦い疲れた烈火がいるだろう。私は彼らに撤退の命令を下さなければならない。私の命令なくして彼らは動けないからな。それから、避難していった人達にも、みんなの無事を伝えなければ。だからここで……」
つうっと、サイファの頬に涙が伝った。
「……また、宮殿に遊びに来てくれれば、いつでも歓迎するぞ? リセロやキオルの困った顔っていうのも、それはまた面白いものだしね」
ジルは肩を震わせながらうなずいた。が、おそらくそれは叶わないであろうことを二人は分かっていた。サイファがドゥ・ルイエの名を冠しているように、ジルもまた、全てが終わったあかつきには彼本来のいるべき場所に還らなければならないのだから。そしてそこは人の住まう地ではない。
サイファはジルと固く握手をすると、すっと離れた。ジルは目をこすり、しばらくうつむいていたが、気を取り直して――しかしやや寂しげな――笑みを浮かべた。
「じゃあ今度こそみんなで行くからね! さあ、おいらにしっかりとつかまっていてよ!」
トゥールマキオの森へと向かう面々――ルード、ライカ、ハーン、〈帳〉と、デルネア、それに隷達がジルを取り囲んだ。ルードは、ウェスティンの地に残る仲間達を見つめる。
「じゃ、行ってくるよ……ディエル、サイファ。本当にありがとうな」
サイファとディエルはともにうなずいて返答した。
「父様と私も、ここに残ることにするわ。微力ながら、ディエルの手伝いが出来ると思う。それにこちらのお嬢さん――サイファの手伝いもね」
マルディリーンが言った。
「ルード、それにライカ。もう私には貴方達に助言するものは何一つないのだけれど……あとは貴方達自身で見届けなさい。そして今度、イャオエコの図書館においでなさいな。貴方達とはゆっくりとお話がしたいものだわ」
「さあ、デルネア。おいらに場所を教えてちょうだい」
ジルに促されると、デルネアは何も言わずに目を閉じた。ジルはデルネアと向き合う。しばし瞬き一つせずにデルネアの顔を見上げていたが、
「うん……分かったよ。じゃあ、いよいよ大樹に行くからね!」
赴くべき場所を把握したジルは、明るく言ってのけた。それが、から元気だとあからさまに分かってしまうのは不憫だった。
ルード達はそれぞれ、ジルの腕につかまる。ジルは回りの様子を見て、最後にサイファのほうを見て、そして口を開き――ひとこと“音”を発した。
その瞬間。
ルード達の姿はウェスティンの地から忽然と消え失せた。