フェル・アルム刻記
ルードは自信を持って答えた。ルードは天に向かって貢ぎ物を差し出すかのように、“光”をのせたまま両手を掲げた。
「行け、ガザ・ルイアート! その“光”をもって、“混沌”をうち砕いてくれ!」
その言葉は、複雑な抑揚を持つ呪文でも、人間には発音不能な神族の言葉でもない、ごく普通のアズニール語だった。
〈帳〉が訝しむ様子が見て取れる。しかしルードは分かっていたのだ。ガザ・ルイアートに対しては、事物の摂理や詠唱の法則などといった難しいことを考える必要などない。純粋に祈る気持ちのみが、この膨大な“光”を、大いなる“力”と変えて発動させる源になるのだ、と。
* * *
果たして、ルードの感覚は的中した。
ガザ・ルイアートであったその“光”は、主の命を受けたと同時にその手元から離れると、長く延びる一条の“光”となって天高くまっすぐ突きあがっていくのだった。“光”は凄まじい速度で上空に突きあがっていく。時折、樹から枝分かれした筋のように光の線が放たれ、そのたびにウェスティンの地一帯は明るく照らし出された。
“光”の先端が槍のごとく尖る。そしてほどなくその穂先は、ウェスティンの大地を今や飲み込もうとしていた“混沌”の波の中心部に音もなく衝突する。大地に押し寄せようと、低くたれ込めてきた忌まわしい波は、“光”の突入と同時に動きが鈍り、やがて氷になったかのように動きを止めざるを得なくなった。
“光”はなおも“混沌”の中へと突き進もうとする。だが“混沌”も必死に抗い、深々と突き刺さった“光”の穂先を強引に引き抜こうとする。“光”の侵入していく一点に力を凝縮させるべく、波を螺旋状に歪ませた。
両者の接点には、この世のいかなる者すらも想像し得ないまでの超越した力が結集しているのだ。
地上に残った者達は一同固唾をのんで、終末の空の様子に見入っていた。声をあげることすらままならないが、おそらくは誰しもがルードと同じ願いを持ち、状況を見つめていることは違いないだろう。
突如、世界そのものを揺るがさんばかりの轟音が、地上と空を支配した。
それは“光”と“混沌”の、両者があげる勝ち鬨の咆哮のようでもあり、またお互いの力に抗うべくして発する苦悶の叫び声のようでもあった。
やがて、“混沌”に突き刺さった“光”の中心部から放射状に、幾千に及ぶとも思われる稲妻のような細い光の筋が放たれる。その各々は空に沿うように筋を伸ばしていくと容赦無く“混沌”に襲いかかる。暗黒に包まれていた空一面が煌々と輝きを放った。
“光”の力が徐々に“混沌”の内部に浸透し――そして空そのものが大きく揺らぎ、大地も呼応するかのように激しく揺れ動いた。見上げていた者達も、もはや立っていることが叶わず、地面にへばりついた。
大地の鳴動に耐えきれず、ルードも突っ伏した。腐りかけた大地の粘質はやはり気色悪いものだったが、すぐ近くには、暗黒へと続く穴を空けたままの断崖がある。またしてもあの奈落の底に落ちるわけにはいかない。ルードはその場に踏みとどまろうと、必死で手近の土を握りしめた。地に伏せたルードが感じていたのは、体が引き裂かれるような轟音と、激しく波打つ大地の揺れ。それらは永遠に続くかのように繰り返されていく。
ルードは恐怖におののいたが、意を決して体を返し、上空のさまを見上げた。
ルードの目を捉えたのは、くらむばかりの“光”が空全域に広がっていくさまであった。それを見た途端に、まるで意識が吸い取られるかのように、ルードは動けなくなった。
“光”と“混沌”がせめぎ合う戦いはなおも続いていたが、ついに天上で大音響が轟きわたった。その音は断末魔のようであり、この世の何ものもが出しえないような邪悪と、憎悪と恐怖を兼ね備えた、恐るべき音であった。しばらく大地も空も、その鳴動に任せるままに揺れ動いていたが、やがて静まり、静寂が訪れた。
そうして、ルードが我に返った時、空からは黒い色が払拭されており、ただただ虚ろな灰色のみをぼんやりと映していた。この空虚な薄墨は、もはや空とも天上ともつかぬ、何ものも存在しない空間となってしまったが、これが一つの結果であることをルードは知った。
“光”が、“混沌”を追いやったのだ。