フェル・アルム刻記
§ 第十章 終焉の時、来たりて 第三節
六. 聖剣の意志
かの者の名は、レオズス。
灰色の空のもと、引き立つ金髪。
今し方まで魔物とまみえていたのか、ややも血にまみれた衣。
衣の白に反発するかのような漆黒の剣。
そして内包する膨大な“力”は、純粋たる闇。
宵闇の公子レオズス。
遠い昔、アリューザ・ガルドに君臨し、そして〈帳〉達と相対した張本人が、このウェスティンの地に現前している。
「いよいよもって、この世界は終わる。……デルネア、君の犯した罪は重いよ」
レオズスは今一度、ルード達が飲み込まれていった亀裂をのぞき込んだ。暗黒がぽっかりと口を開き、それがどこまで続くものか、果てなど知れない。
いや、デルネアが渾身の力をもってこじ開けた歪曲した空間には、本当に底など無いのだろう。ルード達の命が無事だとしても、彼らは永劫、落ち続けるしかないのだ。
レオズスは口元を歪ませた。
「よくも、ルードとライカを……」
怒りのあまり、彼の身体からは漆黒の気が漏れた。その気を歓迎するかのように、レオズスの持つ漆黒剣――レヒン・ティルル――は低い唸り声を周囲に響かせた。
「……一つ、訊きたい」
一方、デルネアは恐怖心と困惑が雑多におり混じった感情をなんとか抑え込むと、先ほど奪い取った聖剣を左手に構え、レオズスに相対した。彼の左腕が小刻みに震えているのはレオズスの圧力のせいか、それとも、かつてアリューザ・ガルドを恐怖に満たしたレオズスへの畏れか。
聖剣の“力”により、デルネアの切断された右腕はすでに血を止めていた。が、失った右腕は戻ってこない。
「あれなる“混沌”を招来したのは御身ではないのか、レオズスよ」
北に去っていった黒い雲は、再び襲いかかる時を待っているかのように忌まわしくうねり、時折雷鳴のような轟きをあげた。命を得ているようなその動きは、きわめて禍々しい。
「違う!」
レオズスはあからさまに怒りをぶつけた。
「今思えば、僕がこうしてこの地にあること、それ自体は“混沌”の力によるものなのかもしれない。来たるべき時に、再び“混沌”が安定した統治をするために。そうすれば僕は、アリュゼル神族や冥王とも対等に渡り合えるほどの力を御していたかもしれない。でも……」
金髪の公子は一歩、また一歩と足を進め、デルネアとの距離を縮めていく。
「でも、僕はそれをうち破った。今の僕は、ディトゥア神族としてのレオズスであり、かつバイラルとしてのティアー・ハーンなんだ!」
感情を露わにしたレオズスは、自身の闇の“力”を発動させた。漆黒の闇がレオズスの目の前に集約し、球のように姿を変えると、デルネア目がけて鋭く飛んでいく。デルネアはすでに攻撃を読んでおり、即座に聖剣を構える。と同時に聖剣は光り輝き、レオズスの放った漆黒を四方に霧散させた。が、デルネアも“力”の反動をくらい、衝撃のあまり二、三歩後ずさった。
「なんだ。御身の“力”とはその程度か」
デルネアは侮蔑を含んだ言葉を発した。
「なるほど、確かに今の御身には“混沌”を感じぬ。だが昔、我らが戦った時のような威圧感はまるで感じぬぞ、レオズス。畏怖するには値せぬわ」
くっくっと、デルネアは口を歪ませて笑う。
「だがな、今の我は御身……お前すら上回る“力”を得た! 見よ!」
デルネアは、なおも震える左腕を高く掲げて聖剣を示した。
すると、聖剣の刀身からは一条の光がほとばしり、天空高く突き抜けていった。光が灰色の空と接触したその瞬間、空の一点は青い色に染め上げられる。光と灰色との接点は互いに反発しあい、波紋状の衝撃が空そのものを揺さぶる。その波紋は北に存在する“混沌”にまで波及し、“混沌”の支配下にある空は歪み、苦悶を感じているように激しくのたうち回った。
「聖剣の“力”が狂おしいまでに我の中に流入してくるのを感じる。我は今や“混沌”すら消し去る“力”を持ったのだぞ。“混沌”を消し去ったあかつきにはレオズスよ、貴様を葬り、この世界にある脅威を消し去ってくれる」
「やめてくれ!」
たまらずレオズスは、自身の持つ漆黒の剣を構え、デルネアに斬りかかる姿勢を見せた。
「光の本質を受け入れられない君が、下手に“混沌”を刺激しちゃならない! フェル・アルムに現前した“混沌”はほんの一角に過ぎないよ。この地にある“混沌”を刺激したために、始源の力たる“混沌”そのものが覚醒すれば――――フェル・アルム、アリューザ・ガルド、ディッセの野、次元の扉――――ありとあらゆる次元にまで“混沌”が波及し、“混沌”の支配下のもと、終末を迎えるんだ……!」
『フェル・アルムを覆う結界が崩れ去り……本来人の世界にあってはならない、強大な太古の力を招き寄せかねない。もし、それを呼び寄せてしまったら、フェル・アルムのみならず、存在する世界全ての終末を呼ぶことになるやもしれぬ』
かつて、〈帳〉がルード達を前に語った予言が今、現実のものになろうとしている。
レオズスはデルネアを見据えて言葉を続けた。
「あまりに酷なことだけれども、聖剣所持者を失った今となっては、あの“混沌”を消し去るすべはなくなった。だが、せめて滅びの時を迎えるのは、この世界だけにしたい。……デルネア、剣を僕に返してくれ。そうすれば聖剣は単なる一振りの剣に戻り、“混沌”を刺激することもなくなる」
それを聞いた途端、デルネアは嘲笑した。
「ふん。結局のところお前は“混沌”に魅入られたままなのではないか。綺麗事で我を弄そうとしても無駄だ。お前の望みはこの地を“混沌”の支配下にすることだろう? 相も変わらず……お前という存在は疎ましいことこの上ない!」
「違う! 話を……」
「聞けるか! 聞けるものか! 我らアリューザ・ガルドの人間が苦しんだのも、このフェル・アルムを創造したそもそもの原因も、すべてお前に責がある! レオズスよ! お前に呪いあれ!」
デルネアはレオズスの間合いまで一瞬のうちに駆け寄ると、剣を打ち付けた。レオズスは、レヒン・ティルルの漆黒の刀身をもって切り結び、聖剣の攻撃を阻む。が、今のレオズスの“力”を持ってしてもデルネアの“力”には敵わず、レオズスは顔をしかめた。“光”の力をまともに食らっている漆黒剣は金切り声をあげた。
「さあ、今こそ滅せよ、レオズス! 貴様の行った過去の凄惨なる罪も、そして“混沌”も、全て我が浄化する!」
勝機とばかり、少しずつ聖剣の刃がレオズスの顔へと近づいていく。遙か昔に戦った時とは力の差が反転し、今や力技ではデルネアが勝る。
「君には無理なんだ、デルネア! 聖剣を手離してくれ!」
なおもレオズスは叫んだ。
「聞けぬ願いだな。“混沌”の手先たる公子よ。我のことより貴様の身を案じたらどうだ。――?!」
デルネアは急に顔をしかめた。
「なんだと言うのだ……この痛みは……!」
先ほどから続いている左腕の震えはさらに大きくなっていく。デルネアは苦悶の表情を満面に浮かべた。
「聖剣から入り込んでくる……“力”が!」
「ガザ・ルイアートが君を所持者と認めていないからさ。これ以上保持していれば、聖剣の“力”が暴走し、君を破滅に陥れるぞ!」