フェル・アルム刻記
レオズスは自ら進んで自身の剣を鞘に収めた。もはや、デルネアには戦うことなど出来ないと知っているように。
「知ったふうなことをほざくな! 闇の存在たる貴様に何が分かるというのだ……!」
デルネアは全身を震わせながら、レオズスに打ちすえた剣を引くと、慎重に後ずさった。
「聖剣の“力”こそが、我を至上の存在に……ぐっ」
しかし、デルネアの言葉に反して、彼の身体は激しい苦痛に苛まれているようだ。ついにデルネアは片膝を落とした。愕然と頭を垂れる。
「聖剣が……我の意志に反するとでも言うのか。信じられぬ……!」
* * *
「僕は聖剣のことを知っている。君以上に、ね」
レオズスはデルネアのもとに近づき、しゃがみ込んだ。
「聖剣を生み出したルイアートスから直々に剣を受け取ったのは僕だ。聖剣所持者の介添人として、イナッシュに同行して冥王と戦ったのも僕だ。なぜなら君の言ったとおり、僕の本質的存在は闇そのものだから。僕は聖剣の影響を受けない唯一の存在だ。また、光に相反する闇だからこそ、ガザ・ルイアートの持つ“光”がなんたるか、分かるんだ」
デルネアは襲いかかる膨大な“力”になおも必死に耐えつつ、レオズスに顔を上げた。その顔には今までの尊大な表情はなく、絶望がありありと浮かんでいた。
「我はこの“力”に打ち勝って、そして……」
その言葉も今となってはむなしく響くのみ。圧倒的な聖剣の“力”はデルネアを蝕み続ける。今なおデルネアが聖剣を持ちえているのは、デルネア自身の持つ圧倒的な“力”と、執念によるものである。しかし、それもほどなく尽きることだろう。ガザ・ルイアートは、自身が認めた者以外には容赦なく、膨大な“力”の流入をもって、過酷な責め苦を与え続ける。
「聖剣の“力”は打ち勝って得るものじゃない。受け入れるんだ。でも君にはそれが出来なかった。聖剣の意志は、君を所持者と認めなかったから。聖剣にとっての主は、今なおルード・テルタージにほかならない。君にもそれは分かっているはずだ。さあ、聖剣を返してくれ。これ以上の災厄は、僕らの望むところじゃあない」
“光”の浸食はとうとうデルネアの全身に達した。デルネアはとうとう聖剣を手放し、力なく座り込んだ。
「我は……このフェル・アルムは……どうなる……」
レオズスは哀れむ表情をみせつつも、光をほとばしらせる剣を左手に持った。途端に聖剣は光を失い、銀色に鈍く光る剣へと戻ってしまった。
「まず、君は負けたことを認めるべきだ、デルネア」
レオズスは頭を北に向けた。青い瞳が悲しみに染まる。とうとう“混沌”の勢力が濁流のごとく進撃を開始し始めたのだ。ほどなくこの地は“混沌”に飲まれることだろう。
「この世界は終末を迎える。そう、君だけじゃない。僕達も負けたんだ……」
レオズスは唇を強く結んだ。たまらず涙がこぼれ落ちる。
「なぜ! ルード達を……!」
彼はデルネアの胸ぐらをつかみ、感情も露わに怒鳴った。
「聖剣の“力”を発揮出来るのは彼だけだというのに! “混沌”を消し去るのは彼の役目だったのに、それも出来なくなった! デルネア、君の責任は重い。君の魂こそ未来永劫呪われるべきだ! ……何より、彼らは僕にとってかけがえのない友人だというのに……失ってしまった」
呪詛の言葉を聞いたデルネアは、苦悶にまみえた顔をレオズスに向けた。
「友を失っただと!? アリューザ・ガルドに仇をなした貴様などに言える言葉か!」
その蝕まれた体のどこに力が残っているのか知れないほど、彼の言葉は強く放たれた。
「……そうかもしれない。君にとって僕は今なお、憎むべき存在なのに変わりはないのだろうし」
レオズスは自虐的な表情を浮かべた。
「けれども、今となっては全ては虚しくなるのみ、かな。今はただ、静かに終末を受け入れるしかないようだね」
それから、デルネアとレオズスは申し合わせたかのように、ともに北方を向いて押し黙った。
もはや戦いは終結した。
〈帳〉達とそして隷達も、レオズス達のもとに集まってきた。隷達はデルネアを取り囲み、手当を施そうとしたが、デルネア自身が無言で、しかし固く突っぱねた。
「みんな……ごめん」
レオズスはそれきり言って、うつむいた。何か言葉を紡ごうと口を開くものの、それは音にすらならない。
「……もう、終わりなの?」
力なく、サイファはぽつりとこぼした。その様子はまるで彼女らしくなく、生来のほとばしるような活気がみじんにも感じられない。
「ねえ! ライカ姉ちゃん達の――」
いたたまれなくなったジルは、ディエルの袖を引っ張った。
「お前に言われなくたって、分かってるってば! 今、見ようとしている!」
弟の言わんとすることを遮り、すぐさまディエルは自身の“力”――“法”と称される超常的な力――を用いるため、目を固くつぶり、音を発した。ディエルの体全体が淡い緑色の光に覆われる。
ディエルの“法”によってルード達の“力”の所在をつかめたのなら、彼らは無事なのだ。奈落から救う手だては見当すら付かないが、今はとにかく無事でいてくれれば――。
ディエルは目を閉じたまま、沈黙を続ける。
それがサイファを不安にさせるのだろうか、彼女は両腕を組み、祈る仕草を取った。
「大丈夫、ルード達はまだ無事だって」
ジルのいたわる声に、サイファはただ小さくうなずいた。
しかし――なおも流転する運命は彼らに、希望を残していた。それは、残されたほんの僅かな希望。奇跡というものにほかならない。
「……みんな、まだ諦めるのは早いぜ」
ディエルが目を開けて言った。
「かすかにだけど感じたんだ。ルードとライカ姉ちゃんは生きている!」
重苦しい雰囲気が、やや軽くなる。ルードが戻れば、聖剣は彼のものとなり、本来の力を発揮するだろう。しかし、どうやって戻るというのか。
(そうか……!)
〈帳〉は閃いた。そして彼は自分の考えを、奇跡のことを話した。
「ルード達はここに帰って来なければならぬ。そのかすかな希望を繋ぐのは――ライカ。今は彼女に託すしかない」
「ライカが……」
サイファは、先ほどルード達が落ちていった奈落を恐々と見下ろした。