フェル・アルム刻記
これは決して、孤独な戦いではないんだ、とルードはあらためて知った。デルネアの惑わしのみならず、自分自身の葛藤にも打ち克つためには、親愛な者達が側にいることが何よりの力となるのだ。
「ふん……気が変わった……さすが聖剣と呼ばれる剣。たいした“力”を秘めているものよ」
デルネアは余裕のていを崩さず、不敵な笑みをたたえながら言った。
「何人であろうとも邪魔はさせん。隷どもよ、お前達も控えておれ。我らの戦いに立ち入ってはならぬ! ……いかな手を使ってもルードを破るつもりでいたが、やはり聖剣だけは、おのが“力”のみで手に入れてみせる。それこそがガザ・ルイアートに対しての礼儀であり、また剣士としての名誉になろう……!」
デルネアは、戦いの悦びに打ち震えているようだ。世界の創造者ではなく、ひとりの剣士としての彼がそこにあった。
「我は楽しんでいるぞ、ルード、お前と戦えること自体にな! だが……お前の心が我には分かるぞ。隠し通せぬものだ」
傲慢な笑みはそして、すうっと消え失せる。
「――恐れだ。我を、そして戦いを恐れているのだ、お前は」
冷徹なまでの声が響いた。デルネアは容赦なくルードの精神を責め立てる。
ルードはたじろいだ。自分が隠していた感情が、とうとう見透かされたのだ。こうしている今でさえ、恐怖が沸き上がってきているのに。やはり恐るべきは、人をかくもあっけなく虜とするデルネアの戦術である。
しかし、その一方でルードは感じていた。活力を止めどなく送り込んでくれる聖剣の“力”を。今さっきまで感じる余裕すらなかったのだが、ライカとのやりとりを経て、急に感じ取れるようになったのだ。
ライカ。彼女の願いを成就させるために、自分はことを為さねばならない。サイファは自分自身のやるべきことを成し遂げたのだから、今度は自分の番なのだ。
「恐れ? ……そうかもしれない。いや、確かに俺は怖いよ」
その言葉は、はたから聞いて意外なものだったろう。が、ルードは、デルネアに対しての答えはこれしかないと直感した。恐怖を否定してしまったら、かえってデルネアの術中にはまる一方だろうから。
ルードの直感は果たして、正しかった。内なる敵――葛藤は、迷宮の出口を指し示したのだ。がんじがらめの呪縛から解けたかのように、すうっと心が軽くなる。聖剣もまた、所持者を讃えるべく、刀身から真っ白い光を放つ。その光に包まれたルードは、己の活力が増していくのを感じていた。
「……あえて恐怖を認めたか。覚えておくがいいぞ。いかに手練れた戦士や魔法使いであっても、恐怖の領域を切り開くということは、容易いようで難しいのだからな。……それでこそ聖剣所持者に相応しい」
デルネアは喜んでいるようだった。両の目に爛々とした獰猛さをたたえながら。
「しかしだ。だからこそ、容赦はせぬ……!」
デルネアはとんとんと、足を踏みならした。何かをはじめようとする、きっかけのように。
“名も無き剣”が蒼白く光り、そして――闘気が急襲した!
「――!!」
ルードは自身の感じるままに、また、聖剣に誘われるかのように、とっさに剣を突きだした。と、ちょうどガザ・ルイアートの刀身がある場所に、寸分違わずデルネアの剣が打ち据えられた。剣同士が唸り声をあげ、光がほとばしる。
デルネアの、何と恐るべき速さなのだろうか。彼はほんの一瞬で間合いを詰めてきたのだ。そして、木の棒を振り回すかのように軽々と、おのが剣を横に二度、三度薙ぐ。あまりの速さに、刀身の蒼白い光は光輝を後に残した。幻想的な残像に、ルードは見とれる隙すらない。次の瞬間には、あまりにも重い剣の一撃が加えられる。ルードは再び、剣の柄を固く握り、攻撃に耐えてみせる。
デルネアはすうっと剣をひくと、今度は目にもとまらぬ剣の突きを見舞う。ルードはじりじりと下がりながらも突きをかわしたが、それでも数撃は見切ることが出来ず、自分の腕に直に突きを食らうことになってしまった。
「くっ!」
斬りつけられた、その熱さと激痛が腕を伝って感じられる。ぱくりと割けた傷は、かすり傷と言えないほどに大きいものであったが、太刀筋のあまりの鋭さゆえか、血しぶきがあがることは無い。そして、その痛みもごく一瞬。ルードの傷はすぐに癒えた。大地の加護を受け、癒しの力を持つセルアンディルは、外傷などもろともしないのだ。
次にルードは勢いをつけて、自らデルネアの懐に入り込むと、光り輝く聖剣の一撃を見舞った。さすがのデルネアであってもたまらず一歩飛び退き、間合いを外した。
ルードは汗を拭いながらも、凛とした目つきでデルネアを窺う。ちらと横を見ると、ライカとサイファはこの隙に〈帳〉を介抱していた。それを見てルードは安堵した。一方、主の命令に忠実な隷達は、ただ立ちすくんでことの成り行きを見るのみ。
戦いはしばしの間、膠着状態となった。
しかし、静かなる戦いはなおも続く。デルネアのあびせる比類無き闘気の強さから、ルードは必死に耐えてみせた。その一方でルードは、かつて〈帳〉の館にてハーンから習った剣技の数々を思い起こし、反芻していた。
(見ていてくれよ、ハーン!)
気を取り直し、ルードは剣を下段に構えると、再び自ら駆けだした。
が、粘土のようにぬるり、とした地面の感触に足をすくわれ、少々体勢を崩す。ウェスティンの地には湿地帯など無かったはずなのに――。だが足下を見なくても、“混沌”と対峙していたそれまでの経験から、ルードは状況を把握した。
これは明らかに“混沌”の仕業である。それまで固かった地面が腐り、どろどろに溶けている。こうして戦っている間にも“混沌”は我関せずと、じわじわと攻め寄ってきているのだ。
終焉の時は近い。
ルードの足下がふらついた一瞬の隙を逃さず、デルネアはルード目がけて突進してきた。ルードが気付いた時にはすでに遅く、目の前にはデルネアの巨躯が迫っていた。
「ルードぉ!」
その声は、ライカのものだったろう。ルードがそう思う間もなく、ごすっ、という鈍い音とともに、ルードは十ラクほど吹き飛ばされる。渾身の体当たりの衝撃のために、あばら骨が折れたのだろうか、激痛が走り、一瞬意識を失いかけた。かろうじて、聖剣を手離しはしなかった。
地面に放り出される際の、ぐにゃり、と柔らかい地面の感触に嫌悪感を感じつつも、ルードは素早く起き上がった。目の前には早くもデルネアが駆けつけており、剣を真横に構え、ルードの首のみを狙っていた。ルードは殺気を感じ取り、とっさにかがむ。
間一髪。デルネアの剣が頭の上をかすめ、後ろ髪の数本が切り落とされた。セルアンディルであっても、首が飛んでしまったら命を失うだろう。ルードは高ぶる鼓動を抑えながらもデルネアの剣から必死にかいくぐった。起き上がる機会を逸してしまったため、臭気が鼻につくぬかるみに座り込んだまま、デルネアを見上げるようにして剣で応戦する。とはいえ、この体勢ではいずれ近いうちにデルネアの剣の餌食になってしまうだろう。
(どうする?)