フェル・アルム刻記
四. 錯綜
ガザ・ルイアートと“名もなき剣”。そしてそれぞれの所有者の“力”が交錯しあう。二振りの剣は、己の持つ“力”を相手に知らしめんとするかのように、刀身からまばゆいまでの光をほとばしらせる。その二つの“力”の衝突におののくように、暗濁たる黒い空は打ち震えた。
剣の発するまばゆさにルードは目をくらませ、これら超常的な事象の中で、とある奇妙な感覚にとらわれるのだった。
(なぜ、俺はここに立っているんだ?)
自分が剣を握りながらも、まるで自分自身ではなくなっているかのような喪失感。今まさにデルネアと戦っているのだと認識してはいるが、その意識はまるで高いところから、あたかも俯瞰的に状況を捉えている感覚。 自分がいて、その横にはライカとサイファが息をのんで見つめている。後ろにはジルとディエルが控え、固唾をのんで見守っているのすら分かるようだ。
ほんの数ヶ月前まで、一介の羊飼いの少年に過ぎなかった自分が、聖剣と称される剣を所持している。そして今や、この世界の創造者と戦っているのだ。それが、自身が感じている違和感の原因かもしれない。
が、次にこう思った。今この時点になって唐突にそのようなことを想起することすらも、デルネアの惑わしの力、比類無き“力”によるものなのかもしれない、と。ルードは意識を集中させた。
ルードは先ほどからデルネアの表情を間近に見ている。デルネアは憤怒の表情を浮かべながら、ぐいぐいと力任せに“名もなき剣”をルードに押しつけてくる。ルードは、両手で聖剣の柄を固く握りしめ、デルネアの攻撃を必死にしのいだ。
デルネアの剣技は圧倒的に鋭く、重い。比類無きその技量は、かつてのレオズスを倒した英雄として、そしてフェル・アルムの調停者として、まさに相応しいものに違いない。
加えて、デルネアの全身から発する凄まじい威圧感が、容赦なくルードに襲いかかる。
それは殺気。デルネアは何としても聖剣を手に入れようと必死なのだ。そのためにはルードを殺すことなど、なんの躊躇もなくやってのけるだろう。ルードは歯をぎりぎりと食いしばりつつも、デルネアの猛攻を防ぐのがやっとだった。
デルネアとの戦いは、世界の命運そのものを賭した戦い。剣を突きつけつつも、世界のあり方を主張しているのだ。
しかし戦いなどは本来、崇高なものではない。かつての自分がそれを思い知っているからだ。ルードの胸中には、幼かった頃に村を襲った惨劇が去来した。
――幾千の蹄の音と怒号。ばちばちと音をあげ、狂おしく燃えさかる炎。戦いの悦びに狂乱したかのような戦士達の刃にかかり、断末魔の悲鳴を上げる村人達――。
村のつつましやかな平穏は、かくもあっけなく蹂躙され、もとに戻ることはなかった。戦いとは、そういうものなのだ。
今、剣を交えている相手は、これまでルードが戦っていたような、忌まわしい魔物ではない。人間なのだ!
デルネアというひとりの人間を殺さねばならないのか? 自分は人を殺そうとしているのか?
手が震える。汗がにじむ。ルードは心の中でかぶりを振った。
(違う! 殺そうとしてるんじゃあない! デルネアのほうは、確かに俺を殺そうと考えているのかもしれない。でも俺は、デルネアを殺すわけにはいかないんだ。還元の方法をデルネアから聞き出さなければ! そのためにはデルネアの考えが間違いだってことを、気付かせるしかない……けれど、どうやって?!)
デルネアに心の迷いを気取られないようにと心に留めながらも、ルードは必死で剣を押し返そうとした。
ふいに、それまでルードの腕に重たくのしかかっていたデルネアの力が消え失せた。ルードは勢いあまって二、三歩よろめいた。
今まで剣を交えていたデルネアは、ルードの目の前からいなくなっていた。デルネアはルードから離れ、彼がもと立っていた場所まで、ほんの一瞬のうちに移動していたのだ。
デルネアは剣を構えながらも、鋭い眼差しでルードを威嚇している。そして――デルネアの横には〈帳〉が倒れている。デルネアの刃に倒れ、意識を失った〈帳〉が。
〈帳〉さんが、死ぬ?
この時になってルードは、自身の鼓動が胸から飛びださんとするくらいに大きな音を立てているのが分かった。同時に、まるで滝のように体中から汗が湧いてくる。
自らの死への恐怖。人が死にゆくことへの恐怖。恐怖と、戸惑いとが複雑に絡み合ったような奇妙な感情は、ルードを束縛して離そうとしない。
ルードは迷いをうち切るかのように、大きく息をついた。ふたたび剣を構えて、デルネアの一挙一動を見守べく、きっとした眼差しで見据える。しかし、一度喚起されてしまった恐怖というものは、そう簡単に払拭されるものではない。
(違う! 俺は恐れてなんかいない!)
そう奮い立たせても、ルードの心は深く沈んでいくのだった。デルネアの体がひどく大きく見える。この人物に戦いを挑むこと自体、無謀きわまりないことなのではないか?
ルードは、デルネアの術中に陥ったことが分かりながらも、どうすることが出来なかった。
* * *
デルネアは無表情のまま、横たわる〈帳〉を足でつついた。わずかながらに〈帳〉は呻いた。
「やめて!! 何をするの!」
たまらずに叫び声をあげたのはライカだった。
「どうもせぬ。〈帳〉も、すでに自ら止血を行っているようだな……」
デルネアは相も変わらず慢心した態度で、ことも無げに言ってのけた。
(まさか、〈帳〉さんを盾に取るつもりなのか?)
用心深くデルネアの様子を窺いながらも、ルードはそう考えていた。もし、デルネアが〈帳〉を人質に取り、聖剣を渡すよう言ってきたのならば、どうするだろうか? それでもあくまで「否」と言い切れるほど、ルードの心が非情でないことは自身もよく分かっていた。
(人の命は重い……。多分、俺は戸惑うんだろうな……)
苛立ちを隠しきれず、ルードは軽く下唇を噛んだ。
その時、いたたまれなくなったライカが、〈帳〉のほうへと駆け寄ろうとした。おそらくは、彼を介抱しようというのだろう。が、ルードはとっさにライカの肩をつかみ、制止した。
「ルード、なぜ?!」
振り返り、ライカは非難の声をあげる。
「ご、ごめん……」
ルード自身、自分がなぜこのような行動をとったのか戸惑った。彼の本心は断じて〈帳〉を救うのを止めさせたいわけではないのに、彼の感覚がそれを押しとどめた。
「ううん。ルードの行動は正しい、かもしれない。ライカ、分かってやってくれないか。もしもあなたがデルネアにとらわれてしまったら、ルードだって手出しが出来ないだろう?」
ルードの心を代弁するようにサイファが諭した。ライカは不満と苛立ちの色を隠しきれないようだが、それでもうなずいた。
「ライカ、もう少しの間辛抱してくれ。そしたら〈帳〉さんを介抱してやってほしい。俺がデルネアと戦っている時に!」
ルードは再び光り輝く剣をデルネアにむけて構えた。不思議なものだ。先刻まで恐怖に駆られていた心が、仲間達を見ているだけで落ち着くというのは。