フェル・アルム刻記
「そうか、烈火か! たしかに、あの精鋭達だったら何とかなるかもしれないな! ……だけれども、あれを動かすのは、サイファさんじゃあないと出来ないんだろう?」
シャンピオが唸った。
「じゃあ、おいらが姉ちゃんのところに行ってくる! 姉ちゃんが命令すれば動いてくれるんだろ?」
ジルが言った。
「兄ちゃん、魔物が現れるまでって、時間はまだ大丈夫なの?」
「ええっと……多分まだ時間はあるぜ!」
「分かった! じゃ、行ってくるよ!」
手を軽く挙げて挨拶をすると、ジルは一言“音”を発し、その場から消え去った。
「はあ……」シャンピオは間の抜けた声をあげた。
「ルード達のしていることにも驚いたけどな、あんた達の力っていうのも……なんて言ったらいいのか……いや、神様ってやつをあらためて信じたくなってきたよ」
「そりゃそうさ! オレ達はトゥファール様、力を司るアリュゼル神族の使いなんだから!」
ディエルはさも得意そうに胸をはった。
「神様を“信じる”っていうのか、ここの人達は。アリューザ・ガルドに戻った時には、ちょいと考え方の違いってやつに戸惑うかもね。なんせ、神様がいるのなんて当たり前って世界なんだからさ。アリューザ・ガルドは――」
その時。
ディエルはまるで驚いたかのようにぴくんと背を伸ばした。何を感じ取ったというのだろうか。彼はひとりつぶやいた。
「近づいてくるこの“気”は、まさか! ……ううん、間違いない……! まだ時間がかかるか?! 早く!」
* * *
デルネアとの攻防を終えた後、即座にルイエはきびすを返してやや後方に下がると、後方に留まっているメナード伯に対して、精一杯手を振って合図を送った。
「伯爵も気付いてくれたようだ。これでみんな、ここから逃げおおせられるだろう!」
再びルイエはルード達のもとに戻り、満足げに言う。
デルネアと対峙していたルード達は、顔を見合わせていた。お互い、一種の達成感が見て取れる。まったく絶望的な状況の中にあっても、一筋の希望がそこにあったのだから。
「あなたの勇気には敬意を表する」
〈帳〉がルイエの肩をぽんぽんと叩いた。
「デルネアがこの世界ではじめて屈した相手というのは、おそらく、あなたなのだろう」
それまで頑なだったルイエも、今はひとりの女性――サイファに戻り、安堵の表情を浮かべていた。
「私はルイエとして為さなければいけないことを、そのまま為したに過ぎないわ。烈火をこの地に招いてしまったのは私のまいた種。私の責任でもあるのだから」
よほどあの一瞬に精神を集中させていたのか、少々やつれて見えるサイファは、それでも気丈に言った。
「私も危なかった。なんと言えばいいか……魂をすっぽりと抜かれてしまうような感じすら覚えたんだ。デルネアの“力”はあまりにも強過ぎる」
それでもサイファは笑みを見せ、ルード達に握手を求めた。
「でも、ルイエとしての役割を果たせたのは、みんなのおかげだと思う。ありがとう」
そう言うと横を向いて、照れくさそうな仕草をしてみせる。ルード、ライカ、〈帳〉はそんな彼女を微笑ましく感じながらも彼女の手を握り、サイファを励まし称えるのだった。
「で、これからあなたはどうするんだ? みんなをまとめてサラムレに行くのか?」
ルードの問いかけに対し、サイファはかぶりを振った。
「住民達の避難は、メノード伯爵に任せたいと思う。私は、君達と一緒にここに残って、ことの顛末を見届けたいんだ」
「あなたも分かってるとは思うけど、危険なのよ?」
「もちろん、それは分かってるよ。でもライカ。私もこの事件に足を踏み込んだ身。最後までみんなと一緒にいたいんだ」
「分かったよ。俺達のことを見ていてくれ」
ルードが言った。
「陛下!」
その時、メナード伯が駆けつけた。彼は荒ぶる息を抑える間もなく、主君のもとにひざまずいた。
「陛下のご活躍、この老体はいたく感服いたしました……陛下のご勇姿は、永く語り継がれることでありましょう」
ややも大げさかもしれないが、メナードの言葉には真理が含まれていた。ドゥ・ルイエが放った勅命を自ら撤回することは言語道断であり、恥ずべきことである。しかしサイファはそれを知りつつも、窮地から民を救うためにあえて勅命を撤回したのだ。彼女の心の中に芽生えた決意と勇気。それがルイエの英断を生んだ。
サイファはくすりと笑って、メナードに立つよう言った。
「そう固くならずともいい。立ちなさい。メナード殿、それに周りの方々よ」
「はっ」
メナードは言われるままに、すくりと立ち上がった。国王その人を前にして、緊張しているのがありありと伝わってくる。
「……あなたには避難民の統率をお願いしたい。無事にサラムレに着いて人々が安息を得られるよう、よきに計らってほしいのだが」
「仰せのままに」
メナードは深礼をして応える。
「して、陛下はいかがなされるおつもりなのでしょうか? これより先、我らを率いてくださるのであれば、まことありがたいのですが」
「いや……私は……」
サイファは、やや表情を曇らせて言った。
「姉ちゃん!」
サイファの言葉に割って入るかのように、ジルの声が聞こえてきた。次にジルが空間を渡って実体を現し――すぐさまサイファに飛びつく。
「よかった、無事で! さすがは国王陛下だね!」
「ジル!」
ややよろけながらサイファはジルの体を受け止め、彼の頭を優しく撫でた。
「ありがとう。君のおかげだ。……ん? ジル? ひょっとしたら、結構泣き虫なのかな、君は」
「ち、違うやい!」
ジルは両目をこすりつつも強気に言ってのけた。
「これ! 降りんか! 失礼にもほどがあるぞ!」
メナードは目をつり上げて注意を促すも、サイファはそれを制した。
「いいんだ、ジルは私の小さな友人だよ。それに、ジルが珠を創って使い道を教えてくれたから、巨大な私の像を皆に見せることが出来たのだ。ジルの力が大きな助けとなった。……でもジル。どうしてまたこっちまで来たんだ?」
「ああ、そう! そのことだよ!」
ジルはぽんと手を打ち、地面に降り立った。
「ディエル兄ちゃんが言ったんだ。百を超すほどすごい数の魔物がもうじき現れるって。でも、こっちにいる戦士じゃあそんな数を相手に出来っこないんだ。だからお願い。あの赤い戦士達を向かわせてくれないかな?」
「魔物が来るって? それはどのあたりなんだ?」
「……! ご覧、サイファ。右手の遠く、あのあたり……私には霞んでよく見えぬのだが、あなたには見えるだろうか? あれらは、確かに今まで目にしたこともないくらいの数だ。“混沌”の力が強まっているゆえなのか……」
半メグフィーレほど北方ではあるが、この地からでも明らかに分かる。暗黒に覆われた空の下にあってすら、さらに黒く光る禍々しい球体が一面に出現していた。間違いなく、魔物が現れる前兆である。
「百どころじゃあ……とてもじゃないけれどもきかない数だ」
ルードも唇を歪ませて呆然とする。
サイファはしばし、北方の有り様に目を凝らすように見つめていたが、言葉を切りだした。
「分かった。烈火に当たらせよう。烈火に勝ち目は?」