フェル・アルム刻記
「“力”の所在は一つのみ、か。もう一つの“力”が確かに存在していたのだが……どこへ行ったのか知れぬ。だが今、目の当たりにしている“力”でこと足りるであろう。ともあれ、我が探していた“力”がその剣だとは……そも、その剣がこの地にあるとは、我にとってすら驚嘆に値するもの。ルードよ、その剣がなんたるか、知っているか?」
ルードは、腰に下げている剣に手をやったが、真実を語るのをためらった。
「無駄なことだ。我を前にして物事を隠しとおすは賢明でないぞ。その剣こそがガザ・ルイアートだ。さあ、その剣がどのようなものだったのか、知っているだろう。言うのだ」
デルネアは、まるで全てを見通しているとでも言うのだろうか? ルードは内心焦りながらも言葉を紡ごうとするが、真実を語る以外に持つべき言葉はなかった。
「ずっと昔に冥王を倒した聖剣だって、聞いている」
「しかり。かように大きな“力”を持った剣だ。よもや聖剣がこの地にあろうなど思いもしなかったが、それこそがこれからの世界を切り開く、大いなる“力”の一端となるのだ」
デルネアはまた一歩近づいくと、自身の剣を抜きはなった。刀身はほのかに、そして妖しげに蒼白く光り、剣自体がこの世ならざる次元にて創られたものであることが見て取れる。
(まさか、戦おうというのか?!)
ルードは剣の柄に手をかけようとするが、とっさの判断が出来なかった。明らかに、デルネアの言葉に魅入られているのが分かる。
「……そう構えずともよい。我は戦いを望まぬ。お前の返答次第ではあるが、な」
デルネアのぎらりとした眼光に気圧され、ルードは動けなかった。デルネアはルードの様子を気にかけるわけでもなく、自身の剣を見つめると、穏やかに語りはじめた。
「かつて、宵闇の公子を倒すために我は……我が友とともに異界へと赴き、この剣を我がものとした。結局、彼を失うこととなってしまったがな……」
デルネアは剣を持ち直し、その切っ先を地面に突きつけた。
「ユクツェルノイレか」
〈帳〉の言葉にデルネアはうなずいた。
「……彼の死は、我にとっても大きな痛手だった」
デルネアは語った。やや悲しげに声が揺れて聞こえるかのようだったが、それは気のせいなのだろうか。
「剣を入手した我《われ》が帰還のためにその空間を漂っている時、偶然にも空間を閉鎖させるすべを知った。我は理想郷創造のために、そのすべを行使することを決意したのだ。そこには戦いなどなく、恒久たる平穏のみが存在する――ユクツェルノイレのような悲劇を生むこともない――」
デルネアは言葉を切った。
「“混沌”が来る前に話を終わらせよう。すでに魔物の気配がある。ほどなくこの地にも黒い雲が押し寄せるだろう」
魔物の気配がする。それはデルネアの言葉どおりであった。
遙か後方、避難民の間からは動揺の声があがっているのが聞こえる。おそらくは“混沌”の先兵達がすでに出現しているのだろう。かん、かんと乾いた剣戟とともに、魔物達の声が聞こえてくるようだ。どのような状況になっているというのか? デルネアと対峙しているため、振り向けないのがルードにとってもどかしかった。
「ルードよ、お前のその剣、我がもらい受けるぞ。聖剣の“力”を手に入れたその時こそ、我は理想郷を――“永遠の千年《フェル・アルム》”を創造し得るのだ」
そう言って、デルネアは片手をすうっと伸ばした。友の手をたぐり寄せる動作にも思えるその行為自体が、親しみのあるものにすら思える。
「ルード」
〈帳〉が小声で諫めるのを聞き取り、ルードは我に返った。
(デルネアの言葉は……危険だ!)
ルードはあらためて思った。デルネアの話すこと、その一節一節がルードにまといつき、捉えて離さないかのようだ。それはとても心地よいものだが、気持ちを委ねてしまってはならない。魅入られたら最後、デルネアの思うつぼなのだから。『自身を強く保て』という〈帳〉の言葉が思い起こされた。ルードは、自身を強く保つべく、揺れ動く気持ちを必死に押さえようとした。自分達は何のためにここにいるのか? ルードは後ろに控えているライカをちらと見て、うなずいた。その答えはすでに見つけている。
自然と、ルードの口から言葉がついて出た。
「断る」
凛としたその響き。確固たる思い。言葉は周囲に響き渡るかのようだった。
* * *
デルネアは姿勢を崩さずに、眉をぴくりと動かした。
しばらく、沈黙が周囲を覆う。空気がさらに重々しくなるのが感じられる。
ルードは自分の鼓動がどくどくと音を立てているのすら感じとっていた。しかし迷いはない。ルードは、きっとデルネアを見据えると、もう一度言った。
「俺はこの剣をあなたに渡すつもりはない。俺達は、俺達自身の手で“混沌”を消し去る!」
言ったルードは、剣を鞘から抜き去る。ガザ・ルイアートはルードの思いと呼応するかのように、刀身から光を放った。
「そして俺達は、フェル・アルムをアリューザ・ガルドへと戻すんだ!」
「……痴れ言を。なぜに理想の実現を拒むのか、理解出来ぬ」
デルネアは剣先をルードに向けた。しかしそれのみならず、彼の身体からは圧倒的なまでの闘気が放たれている。
「お前と、そして〈帳〉が考えているのは、このフェル・アルムという世界自体を否定することになるのだぞ。フェル・アルムが創られてから、民はこの世界のみで生きてきたのだ。お前は、そんな民の思いすらも裏切ろうとしているのだ。この世界全ての民に対し、『今までの世界、歴史は間違っていた』と言い切れるだけの力がお前自身にあるのか?」
「たしかに、それは酷なことなのかもしれない」
デルネアの放つ威圧感を体中で受け止めつつも、ルードは言った。
「そうだろう。ならば――」
「でも! わたし達はそれを知った上で、世界を元に戻す!」
デルネアの言葉を押し切ったのは、ライカだった。
「我の言葉を止めるとは大した度胸だな、アイバーフィンの娘よ。お前がこの地にあること自体、歪みを生む原因になっているのだぞ」
デルネアは歪んだ笑みを浮かべた。
「いくらあなたが“力”を持っていたと言っても、世界を創りだす、なんてことは出来やしないわ。アリュゼル神族にしても、世界をまったくの無から創り出したわけじゃあないもの。……あなたの言葉からは、歪みを生んだ全ての原因がわたしにあるように聞こえるけど、そうじゃない。世界自体が変わろうとして、歪みをつくり上げてしまったのだから。あなたはフェル・アルムを操っているのかもしれないけど、かんじんの世界がどう動こうとしているのか、そういうところには目を向けてないのね?」
「デルネアよ。悲しいかな、自身の絶対を信じるがゆえに事態を把握出来ぬ者よ。世界自体が還元を望んでいるのだ。これを押しとどめておくことは我らには不可能というもの。たとえ暫くの間の平穏を手に入れたとしても、再び災厄はやってくるだろう。今以上の歪みとともに」
〈帳〉が言った。
「たとえ貴公がどのような力を持とうとも、自然の摂理をねじ曲げることは不可能なのだ」
「俺達は――新しく切り開いてみせる! あなたの力には頼らず、自分達の手で!」