歴詩 集
少々の解説を
時は1184年1月20日、義経26歳は兄・頼朝の命を受け、宇治川から攻め上がり、京で悪行を振るっていた木曾義仲31歳を討った。
その後、一の谷ひよどり越えで平氏軍を破り、屋島の戦い、壇ノ浦へと。
それらの戦いにすべて勝利し、平氏を滅亡させる。まさに四連勝の騎虎(きこ)の勢い。
義経は都へと凱旋した。
そして祝いにと後白河法王の宴席に招かれる。
そこで都一番の白拍子・静御前18歳が舞った。その様は、自由に野山を舞い飛ぶ蝶のように。
義経と静、それはまるで赤い運命の糸をたぐり寄せられたかのように出逢ってしまったのだ。
そして二人は恋に落ちる。
だが、そんな二人に不幸が。
兄・頼朝は義経の朝廷への接近が気に食わない。結果、義経追討の命を全国に下す。
ここから二人の逃避行。
義経は静御前を連れ、京から西国へと逃げようとする。しかし、吉野山まで来たが、そこは女人禁制。静御前が入山できない。
その時すでに、愛の結実、静は身ごもっていた。身動きが取れない。
しかし、そこで義経は……、
静を思い、そして我が子を思い、決断した。静御前を都へ返そうと。
それから義経はいずこかへと……、いや奥羽へと、一人旅立つ。
京へと戻った静御前、やはり捕まり、鎌倉へと送られる。
そして、兄・頼朝と義姉・政子に所望された、都の踊りをと。
静御前は六ヶ月の身重ながらも、鶴岡八幡宮の舞台で美しく、そして威風堂々と舞った。
1186年7月29日、義経の男児を出産。
されど、静にさらなる不幸が。
頼朝と政子はその稚児を由比ヶ浜の海へと投げ捨てた。
これで静御前はすべての希望を奪われてしまった。
憔悴し切った静御前、その後鎌倉から解放されるが、その行方は……、今もってわかっていない。
こんな静御前の悲痛な想いを、詩にしてみました。
また、「You Tube」に。
URLは次です。
http://www.youtube.com/watch?v=M45XUGuLhaM
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☆ 参考小説
鮎風遊の「あなた待ち島」
http://novelist.jp/40030.html