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歴詩 集

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少々の解説を

 戦国の世を、父の汚名を背負い悲しくも、されど激しく逝った細川ガラシャ。
 永禄6年(1563年)、珠(たま)は明智光秀と妻・煕子(ひろこ)の三女と生まれる。15歳となった美姫の珠は織田信長の仲介で細川忠興(ただおき)に嫁ぐ。

 忠興は細川輝経の養子だが、実父は戦国時代に織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の三英傑に仕え、そして生き抜いた細川藤孝(幽斎)。忠興は父同様文化人であり武人であった。

 忠興と珠は仲の良い夫婦で穏やかに暮らしていた。しかし世は戦国、幸せはそう長くは続かなかった。
 結婚4年後の天正10年(1582年)6月に本能寺の変が勃発。父、明智光秀が織田信長を討ったのだ。光秀は羽柴秀吉の備中大返しで、山崎の戦いに敗れ、小栗栖(おぐるす)の竹藪で討たれた。

 これにより珠は「逆臣の娘」となった。そして、夫、忠興は珠を丹後の味土野(みどの)へと隔離、幽閉する。
 余談になるが、味土野は丹後半島の山深い中にあり、冬は豪雪で、珠はこんな鄙びた所で暮らしていたのかと驚きを禁じ得ない。

 それから2年の歳月が流れた。天下人となった豊臣秀吉は珠を細川家の大坂屋敷へと呼び戻した。それでも監視は厳しいものだった。
 失意の中にある珠、その後、生まれた子供も病弱であったことも重なり、心が癒やされることはない。こんな苦しみの救いを求め、忠興の九州征伐(1587年)時に、身を隠し教会へと行った。

 その時面会したコスメ修道士は珠について述べている。「これほど明晰で、果敢な判断ができる日本の女性と話したことはなかった」と。
 珠はその時洗礼を望んだが、それは叶わず、後日自邸で密かに受ける。その洗礼名がガラシャ(神の恵み)。

 そして慶長3年8月18日(1598年)、豊臣秀吉没す。これ以降、慶長5年(1600年)の石田三成を中心した西軍と徳川家康の東軍との関ヶ原の合戦へと突き進む。
 これに際し、忠興は徳川家康に従った。そして上杉征伐に出陣する。

 これを嫌った石田三成はガラシャを人質に取ろうとした。しかし、ガラシャはこれを強く拒否。そして三成は実力行使で、屋敷を兵で囲わせた。

 これによりガラシャは覚悟を決めた、自害することを。
 しかし、宗教上それは許されない。ガラシャは家老の小笠原秀清に命じた。

 部屋の外から襖越しに槍で胸を突け!
 その後は遺体が残らぬよう、屋敷に火を放て! と。
 そして、辞世の句を詠んだ。

── 散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ ──

 美しき姫が駆け抜けた戦国の世、それは儚くも激しいものだった。


作品名:歴詩 集 作家名:鮎風 遊