昭和の旧車名車とともに 第一部
ダイハツ フェローSS
昭和45年、1970年といえば世中大きな動きがあった年でね、大阪万博、よど号ハイジャック、大阪ガス爆発、アポロ13号奇跡の生還。また「黒猫のタンゴ」が大ブレークしビートルズが解散したという年でもあります。今この写真を見ると未だ「オーモーレツ」と加藤ローザのCMが浮かんできますが、時は「モウレツからビューティフルへ」に移り変わろうとしていました。
その頃の話
ダイハツの軽四輪、マッチ箱を二つ重ねたようなフェローSSは兄の車で、これで高知県中村市(現四万十市)からはるばる夫婦二人で香川県までやってきました。簡単に言いますが山道を250kmですよ。未だと耐久かラリーのようです。
兄はそれ以前昔々のコロナに乗っていました。通勤で四万十川沿いの未舗装の道を夜走っていると何かの音と同時に車は制御不能となり、ガードレールも無い道から四万十川へまっさかさま。しかし木々が彼を助け、命からがら帰ったそうでその時母の顔が浮かんだといいますから母親というのは偉大なものだと感じます。後で調べるとマフラーが折れ、それが地面に掛かって車が右へ向いたらしい。それで車を廃車にし購入したのがダイハツフェローSSの中古でした。
まだ中学生だった私はこの車の四角さが好きでしたね。SSとあるバッチもばっちり決まって、白のボディーに黒のグリル、横には赤のストライプ。内装はプリンススカイラインのそれを思い出さす三連の丸型メーターに細身のナルディー風ディッシュハンドルとスポーティーでかっこいい!ホンダがNでパワー競争に火をつけダイハツが受けてたった2ストローク2気筒は軽の中ではパワーがありました。当時は・・・ですよ!
その兄がせっかく来たのだから小豆島へ行こうと言い出します。高松の沖にある小豆島、二十四の瞳の舞台です。兄夫婦と母、私の4人+ポメラニアン1匹があの小さい車に乗り込むと恐ろしく狭いです。
独立懸架でしたから駐車している後ろ姿は逆ハの字、四人乗るとネガキャン効いてハの字になる、そんな小さな車でも自家用車で移動は楽しい時代です。まずは高松へ、どの車も同じようなものですから特に迷惑かけること無く高松には着きます。そうしてフェリーで土庄へ。さてフェリーを降りて向かうは小豆島の山にあり、秋になると見事な紅葉が見られる有名な景勝地『寒霞渓』です。そこは瀬戸大橋が着くまでは小学校の修学旅行がよく訪れていた場所でした。
作品名:昭和の旧車名車とともに 第一部 作家名:のすひろ