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「既遂・第2章」

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 この世界を、この国で芽吹いた生命を、魔術の研究に捧げ、そして、同じ名を持つ何人もの作り上げた大魔術と、長い歴史。それを、自分の言動ひとつで崩壊させるわけにはいかない。
 そう、キースの曽祖父のように。
(――僕は、先代の人間のように、最後まで気丈でありたい)
 首元に刻まれた大魔術の紋章に、そっと手を当てながら、改めて、この守りたい世界を一望した。

 賑やかな貴族街を抜けると、商業街へ続く大きな通りに入る。
 貴族の者が多く住居を構える貴族街よりも人が多く、店を開く準備をする者もいれば、早々と露店を開いている旅の行商人もいた。たまたま目に入った小太りで髭の生えた行商人の男は、物珍しい色や柄の陶磁器を売っており、道行く人々の足を止めている。
 さらに、その向かいでは、赤い長髪を携えた狐目の女が、この近辺で採取できる茶葉を販売していた。あの陶磁器はどこの国で製造されたものなのだろう、あの茶葉からはどんな味と香りの紅茶が作られるのだろう。
 いつかディストに調達させて、吟味してみようか。そんなことを考えているうちに、華やかさがどんどん遠ざかっていくと、次は薄暗く、閑静な通りに出た。
 人の少ない大きな公園が印象的で、公園の周りを青々と生い茂った木々が風に揺れては、ここだけはまるで初夏の涼しげな音が奏でられていて、不思議な気分に苛まれる。
 先ほどとは打って変わったこの静かな世界に、セルビアは心地よさを覚え、学校に行く途中だと忘れてしまうほど酔い痴れていた。
 季節が巡る様子を、この小窓から毎日堪能することができる、こんなさわやかな登校が四年も続くのかと思うと、魔術学校に入学できたことが、つくづく幸運なように思える。

 胸いっぱいに花の香りがする風を吸い込んだそのとき、馬車馬の甲高い嘶きと揺れで、夢見心地な気分から一気に現実へ引き戻された。
 馬車の中がどよめきで渦巻いたが、セルビアはそれよりも、外の様子が気になり、小窓の緞帳に手を掛けようと手を伸ばす。
 それと同時に、何かが高いところから地面に身体を叩きつけられた音が聞こえ、戸惑う生徒たちの悲鳴を背に受けつつ、開いた小窓から身を乗り出して、正面の様子を伺う。
 赤茶色の煉瓦で舗装された道の上に、キースがうつ伏せに横たわっていた。
 それだけで、ひどく動揺してしまったが、目の前に広がる光景は、先ほどまでの華やかな光景が嘘のようだと思えるほど、凄惨で惨憺たるものだった。
 街路樹に強い力で押し付けられた者や、無我夢中で逃げ惑う者、怪我をして逃げることが困難になり、迫り来る死に泣き叫ぶ者。
 そこはまるで、阿鼻叫喚の世界――この目に焼きついて、離れなくなったあの日の記憶と、自分が何よりも恐れたものと、よく似ている。
 セルビアの視界の中で、唯一、地に両足をつけて立っているのは、まるで身体に闇を纏っている、漆黒の衣の男、ただ一人だった。

 間違いなく、奴は人間ではない。この世界に害悪を齎す存在だ。
 だが、そこに畏怖も憂惧もない。
 そう、あのときの自分とは違う。
 あのときの今の自分とは違って、戦える力がある。

 その過信だけで、錠の下りている扉を壊し、強引に開け放すと、キースが気を失って伏せている地と同じ場所に立つ。
 同時に、黒衣の男と同じ地面を踏みしめているということにもなるが、そんなことを感じている余裕など、微塵もない。兎にも角にも、キースが心配で、素早く駆け寄っては、身体を強く揺さぶった。

 そのとき、キースを抱き上げた背中にゆらりと黒い影が忍び寄り、セルビアは退路を封じられた。
 馬車からは離れた場所にいたはずの黒衣の男が、そこに立ち塞がっていたのだ。
 まさに、窮地といえる状況にいるのだが、その状況でさえ、自身の功績に変えてみせようと、自信過剰に笑みを浮かべた。
 不安や心配など微塵もない。背を向けていた男を振り向き、次は大胆不敵な笑顔を見せつけると、毅然として、男の正面にはだかる。
 少しくらいなら大掛かりな争いごとをしても問題はないだろう。街の治安を守るためだと、意気揚々と魔術を唱える構えを取り、声を上げて叫ぶ。
「僕の名はセルビア・アルヴァージュ! アルヴァージュ家の現当主で、ゆくゆくはこの世に蔓延る、全ての吸血鬼を討つ存在だ!」
 人差し指を突きつけたセルビアの挑発に乗った男が牙を剥き、彼に向かって一斉に飛び掛かる。
 その動きの速度は人間のそれではなかったが、真っ直ぐに飛び掛かることしか脳にないため、避けるのは容易だ。
 何せ、吸血鬼の脳の容量は人間よりも小さく、思考も短絡的である且つ、身体能力に任せ、本能で動く性質がある。
 ゆえに、次の行動パターンを簡単に予想できるのだ。
「まだ話の途中なんだけどな……」
 不服そうに舌打ちをし、魔術の紋章の刻まれた左手を空に高く掲げ、右手の人差し指で魔術の術式を宙に記していく。
 とりあえず、足を封じてしまえば、あとはどうにでもなる。
 ならば、太陽の光程度では溶けないほど、冷たい氷で凍てつかせてしまえばいい。
 そう考えながら、大気中に潜む魔法成分から回収した核を属素(エリクシール)に変換する式、対象に見合った効果を発揮するための式、変換した成分の量、発動する術の規模、威力などを調整する式を、一字一句、間違いなく書き綴っていきながら、唇は式によって生み出された氷を、導き操る言葉を紡ぐ。
「軈て終焉を迎える身体、凍てつく霊棺に、其の身を閉ざし――」
 指先に、核(マナ)から氷に変わっていく冷たさを感じながら、術式と詠唱を瞬時に完成させると、宙に記した術式が灰青く光を放つ方陣に変わる。
 空に向かって伸ばしていた左手をさっと地面につくと、方陣もそれに倣った。左手の甲の赤く光る紋章と、方陣の青い光が混ざって溶け合うと、まるで威力を発揮されるのを待ち焦がれているかのように、地面一体に紫の光を放っている。
「今、此処に汝を封印す!!」
 その一声が街中に響いた瞬間、方陣の円の中心から、鋭く尖った氷が白く冷たい煙を散らし、大地を裂いて進みながら地を走った。
 連なって走る氷の山脈が、標的である吸血鬼の男にまで辿り着くと、下半身をみるみるうちに凍らせ、氷山の山頂は、鋭利な刃と化し、腹部を貫く。
 吸血鬼の瞬発力や敏捷性ならば、容易く避けられるはずなのだが、セルビアは大気中の水分を氷に変換したのではなく、吸血鬼の体内にある水分を奪って氷に変換し、一時的な脱水症状に陥らせることで、動くが鈍ることを狙ったのだ。
 恐らく、その脱水状態も、驚異的な回復力を持ってすれば、一瞬だろう。
 ならば、それよりも早く始末するまで。
 地面に青い血が滴り、酸素に触れて黒くなった血溜りに、氷の切っ先から血が滴り落ちていく音を聞きながら、再び笑みを――今度は、至極残酷な笑みを浮かべた。
「せっかくキレイに凝結してくれたけど、原形を留めたまま死なせるつもりはないんだ」
 さあ、最後の一撃を受けろ。
 そう呟いて、再び左手を空に掲げた瞬間、吸血鬼を殺すことだけを考えていた脳に電流が流れ、澱に留まる。
 留まって離れないそれに、脳裏が次第に侵食され、掲げた左腕が情けなく崩れ落ちてしまう。

作品名:「既遂・第2章」 作家名:彩風