「舞台裏の仲間たち」 34~35
第一展示室で順平の車いすが、ピタリと止まってしまいました。
自ら車輪を手繰りながら、ちひろの原画へ接近を繰り返していきます。
席を外していたレイコが戻ってきて、優しく後ろから順平の背中を支えます。
「順平。ゆっくり見ていていいそうですよ。
茜さんたちは、一通り見てから、テラスでお茶を飲むそうです。
後から合流をしましょうということで、今、お二人を見送ってきました。
よかったわね、優しい人たちで。」
1940年代から50年代にかけてのちひろは、
油彩画などを数多く手がけており、作家としての仕事は広告ポスターや雑誌、
教科書のカットや表紙絵などが主でした。
1952年頃から始まったヒゲタ醤油の広告の絵は、ほとんど制約をつけずに、
ちひろに自由に筆をふるわせてくれたという貴重な仕事です。
1954年にはそうした緻密な仕事ぶりが認められて、
朝日広告の準グランプリを受賞しています。
ヒゲタ醤油の挿絵は、ちひろが童画家として著名になってからも
およそ20年間余りにわたってつづいています。
1956年の、福音館書店の月刊絵本シリーズ『こどものとも』12号で
小林純一の詩に挿絵をつけて、『ひとりでできるよ』を制作をします。
これがちひろにとっての、初めて手がけた絵本となります。
この頃のちひろの絵には、少女趣味だ、かわいらしすぎる、
もっとリアルな民衆の子どもの姿を描くべきなどの批判が多くあり、
ちひろ自身もそのことを深く思い悩んでいました。
転機となったのは、1963年(44歳)です。
雑誌『子どものしあわせ』の表紙絵を担当するようになったことが、
その後の作品に大きく影響を与えることになります。
「子どもを題材にしていればどのように描いてもいい」という依頼に、
ちひろはこれまでの迷いを捨て、自分の感性に素直に
描いていく決意を固めます。
1962年に書かれた作品『子ども』を最後に、油彩画をやめ、
これ以降は、もっぱら水彩画に専念することになります。
この後、今日ではよく知られている、透明水彩の色調の中に繰り広げられる
あくまでも淡く・優しく・美しい・ちひろの世界が花開きます。
「透明水彩の絵の具の使いこなしが、非凡で独創的だね。
にじませたり、たらしこんでみたり
独特のぼやかした輪郭の技法を駆使した上に、これ一本しかないという、
説得力を持つ線で対象物を描ききっているんだよ。
なみに技術力では、とてもここまでの表現がはできない。
レイコ・・・この人はデッサンの天才だ。
こんな凄い描線も初めて見たよ、
子供たちの表情は、実に無邪気で、
まるで生きているようだ。」
「ほんとう。
どれも生き生きとした愛らしい子供たちだわ。
原画の持っている技法のことは、私にはよくは解らないけど、
たしかに、すごい説得力を感じるもの。
順平が言うように・・・
この人は、天才よね。」
「たしかにね。
この人の才能には、嫉妬さえするね・・・」
作品名:「舞台裏の仲間たち」 34~35 作家名:落合順平