八方美人のすすめ 4月 2日 お遍路 追加
愛
クリスマス、二千年ほど前ユダヤの地で生まれた赤子は選ばれたのかどうか、青年になり「なんじ隣人を愛せよ」「右の頬を打たれたら左の頬をだせよ」と愛を説いて廻り人々に受け入れられていく。時は経ち、キリスト教のトップになった法皇は戦いの前線で指揮を取り、戦費がなくなると免罪符を発行するまで地に落ちたが今でも多くの信者がいる。その教えを信じた大統領は、右の頬を張ると左を出す代わりに多くの爆弾やミサイル、最後は核爆弾まで投入したが、これがキリストの愛だとすればそりゃ恐ろしい。
生まれてこの方学校や親から「愛とは何ぞや」と教わったことは無い。学校の授業でもないのだから教わることはなく、おそらく今の教育だとそれを教えるのはキリスト教関係の学校か仏教関係の学校ではなかろうか。
そんな環境で育っていって「あなた私を愛してくれないの」といわれても愛が分からないから出来るはずもなく、相手も愛が分かっていなくてそれを求めるのだから始末が悪い。
愛って両想い、恋は片思いなどというご婦人もいて、多くは愛も恋もそして幸せさえも分からずにその言葉を使い、求め彷徨うから不思議である。
「一生幸せにします、僕と結婚してください」
こんな台詞今ではドラマでも使わず、釣りバカ日誌のはまちゃんが「君と結婚したら僕が幸せになる自身はある」とこれに似たようなプロポーズしたが、一生幸せにしますってよく言えるよなと今でも思う。私はそんなこと恐ろしいこと言ったこともないが、それでもよく一緒に居てくれる妻と、生んでくれてありがとうといってくれる子供には本当に感謝して、それを言わせるように育てた妻は菩薩だろうかと感じてしまう。
そもそも、全くちがう価値観、人生観、環境のもと育った二人の人間が幸せについて考えを述べ合い「よしそれが二人の幸せだ」と価値観を一致させ、それをともにかなえ様というのならこれは分かる。しかし、キューピットの矢が刺さり、お互い都合でなにか惹かれあい、その一瞬が幸せだと感じたところで、幸せが長続きなどするはずも無いと思うのだ。
ある女性は好い物食べていい服着て旅行にも連れて行ってもらって・・それが幸せと考える?男は金持ちになっていい女捕まえて、気持ちいいセックスに興じるのが幸せ・・
幸せが分からずして一緒になって幸せに成れようはずが無い。
作品名:八方美人のすすめ 4月 2日 お遍路 追加 作家名:のすひろ