Savior 第一部 救世主と魔女Ⅰ
「そうとは限りませんわよ。ダレンがいればボリスなんていなくても問題ないと考えたかもしれません。なんにせよ重要な情報を隠すなんて言語道断ですわ。こうしてはいられない。もう一度探しに行きますわよ!」
「でもどこを探す?」
「そんなの決まってるじゃありませんか」
ティリーは腰に手を当て、堂々とした態度で言った。
「まだ探してないところ、ですわ!」
ティリーの要請に応えて本日二度目の捜索が始まった。
探していないところというが、マリークレージュは広く探していない場所など山のようにある。アルベルト達はまず地下室とは真逆の方向に伸びる通路を探すことにした。人が通った形跡がないので今朝探さなかった場所である。長い直線の通路を進んだ一行が辿り着いたのは、マリークレージュの中でも一際大きな建物の中、そこのだだっ広いホールだった。
割れた窓から吹き込む風雨がわずかに残されたカーテンの残骸を揺らしている。階段の手すりは錆びてぼろぼろ。壁もすっかり塗装が剥げて黒く腐蝕している。相当数の蝋燭を必要とするであろう巨大なシャンデリアは錆びた鎖で支えられるはずもなくとうに落ち、落下の衝撃で床に食い込みひしゃげていた。
おそらくここはマリークレージュでも高級な宿屋の一つで、このホールでは舞踏会でも行われていたのだろう。三十年前までは連日盛況だったのだろうが、今ではすっかり朽ち果ててその片鱗すら見られない。虫食いだらけの絨毯を踏むたびに埃とカビの臭いが鼻をついた。
侵入者に気付いたのか、数匹の蝙蝠が飛んでいく。天井を見上げると落下を免れたシャンデリアが一つだけ残っていた。とはいえあれもいつ落ちるか分からない。あんなものが直撃したら確実に即死だし、出口が塞がれて戻るのに一苦労するはめになる。長居しないほうがよさそうだ。
「外は相変わらずの雨みたいね。しかもあたしたちがここに到着してすぐくらいに降り出したじゃない。まるで嫌がらせみたい」
「しかも昨日より酷くなってるわね」
窓の外を眺めたサニアとリゼが言った。拠点(ベースキャンプ)が地下にあるので気付かなかったが、雨はさらに激しく、強くなっているようだ。時折、雷光が閃き稲妻が轟音を立てて落ちる。
「・・・・悪魔召喚の影響かも」
レスターがぼそりとそう言った。すかさずティリーが補足する。
「街一つ生贄にしたということは発生するエネルギーも相当なものになりますわ。自然環境になんらかの影響を与えてもおかしくありません」
「・・・・それに二十年前からこの辺り一帯の天候がおかしくなってると言われてる」
「そうなのか?」
アルベルトの問いにレスターは頷いた。そういえばそんなことを聞いたことがあるような気もするが・・・・
「あれ、博士の本だ!」
不意にボリスがそう叫んで、部屋の中央へ走った。蝙蝠の糞が散乱する床の上に、埃をかぶっていない分厚い本が落ちている。
「本当ですわ。確かにメリッサが使っていた物ですわね」
「こんなものもあったわよ」
リゼが差し出したのはヒビが入った黒縁の眼鏡だ。受け取ったサニアが松明の明かりを頼りに検分する。
「・・・・・ダレン? ダレンだよね? これ」
バサバサと羽音を立ててまた蝙蝠が飛んでいく。
「ダレンの奴、眼鏡もなしに何してるんだ?メリッサも何のためにここへ来て、今どこにいるんだよ?」
グラントの疑問はもっともだが答える者は誰もいない。なんとなく想像はつくが。
その時、考え込むアルベルトの耳に一際大きな羽音が聞こえてきた。
バサァ。
「・・・今の音は何だ?」
「蝙蝠だろ? さっきからたくさん飛んでるぜ」
バサァ、バサァと羽音が響く。
「蝙蝠にしては大きすぎるだろう。それにさっきまであんな音はしなかった」
バサァバサァバサァ。
「蝙蝠じゃなかったら何の音なのよ」
「・・・あれ」
レスターが指差す先はホールにせり出したバルコニー、その錆びた手摺の上に立つだるま型のシルエットだった。皆の視線が集中する中、そいつは翼を広げた。
ギャァァァ――ッ!
魔物の啼き声とボリスの悲鳴が重なった。
「ま、魔物!」
「叫ぶな! 見りゃあ分かる!」
グラントの叱責がほとんど耳に入っていないのか、ボリスは回れ右して一目散にホールから出て行った。
バサァバサァと羽音を立てて魔物がホールの中を飛びまわる。人間より二、三回りほど大きなそいつは、見た目以上の俊敏さで飛び掛ってきた。
「やっぱり蝙蝠じゃない! 魔物だけど!」
魔物の突進をかわしたサニアが腰から小剣を抜きながら叫んだ。
「もう最悪! あたしがこの二人逃がすからこいつら任せた!」
研究家二人を庇いながらサニアは出口へと走った。
「ダレンもメリッサもあれに喰われちゃったんじゃないの!? でかいわよ、あの魔物!」
「となったらどこかに死体の一部(食べ残し)があるかもしれませんわ。さすがに丸飲みは出来ないでしょうし」
「・・・・・蝙蝠だから血を吸われてミイラ状態になってると思う」
「あんたたちこの状況でそんなグロいことよく平然と言えるわねっ」
出口に向かって逃げながら、サニアは冷静な学者二人に八つ当たり気味に突っ込みを入れた。
一方、残ったアルベルト、リゼ、グラントの三人は蝙蝠魔物と対峙していた。
バルコニーの後ろにある通路から、巨大蝙蝠がまだ何匹か飛んでくる。リゼが蝙蝠の翼を斬り裂き、グラントが頭を叩き潰す。アルベルトが蝙蝠を一刀両断にする。剣を振るうたび、蝙蝠が悲鳴のような声をあげるので頭が痛くなりそうだった。
蝙蝠が一匹滑空してくる。アルベルトはその場から動くことなく、向かってくる蝙蝠の眉間に剣を突き刺した。巨体がずどんと音を立てて床に転がる。振り返って首に噛み付こうとした一匹を仕留めたアルベルトは、天井に一つ残ったシャンデリアが不吉な音を立てて揺れている事に気付いた。錆びた鎖は切れる寸前だ。
「リゼ! グラント! 俺達も戻ろう!」
あのシャンデリアが落ちたら通路が塞がってしまう。いつまでも蝙蝠の相手をしているわけにもいかず、三人はすぐに通路へと向かった。その後を蝙蝠達が追いかける。
「リゼ! 速く!」
リゼがいた場所は通路から一番遠い。すぐ後ろにまで蝙蝠が迫っているのを見た彼女は、何を思ったのか通路に入る直前で足を止め、振り返った。
「鬱陶しい! さっさと消えろ!」
飛び交う大小さまざまな蝙蝠に向けて、リゼは大声で呼ばわった。
ホールの中を冷気が駆け抜ける。羽音と啼き声が止み、氷塊がぼたぼたと地面に落ちた。氷漬けを免れた何匹かが遠くの方でぎゃあぎゃあと啼いている。
一瞬の静寂の後に、ついにシャンデリアの鎖が切れた。内臓にまで響く重い音が地面を揺らし、床をえぐって石の破片を飛び散らせる。ついさっきまでリゼが立っていた場所にはシャンデリアの一部が食い込んでいた。
「……・助かった」
間一髪でアルベルトに救い出されたリゼはむすっとした様子ながらも礼を言った。
「どういたしまして。グラントも無事か?」
「ま、まあな。なんつーか、すごかったな」
リゼの魔術のことを言っているのかシャンデリアの事を言っているのかは知らないが、グラントはそれ以上何も言わなかった。
作品名:Savior 第一部 救世主と魔女Ⅰ 作家名:紫苑