短編集 1
うつろそら
「なぁ、お前はどう思う」
「何が」
とあるファミリーレストラン。その店の一番隅にある窓際の禁煙席で、友人が唐突に主語なしで訊いてきた。その言葉になんとなく返した3文字の言葉は、ブドウジュースを飲みながら言った言葉だった。
「いや、俺たちとか含めてさ…人間が存在する意味なんてあるのかなって」
なにが面白くてジュースなんて吹きそうにならなくてはいけないのだろう。
「…天変地異でも起きたか」
「失礼な」
「じゃあ明日は雪か雷か、はたまた飴玉でも降ってくるのかな」
「杉本、貴様俺をなんだと思っている」
「ファミレスでうどん食ってる高校生」
「否定はしないが」
実際俺の目の前でうどんをずるずるとすすっている時点で否定できないだろうが。という言葉はジュースと一緒に呑み込んでおく。面倒なことを言えば面倒が返ってくるということは、小学校低学年の頃からの付き合いで身に沁みているからだ。何年経っても変わらない性格が、時々羨ましかった。
どんな人間でも、時間が経てばそれ相応に物事を経験し、周囲を気にし、性格や考えることも大きく変わっていく。変わらないという時点で、その人間は異質なものとなる。俺の前でうどんの汁を飲み干そうとしている佐藤も、その異質な人間の1人。俺が見る限りでは、純粋さと率直すぎる素直さは未だに健在だ。小さい頃は純粋でいられても、時間を追っていけば、濁り始めてしまう。毎日のように放送されている政治家への批判や時々耳にする汚職事件。窃盗や自殺、殺人事件などによっても考えや思いはいとも簡単に左右してしまう。本一冊が人間の人生を変えることだって間々ある。漫画やゲームも、またその一例だ。以前、ある少年が友人を校内で殺したという事件があった。その少年は[殺してもゲームみたいに生き返ると思った]と、供述したという。俺には到底考えられないけれど、ゲームや漫画を見て、そう感じ考え、実行してしまう人間が存在するということだ。
長い前置きになったが、佐藤はそういう感化されやすい人間とは違い、ほとんど感化されることはない。驚くほどに。
…――そう思ってはいたが、まさかあんなことを腹に抱えていたとは。
「で、なんでいきなりそんなこと訊いてきたんだよ」
「いや、なんとなく。特に意味はないんだけどよ…うん、なんとなく」
一度自分の頭の中で理由があったか探すようにして、[なんとなく]を二度言った。俺は手元にあるライスを意味もなくフォークでつつきながら、頬杖をつく。一体こいつの身に何が起きたんだろう。訊かれた内容よりも、そっちの方が気になったというのが率直な感想だった。
そして当の本人は再び何かを頼もうとメニューを広げている。ステーキとハンバーグセットを注文した後、ライスを3回もおかわりして、更にうどんの大盛りを食べたばかりのくせに、どんな胃袋している。と、引きこもりに近く運動量が少ない故、食べる量も少ない俺はそんなことを考えてしまった。
「…んでさ、どう考える?」
「人間が存在する理由だっけ」
「そーそ」
「特にないんじゃね」
それが素直な考え。
「俺が思うにさ…人間に限らずこの世界に存在するありとあらゆるものに意味なんてないんじゃねーの。結局は物理で生まれたものだろ?子孫存続とかいう本能さえなければ誰もなにも残ってない程度の存在じゃねーのかなぁって」
「なるほどねー」
「大人しく意見聞くなんて、珍しいな」
「今まで考えたこともなかったから」
きょとんとした表情で答えたやつの顔を、思わず凝視する。
「そんなに見つめないで」
と、頬を赤らめる仕草をされて、思わず胃の中にある食べたばかりの肉の塊を吐き出しそうになった。人は似合わないことをするものじゃない。ネタにすらならないから。
「けどさけどさ、世の中には信仰ってもんもあるじゃん?そういう人たちはどういう考えを持ってるんだろーな」
「俺無宗教だから知らない」
固い銀色の鉄で弄っていた白い米を口に入れた。既に熱は残っていなかった。
「あんま下手に訊き回るなよ」
「何で?」
これだから世間知らずは…と溜息をつきたくなってくる。もしかしたら、今まで特に何かに影響されたりしなかったのも、確固たる意志を持っているわけではなく、唯単に疎いだけなのかもしれない。
「宗教って言ったってピンからキリまである。仏教はなんだか知らないけど、他の神やらなにやらに寛大らしいが、キリストはそうじゃない。自分たち以外の神、偶像を作ってはならないとまで説いている。誰が信者なのか、お前見当もつかないだろ」
「つかないけどさ、やっぱ気になるじゃん」
「自分の身を案じろ…」
「ん〜…よくわかんねーけど、訊かなきゃいいんだろ?」
再びメニューに視線を落として、今度は注文するものが決まったらしく、呼び鈴を鳴らした。目の前の脳天気に、どうやって世間を教えようか、ということだけが俺の心の中にあった。
「じゃあ、スギはどういう可能性を他に考える?」
「可能性、ねー。可能性かどうかは別としてさ。どこの神が、とは言わないけど…どこぞの神が、もしこの世界を作ったんだとしたら、そいつの暇潰しのための玩具とか。もしくは、たった1人だけ気が付いたらいた自分を崇拝する存在が欲しかったとか…まぁ、この2つのたとえは、神がいたらって仮定だしな」
「じゃあ、各々人間の存在理由は?」
「は?各々って、佐藤が、とか…俺が、とか?」
「そうそう」
ウエイトレスは忙しいのか、なかなかこっちにやってこない。
「それこそ、それぞれ違うだろ。俺の持論を無視するんだとしたら…まぁ、なんていうんだろうな。影響を与えるっていう意味合いでは、どの人間でも存在する意味はあるんじゃね?生きていれば、否が応でも接触はするだろ。愉快だろうが不快だろうが、その具体的な形を指定しないんならな」
「ふーん…よく、小説とか漫画とか、ドラマとかで聞く[私が死んだって誰も悲しまないっ]ってセリフ、どう思う?」
今日の佐藤はいやに執拗で、話題が飛躍する。本当に、何が起きたんだろう。そう思ったところで、ようやくウエイトレスがやってきて注文を尋ねた。あろうことか目の前の男は、山盛りポテトとスパゲッティを頼んだ。つい先程まで疑問に思っていたことも吹き飛んで、こいつの腹はブラックホールだ、という考えだけが俺の頭を占領してしまった。
「えー…っと…何の話だっけ?」
ジュースをストローで吸いながら、食欲が失せていくのを感じる。最後にデザートを頼もうかと迷っていたが、目の前の男のせいでその必要もなくなった。
「だから、[私が死んだって誰も悲しまないっ]ってセリフだよ」
「あー…うん、あれね」
「どう思う?」
「って訊かれてもな…独り善がりだとは思うかな」
一度頼んだものは残すまいと、冷めた白米をフォークで口に入れる。適当に数回咀嚼した後、すぐに飲み込む。