短編集 1
道化師と少女
シャンシャンシャン…―
白い雪がちらちらと降り始めている。季節は冬、12月も中旬に差し掛かってきている今、世間は聖誕祭に向けた準備に追われていたり、この機会に売り物を売り尽くしてしまおうと考えている企業が元値から数割引いた値段で店頭に商品を並べている。そしてその近くでは貧しい生活を強いられている少年少女が、家で作ったらしい小さな袋に入っているお菓子をそれなりの値段で売っていた。雪が降っているというのに、その出で立ちはあまりにも寒そうで凍えてしまいそうなほどの薄着だった。その様子で鳥肌が立ってしまう上、あかぎれているその手を見るだけで自分の手を手袋越しに擦ってしまいそうになる。そんな様子の少女たちを見ることもなく、大人たちは懸命に声をかける子供に目をくれてやることもなく、むしろ目を逸らしながら、もしくは汚らしいものを見る目で一瞥して通り過ぎていく。そんな行動が幼い心をずくりと一つ一つ抉り取っていく。そして、確実に小さくも大きな傷を残していく。
そんな中、広場の方へ向かえば雪が降っているにも関わらず、屋外で玉乗りをしながらジャグリングを披露しているクラウンがいた。時々わざとミスをしたように見せかけ、更に難易度が高く見えるバランスを崩した状態でのジャグリングを成功させたり、おどけながら踊るようにやっているその大道芸に通る人が足を止めてそれに魅入っていた。白い化粧、不自然な笑みを浮かべている大きな赤い口、作られた輪郭、ゆらゆらと揺れる羽でできているかと思わせるほど軽そうな帽子。赤や白、黄色といった目がちかちかしてしまうような色を使った、派手な服を着て楽しそうに動いていた。ぼよん、ぼよん、と随分弾力のある玉の上で飛んで跳ねたり、バランスを崩して落ちたりなどして、人から笑いを取ってしまう。少し近づいた子供が泣きそうになれば、魔法のような手であっという間にバルーンを犬や花に形を自由自在に変えてしまう。そうすればその子供はすぐに泣き止んで笑顔を見せる。その度に拍手が起こっては、そのクラウンは照れたように首をこてん、と横に倒して頭を掻く。
「クラウンさんは他に何ができるの」
小さな子供がそう聞けば、クラウンは大きな赤い口を更に大きくして、目を細めてにっこりと笑った。
「本当はフルートを吹くことができるけど今の僕にはできないんだ」
「どうしてなの」
不思議そうに、この季節に不似合いの少し寒そうな服を着た少女がそう聞くと、困ったように再び首を傾げながら少女に顔を近づけた。白く赤い顔がやけに黒く見えてしまい、小さな体を一度震わせた。
「この大きな口がフルートの小さな口に合わないからさ。そのまま演奏してしまったら、可笑しな音が君の耳を割ってしまうかもしれないよ」
赤い手袋を付けたその手でいい子いい子、と金色の髪を持つ少女の頭を優しく、慈しむように撫でた。彼女にも伝わったのか、くすぐったそうにしてからマフラーに顔を埋めた。実に可愛らしい少女はそれから母親に呼ばれたのか、気付いたら観覧席から姿を消していた。
数十分間のパフォーマンスが終わって、こてっと首を横に倒したクラウンは口を開くことなく最後までおどけて見せた。お金を箱の中に入れるだけ入れてくれた観客の波が一通り引くと、パフォーマンスに使用した道具を片付け始める。そんな時、ジャグリングの時に使ったナイフとピンが、下から浮かんできた。否、気付いたらいなくなっていたあの少女が、暖かそうな外套に身を包んでクラウンに差し出していた。
「また今度見たいな」
そう言って満面の笑みで笑う少女を見て、クラウンは目を細めて笑った。もちろんだよ、と口に出すことはなかったけれど、少女の頭をゆっくりと撫でた。それから暫く、彼はその少女と一緒に後始末をしていると、微かな視線が感じられ、ふと後ろを振り向くと。そこには先程までメインストリートで物を売っていた少年や少女。控え目に伏せられた瞳には、僅かな希望のようなものが込められていて、外套を羽織っている少女は首を傾げた。
「クラウンさん、次はいつやるの」
「明日かもしれないし、もうここではしないかもしれないなぁ」
にこにこと笑っていたその表情でそう言うと、物売りの子供たちは落ち込んだような暗い顔になってしまった。少しずつ空から降る白い花は減っていったのを見ながら、クラウンはもう一度口を開いた。
「もしかしたらもう一度今からやるかもしれないね」
それを聞いた外套を着た少女は、ぱあっと明るく花が咲いたような笑顔を見せた。そして、クラウンの周りにいた子供たちもまた同様に嬉しそうに笑った。クラウンが軽いステップでくるくるっと回るように近付くと、子供たちは一歩下がる。
「一つ、条件があるんだけどね」
「僕たち、お金ないよ」
「違う違う、その美味しそうなリンゴと、便利そうなマッチと、綺麗な花を僕に売って欲しいんだ。それも倍の値段で売ってくれたら嬉しいなぁ」
そう言うと、三人の子供は手に持っていた籠を丸ごとクラウンに差し出した。それを笑顔で受け取ったクラウンは、持っていたリンゴをこの場にいた4人の子供に渡す。リンゴを売った子供は自分の手に収まっている赤い果物と、白いクラウンを交互に見比べてから首を傾げる。
「僕がリンゴを買ったから、このリンゴは僕の物。僕の物を君たちにあげたから、このリンゴは君たちの物。早く食べてしまわないと、蟻が全部持って行ってしまうよ」
そう言って、マッチに火を点す。暖かいそれは、家にある暖炉と同じような火だった。仄かに暖かく暗がりを照らす火に、ほんの少しの時間だけ見とれていた子供は、ふっと消えた火によって、現実に引き戻された。見つめていた小さなマッチの火の中に、何を見たのだろうか。次に、クラウンは買った花を器用に編んで、あっという間に花冠を作った。冠を一つ作っては子供たちの頭に乗せていく。色とりどりの花冠を街灯がうっすらと照らしていて、互いにもらった冠を褒め合っていると、クラウンは暗闇に乗じて一度その姿を消した。
外套を着た少女が探しに行こうと一歩足を踏み出すと、ふわりと浮かんだバルーン。犬の形をしているそのバルーンは、彼女の頭の上に座った。
「さぁ、間抜けた道化師から目を離してはいけないよ。本日最後の開演さ」
宙に舞ったこれもまた色とりどりのバルーンが、子供たちの手の中へと収まっていく。
あと少しで、聖誕祭。
――――――――――…道化師と少女END(20111216)
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