男性支配
「ちょ、ちょっと待ってください、えーと、つまり、娑婆ではほとんどの妻がお金のために我慢して夫と暮らしている、ということ?だって、いまは誰だって好きな人と結婚できる時代ですよ。」
「でもね、結婚してしばらくすると、男は『主人』になるでしょ?」
「はあ、『うちの主人が』って。あ、男が主人なら女は奴隷ですね。そうか、なるほど、ヤマギシズム運動って奴隷解放運動なんですね。」
「・・・・・そんなふうには考えたことなかったけど。とにかく、だからここで結婚した夫婦は別れないのよ。」
「?」
「だってここには『いえ』がないでしょ。」
「はい、ここでは夫婦というのはただ同じ部屋で夜を過ごす、というだけですね。」
「独身でも結婚しても、そのこと以外、何も変わらないでしょ。だからね、ここで女の人がこの人と結婚したい、っていうことは、このひとと朝まで一緒にいたい、っていう、それだけの理由なの、それ以外ないの。ね、別れないのはあたりまえでしょ?一緒にいたいから一緒にいるのよ。」
わたしはこの10ヶ月ほど後、ヤマギシを去った。
しかしわたしはそのあと、あちこちで生きていく中で、何回も、この会話を思い起こすことになる。
そして、ずうーっとあとになるが、わたしは「家庭とは一般に思われているような平和の場ではない。そこは差別と暴力の場である。この社会の差別と暴力は家庭の中で再生産されている。」と確信するようになる。