男性支配
「逃げてはいけない」という人も多いけれど、逃げることは本当に重要です。あるサイトで父親に殴られ続ける少女に対して、少女の側に寄り添う方たちのアドバイスのすべてが、「今すぐ逃げなさい。どこでもいいから、そこから離れなさい。」というものでした。具体的な逃げ場所を書いたものもありました。
大人になるにつれ、私たちはうまく立ち回れるようになります。ルールを理解し、どう振る舞えば殴られないのかを学びます。こびを売ることを含めて。その場にいるだけで、人はその構造の一部になり、その構造を支えるのです。それに抵抗する人はとても生きにくい道を行くことになります。このシステムはちょうど、内部のバグを自動的に修正・排除するすぐれたソフトウェアのようにそれに対処してシステムを守る仕組みを備えています。そしてこのシステムに「外部」はないのです。
しかも悪いことに、このシステムは共同幻想だから、私たちの心の深くに住み着いてしまうのです。住み着く前に逃げ出さなければならない。自分が抑圧者になる前に。自分自身を決定的に損なう前に。
ただ、難点があります。逃げる場所がないのです。比較的ましな場所があるだけで。
「引きこもる」事もできない。人は物理学で言う「開放系」であって、本質的に開かれた存在であって、閉じれば死んでしまうし、あと、他者に付けられた傷は他者によってしか癒されないから。
女性たちの運動が、各地に「女の駆け込み寺」を作ろうとしている、と聞いています。たとえ一時的であっても、そこが「逃げ場所」であって欲しい、と切に願います。
最初ヤマギシはわたしには理想郷に思えました。たくさんのことを学ぶことができました。というか、ほとんど全部を。わたしはそれまでのとらわれたわたしを捨て、自由なわたしを手に入れました。
しかし、そこにも抑圧者はいたのです。中枢にさえ。中枢ほど多く。抑圧しない人の中で、上手に抑圧する人は「上」に簡単に登っていけるのでしょうか。
抑圧のない場は、ない。ヤマギシにさえあるのだから。