「舞台裏の仲間たち」 22~24
「話を元に戻しましょう。
わたしどもの一人娘に縁がありまして、30歳近くになって
ようやく嫁いでくれました。
半年ほどで子供も始まり、やれ、孫の顔が見られると
二人して喜んでいたのもつかの間でした。
不運な事故に遭遇してしまい、
母子ともどもに帰らぬ人になってしまいました。
実は、それからなのです。
うちのがあんな風に変わり始めてしまったのは・・・
別に病気と言う訳ではないのですが、
同じくらいの年頃の娘さんを見ると、
なにかと世話を焼きたがるように変わり始めました。
いやいや、そちらにすれば大変に、迷惑な話だと思います。
しかし、あれにしてみれば、
そのようなことで、寂しさを紛らわしているのかもしれません・・・
今朝ほどもそうでした。
あれが、娘が帰ってきたと大喜びをしていたのです。
そんな馬鹿なと思いましたが、遠めに見ると
背格好と言い、雰囲気といい、なるほどあれが言うとおりに
私にも、本当に娘が返ってきたように見えてしまいました。
もうそうなると、二人してどうにもなりません。
大変に無理なお願いをしてしまいました。
いやいや私にしてみれば、無理を聴いていただいただけでも
たいへん感謝に堪えません。
さァ、もう一杯、いきましょう。」
もう一度すすめられたので、気分よくまた盃を干しました。
勢いに乗った形で、おじいちゃんに返杯を注ぐと、嬉しそうに
目を細めて、それを丁寧に呑みほしてくれました。
「男女の情と言うお話を伺いましたが
具体的には、どんなことを指すのでしょうか?。」
「静中の動、動中の静、
という言葉を、お若い方たちはご存知ですか。
・・・例えばですが、
碌山の彫刻にもこの動と静が
実に巧みに取り入れられています。
要は、相容れないはずのふたつのものが、実に見事に
融合をするということの例えです。
長野出身のある写真家が、碌山の彫刻の特徴を、
西洋彫刻に見られる【動】の魅力と、
日本の仏像などに特徴的な【静】の融合だと
説明をした事がありました。
まさに、その通り、
けだし名言だと、私は思っています。」
ご主人がまた、熱燗をすすめてくれました。
ホロ酔い加減となってきたおじいちゃんは、本当は大変な饒舌家でした。
酔いが回るにつれて、あれ(奥さん)が
とびきりの”黒光”ファンであることを暴露してしまいました。
碌山美術館へ足まめに通っているのも、
碌山芸術への関心より、”女”の中に秘められている黒光への思暮や、
情熱ぶりを見ることが大好きなのだと言い切りました。
たぶん家でも今頃は、女同士で、
黒光の少女時代の話から始まって、ただ絵を書くことだけが好きだった
少年時代の碌山との出会いについて語っているでしょう・・・
と、声をたてて笑いました。
ところで、と、また話題をもとにもどしました。
碌山の彫刻に込められている「静中の動」と
「動中の静」について、自身の考えを語り始めました。
日本の古い仏像などによくみられる「静中の動」を今すぐ見たいのなら、
一本の木の下に立って見上げればよい、と言い始めます。
作品名:「舞台裏の仲間たち」 22~24 作家名:落合順平