小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

ふわりの姫

INDEX|6ページ/7ページ|

次のページ前のページ
 

 薬師、とそのとき綺は思った。
 いまでもまだ思う。
 いきなり夜の空から降ってきた娘の話を、斎がどれだけ信じる気になるというのだろう。
「と、とにかく! お願いですから、なんでもいいですから、今夜のお茶だけは飲まないで下さい!! 何かあやしいものを飲めって言っているんじゃありません、ただ飲むなと言っているんです! ひと晩くらい飲まなくたって大丈夫でしょう!?」
「かもしれんが、理由が知りたい」
「そ、そんなことはどうでもいいんです! 理由なんて――」
「ともかく、もう少し詳しく話を聞きたい。そこではいちいち声を張り上げて疲れるだろう。降りてこい」
 夜番たちが再びあせった声を張り上げる。
「斎さま、危険にございます!」
「化け物の話など聞いてはなりませぬ!」
「このまま木に火をかけて焼き払うべきにございます!!」
 斎は無言で、じろりと彼らをにらみつけた。
「………………」
 ひとにらみで全員を黙らせて、斎はその目をまた綺に向けた。
「降りてこい」
 周囲の篝火に照らし出された斎の目は、これまで以上に冷たく、恐ろしく。
 この場で死なずにすんでいるのが不思議なほどの、射貫くような視線だった。
 綺は逆らう気力をなくした。
「はい……」
 うなだれて、力なく枝から足をはずす。
 綺の体はゆっくり落ちていく。
 夜番たちが遠慮しながらもざわめいた。
 綺の足先が地面に触れる寸前。
 つつましく体の前に重ねていた綺の手を、斎がぐいとつかんで引き寄せた。
「きゃっ!?」
 これまでで一番近づいた切れ長の目。――
 綺はすくみあがって息も忘れた。
 体どころか骨まで震え出した気すらするのに、けれどもなぜかその目に見とれてしまう。凍えるほど冷ややかなのに、目をそらすことすら忘れてしまうほどに魅せられる。
「……軽いな。羽を抱いているようだ」
 と言った直後、切れ長の目が不意に笑った。
「なるほど。これでいろいろわかった」
(えっ――)
 斎に抱き止められたまま、綺は驚いてまばたいた。
 冷たいとしか思えなかった切れ長の目が、いまは思いきり笑っていた。同じ目なのにまるで別の目のようだった。笑って笑って笑いすぎて、ついに目尻に涙まで浮かんでいる。
「あ、あの……」
 綺はおそるおそる声をかけた。
「ああ、すまん。藤馬のやつめ、狐か狸か望月かとはよく言ったものだ」
「き、きつね?」
 斎はまだ笑いおさめられずに、なお小さく笑っている。
「おれのまわりには、食わせ者が少なくないということだ。それに比べれば空を駆けて忠告に来てくれたそなたなど、かわいいものだ。たなびいた髪が満月に輝いて、まるで月の宮に棲まう天女のようだった」
 斎は綺を見つめた。
 間近の斎の目に凍りつくどころか、綺の頬が真っ赤になったのは、篝火の照り返しのせいばかりではなかった。

     * * *

 翌日。
 馬上、綺はちょこんと斎の前に横座りに乗せられて、望月城への山道を辿っていた。
「変わった髪だとは聞いていたから、驚きはしなかった。しかし目の前でいきなり転んだときは、さすがに驚いたぞ」
 斎は口軽くあれこれ話し、時に質問を混ぜてくる。
「茶をひっかけてくれたのは、おれを早く返したかったからなのか?」
「いえっ、まさかそんなこと! あれは――」
 綺はつい答えさせられてしまう。
 母が死んだこと、髪の色が変わっていったこと、七歳の年の満月の晩のこと。
 いつの間にか、綺は自分の秘密をすっかり話してしまっていた。
「そうか、綺はふわりの姫と呼ばれているのか。面白い」
 綺を見つめる斎の切れ長の目は、相変わらず冷ややかに見える。
 が、それは単なるかたちの問題で、よくよく見ればその目の奥にまったく別の心がのぞいていることを、綺は徐々にだが知りはじめていた。
「たしかにこれでは、砥上の本城へなど行けんな。頭の固い年寄り連中が知ろうものなら、腰が抜けて二度と立てなくなるかもしれん」
 綺はそろそろと聞いてみた。
「あの……でしたら、望月から妹を出すという話は……できれば……」
「まあ待て。そこは藤馬に言い分があるはずだ」
 斎は笑みを浮かべた。
「見当はついているがな」

 望月城の城門の前には、藤馬と薬師が並んで待っていた。
「このように早々と再びお目にかかれましたこと、ありがたき幸せに存じます」
 藤馬が笑みを含んだ声で挨拶した。
 斎がにやりと笑い返す。
「白々しいぞ、藤馬。こうなるように次々と手を打っていたのはおまえだろう。狐か狸か望月かと、砥上家中にその名を知られただけのことはある」
 すると藤馬は、凄味すら感じるほどの鋭い笑顔になった。
 苦労性など、もはや欠片も見あたらない。綺が初めて見る兄の顔だった。
「兄上!?」
 綺は驚いて声をあげた。
 そんな綺に、斎がまた笑う。
「妹まですっかり欺くとは、たいした化けっぷりだ。この食わせ者め。かわいそうに、綺は心底心配して、必死になって飛んできたぞ」
「それのみがわが妹のよいところにございますれば」
 綺は思わず馬上から身を乗り出した。
「兄上! のみって何よ、のみって! なんなの、これ!? 兄上はわたしを騙したの!?」
 斎の来訪を急に告げたこと、綺がよく登る屋根の上から気づけるような場所で密談していたこと。
 思い返せば思い当たることがありすぎる。綺は涼しい顔の藤馬をにらみつける。
「まあなんだ、おまえをあせらせれば勝手にあれこれ動きまわって、結果こうなるとは思っていた。しかしあの茶と、しがみついた件は予想以上だ。もう少しおとなしくしろ、綺」
「これがおとなしくしていられると――」
 と、こぶしを振り上げかけたところを、斎の手に後ろから包むように押さえられる。
「綺は昼は浮かべないのだろう。馬から落ちる前にやめておけ」
 斎が鞍から降りた。
「え、いいです! 大丈夫ですっ――」
 断わる間もなく斎に抱きおろされて、綺の顔はさらに赤くなった。
「綺、もうひとり正体を教えてやる。――露(つゆ)!」
 斎の声に応えて、薬師がしとやかに一礼してみせる。
「綺さま、斎が妹、露にございます。どうぞお見知りおき下さいませ」
「いっ妹!?」
 はいとうなずいた露は袂をあげて口もとを隠した。
 隠していても露の唇が笑っていることは、その目の表情で明らかだった。
 尋ねたいのか問いただしたいのか、自分でもわからない。綺はただぱくぱくと口を動かした。
 傍らで斎が言う。
「おれのまわりの食わせ者の双璧だ。こいつらめ、どうやらふたりで示し合わせて今回の件を企んだものらしい――藤馬、いつ露とよしみを結んだ」
「人聞きの悪い。まだ私が斎さま付きの小姓であった頃、露さまのもとへ幾たびか使いに行かせたのは斎さまにございます。後ろめたいことなど、私は何一つ覚えがございません」
「そうか、おれが手引きしたようなものだったか」
 屈託なく斎は笑った。
 ふと藤馬は真顔になった。
「――斎さまに申し上げます」
 と、その場に片膝をついて頭を下げる。
「わが妹はご覧のとおり髪の色は尋常ではなく、落ち着きなく、その上すでにご存じのように突拍子もない娘にございます」
「ま、また、兄上!」
作品名:ふわりの姫 作家名:ひがら