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ふわりの姫

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(兄上に、これ以上の心労をかけるわけにはいかないわ)
 けれどもあせる気持ちばかりが先走り、考えがまとまらない。
 紙と筆を出し、望月家を救う起死回生の案を思いつくまま書きとめてみた。が、あまりのくだらなさに、書いた端からくしゃくしゃに丸めて放り投げるより他になくなる。
 紙くずが床を埋めた。
 綺は立ち上がり、散らかった部屋をうろうろ歩き回った。少し頭が落ち着いた気がして、再び筆を取ってみた。しかし結局は紙くずを増やしただけだった。
「……もう、どうしたらいいのよ」
 綺は文机に突っ伏した。
 衣擦れの音がし、背後から声がかけられた。
「お取り込みのようにございますが、失礼させていただきます」
 振り向いた綺は、危うくむせそうになった。
 声の主は問題の薬師だった。だが綺を驚かせたのはもっと別のことだった。
「あっ、あっ、あな――」
 烏帽子をつけ袴をはいた男の姿は、昨夜と変わらない。しかし昼の光で見る秀麗な顔もつややかな黒髪もしなやかな肢体も、まぎれもなく若い娘のものだった。綺と同い年くらいだろう。
「砥上家の薬師にございます。綺姫を診させていただくよう言いつかっております」
 まずは御脈を拝見、と膝を進めた男装の薬師は、綺の手を取ろうとした。
 綺は反射的にその手をぱしりと払いのけた。
「あ、兄を巻き込まないで!」
 思わずそう言ってしまっていた。
 薬師の目はすうっと目尻が長く美しく、むしろそれだけに得体が知れない。その目がやんわり微笑んだ。
「さて……何のことにございましょう」
 何の策もなく薬師に本音をぶちまけてしまったことを、綺はいまさらながら後悔した。だが、もう後戻りはできなかった。
「と、とぼけても無駄よ! 昨夜の話は誰も知らないと思っていたでしょうけど、月は見ていたということよ」
「……ふふ。蒲柳の質とはとても見えぬお顔色とは思いましたが、綺姫は病弱どころか、月を見て跳ねるうさぎにございましたか」
「とにかく、二度と兄に近づかないで!」
 薬師は微笑んだまま綺を見つめた。
「心外にございます。わたくしはむしろ、望月家のためを思って申し上げたのですよ。斎は間の抜けた御曹司などではございません。そのような男が砥上家嫡男であるということ、それが望月家のためにはならないことすら、世間知らずの姫君にはおわかりになりませんか?」
「ばかにしないで! たしかにわたしはこの城の外に出たこともないけれど、そのような口車に乗るものですか! 兄だって同じよ!」
「ええ、藤馬さまはご立派なお方にございます。されど、殺生は好まぬなどというきれい事をおっしゃられるようでは、この先いずれ立ちゆかなくなりましょう」
 薬師の笑みがいっそう大きく、そして美しくなる。
「望月の姫が城から一歩も出られぬ病弱とは真っ赤な嘘、それどころか、これほどまでにお元気であるとは、斎もすでにその目で見たはず」
「うっ……」
「そしてわたくしも砥上に戻れば、その通り綺姫は健やかなお体にあらせられますと報告するより他に致し方ございませぬ。さて、すでに望月家の二心を疑っている斎にとっては、わたくしの報告は最後の一石となりましょうな。お聞き及びではございませんか、斎が十七の年に謀叛を企てた家臣を討った話は」
「し、知っているわよ、もちろん」
「災いの芽は早期に摘むのが斎のやり口。そのような男であれば、次なる災いの芽こそは望月と、いつ心を決めるか知れませぬ。ひとたび心を決した斎の行動は早うございます」
 微笑む薬師は袖で自分の口もとを隠した。声を低めたささやきが綺の耳の底に忍び入った。
「ひと言、いえそれほどの苦労も要りませぬ。わたくしにひとつ小さくうなずいていただければ、斎は翌日にも冷たく物言わぬ骸となりましょう」
「えっ――」
「わたくしは斎に信を置かれ、毎夜安眠のための薬茶を任されております。わたくしの留守のあいだは、薬のことなど何も知らぬ城の侍女がわたくしの部屋の引き出しより薬を取り、斎の薬茶を煎じることになっております」
「そ、それって……」
「はい。わたくしが今宵の薬茶はこちらにせよと侍女に言付ければ、侍女はそのようにいたします。薬と毒とは紙一重、引き出しも隣り合っておりますれば――薬と称して斎に毒を飲ませることなど、城を離れておりましてもたやすいことにございます」
 文武に優れた若君と評判の斎も、これほど身近に敵がいたとは夢にも思っていないらしい。
 斎の命は、この男装の薬師の手の中にある。
「いかがですか、綺姫」
 口もとを隠したことで、薬師の美しい、そして恐ろしい目もとの微笑はさらに濃い。
 綺はくらくらする頭をこらえ、気力をふりしぼって薬師のその目をにらみ返す。
「だ、誰がうなずくものですか! 望月家は砥上家と斎さまに忠誠を誓っているのよ!」
「なるほど、さようにございましょう。けれども斎もそれを信じますかどうか」
「斎さまは優れたお人と聞いています! 兄の忠誠はきっと斎さまにも伝わっているわ!」
「さて、そちらはいかがなものにございましょう。優れた賢い者になればなるほど、人の言葉ではなく行動でその心を判断するものにございます」
 薬師は袖を下ろした。その目はもう笑っていなかった。
「望月家の行動はいかがでございました。病弱と言い張って出さなかった妹姫は、その実、砥上家嫡男に茶をひっかけるほどの元気者」
「あれはつまずいただけよ! そ、そう、眩暈がしてふらついて――」
「それは綺姫の言い分として、さて斎はどう見たでしょうか。さらに帰城の暁には薬師であるわたくしからも、そのご印象はまことにございますと斎に申し上げねばなりますまい。さすれば望月家の命運はもはや動かしようもございますまいな。藤馬さまも賢いお方、そのことはよくよくわかっていらっしゃるはずですが」
 綺はすっくと立ち上がった。

「兄上!」
 廊下を走った綺は、息をはずませて藤馬の部屋に飛び込んだ。
「……今度はなんだ」
 書類の山を左右にほったらかして文机に頬杖をついていた藤馬に、綺は訴えた。
「申し訳ありませんが、昨夜のお話はうかがわせていただきました。いますぐあの薬師をとらえて斎さまに引き渡して、兄上の忠義を見せるべきだわ!」
 頬杖をはずした藤馬の口が、何か言いたげに一度ひらく。しかし何も言わないまま口は閉じた。藤馬は視線をはずして肩で大きくため息をつき、眉間にしわをよせて額を押さえた。
「……聞いてしまったことについては、もういい。だがな、綺。そうするわけにはいかない」
「なぜですか! だってあの薬師、斎さまを――」
「考えてみろ。望月と薬師と、いまの斎さまはどちらを信じていらっしゃると思う?」
「そ、それは……薬師、でしょうけど」
「そのとおり。薬師こそ裏切り者にございます、これが証拠の毒にございますと突き出したところで、薬と毒とは紙一重、薬師ならばそれがそこにあった理由などいくらでも言えるだろう。牢に押し込まれるのはおそらくこちらだ。いや、牢に押し込まれる程度ならまだいいくらいだ。これ以上斎さまのご機嫌を損ねてどうする」
「じゃあこのまま放っておくんですか!?」
作品名:ふわりの姫 作家名:ひがら