And Then ~すべては、そこから…~
徳野がボーっと店主を眺めていたところに、あすかという娘が申し訳無さそうな顔で話し掛けてきた。
「あっ?いやいや……」
徳野は焦る。まさか、話し掛けてくるとは思っていなかったのだ。
「何度か、ここでお会いしていますよね?」
会話はそこで終わるかと思いきや、そのあすかという娘はまたまた話し掛けてくるのだった。
「そ、そうですよね。何度か、お見掛けしていますよね?お互い、いつもの席に座って……」
「そうそう、いつも一人で」
と言って、彼女が悪戯っぽく笑う。
「えっ?あっ、いや…その…」
徳野は、なんて答えたらいいのか分からず頭を掻いて俯いた。
「や、やだ〜。何か言ってよ〜。それとも、いつも一人で来てるから、淋しい女、とでも思ってたんですか〜?」
そう言って、彼女が口を尖らせ怒ったふりをする。
「えっ?あっ、いやいや、そんなことは……」
徳野は、掌(て)を振り必死に否定した。
こういうふうに若い女性と冗談を言い合うのは久し振りのことで、徳野は戸惑う。
困ったな……、と心で呟き、温くなったビールを一口飲んだ。緊張しているからなのか、ビールの味がしない。
すると突然、彼女が、ぷっ、と噴き出して笑う。
ご、ごめんなさい。つい。と言って、形の良い唇を掌で隠してまた笑った。
「別に、困らせようとしたつもりはないんだけど、なんか面白くって〜」
「お、面白い?って……」
その無邪気に笑う彼女を見て、徳野は呆気に取られる。
と同時に、ホッとした。
気の利いた言葉をみつけられずに、徳野はどうしたらいいものかと考えていたからだ。
「私、少し飲みすぎちゃったかしら。つい、年上の人に失礼なことを……」
「い、いやいや……。別に、僕は気にしないから……」
「こちらは、出張で?」
そう言って、彼女は頬杖をついて、とろんとした瞳で徳野を見つめた。
その艶っぽい彼女の視線に、徳野の鼓動は激しく高鳴った。
けれど、それは一瞬のことで、すぐさま居心地の悪いものに変わる。
堪らず徳野は、視線をほぼ空になったグラスへと向け、呟くように答えた。
「そ、そうなんだ。そ、そちらも、出張で?」
「どうして?」
「ど、どうして?って……」
徳野は、一瞬言葉に詰まる。
まさか、そんな答えが返ってくるとは思っていなかったからだ。
「そ、その…、イントネーションが、地元っぽくないから……。それで……」
徳野は、しどろもどろになりながらそう答えた。
なんとなく噛み合わない会話に、徳野は掌に汗を握った。
けれど、そんな徳野の心を知ってか知らずか、その彼女はずっと徳野を見つめ続ける。
更に、居心地の悪さを感じた。
「地元というか……、私は今年東京からここに転勤してきたの」
と言って、彼女が小さく微笑んだ。そして、携帯のストラップを指先で爪弾いた。
「そ、そうなんだ……。東京から…・・・」
「そちらも?東京の方から?」
「あっ……いや、その、札幌から……しゅ、出張で……」
「そう、札幌から……」
そう言って、あすかが遠い目をする。
そして、何かを懐かしむように、いいところですよね、北海道って……、と呟いた。
けれど徳野は、その彼女の声が聞こえないふりをして、違う質問を投げ掛ける。
「生活は、もう慣れた?」
「ん……、そうね。最初は大変だったけど、今はすっかり」
と言って、あすかは笑ってみせる。けれど、その笑顔は無理に作ったようにも感じられた。
「そう、それは良かった」
何が良かったのか。そう疑問を感じるものの、そんなふうにしか言えない自分がいる。
だからといって、気の利いた言葉は相変わらず見つからずじまい。
あすかから垣間見えた淋しさを、徳野は感じ取っていながらも。
「ねぇ?お名前、聞いてもいい?」
「あっ?あぁ、勿論。僕は、徳野啓次。じゃぁ…君の名前も、聞いてもいいのかな?」
「えぇ。私は、あすか。ついでに、歳も聞いてもいい?」
「えっ?と、歳?」
「あっ、イヤだった?なら、無理に答えなくてもいいのよ。なんとなく、会話の流れで聞きたくなっちゃっただけだから」
「あ…いや……。なんか、若い娘に歳を言うのが気恥ずかしいというか……。なんか、その……」
自分は何を照れているのか、と思ったら、更に恥ずかしさが増した。
「やだ〜。若いって、私が?嘘でしょう?」
と言って、あすかが愉快そうに笑う。
えっ?徳野は呆気にとられ、あすかが笑うのを止めるまで見つめた。
「徳野さんって、面白い方ですね。もてるでしょう?」
「えっ?いやいや。そんなことは……」
徳野は女性に初めてそんなことを言われて、少し混乱した。
性格が引っ込み思案のためか、女性にもててもてて仕方がない、なんてことは生まれてこの方ないに等しい。
人は必ずもてる時期があるというが、それは嘘じゃないかと徳野は思っていたからだ。
そんな時に、若い娘からのこの発言。どう対処をしたら良いものか、とまた悩む。
「私、若くないですよ。もう31ですもん。ホント、20代にはかなわない」
あすかは、綺麗にカラーリングされた長い髪を指先でクルクルと絡め遊び始めた。
「31なんて、まだまだ若いよ。僕なんて、もう43歳だよ。そんな僕から言わせてみれば、色んなことが出来てまだまだ楽しい時期だと思うけどな〜」
「そうかな……」
「そうとも」
「なんか、徳野さんにそう言われたら、そんなふうに思えてきた」
「そう?それは良かった」
「えぇ。でも徳野さん、43歳だったんですね。もっと、若いのかな?って、思いました」
「そう?みんなからはよく、もうちょっと上かと思いました、な〜んて言われるけど」
「嘘、そうなの?じゃ、私の目がヘンなのかしら?」
と言って、あすかは無邪気に笑った。
「おいおい、それはないよ〜」
徳野もつられ、笑った。
いつの間にか、ぎこちない会話はなくなり、居心地の悪さも消えていた。
久し振りにする仕事以外での他愛もない会話が、徳野を楽しい気分にさせていた。
勿論、相手が女性だからなのかもしれない。
けれど、この歳で知らない土地でこうして誰かと知り合えるということに、徳野は高揚するのだった。
「なんや、徳ちゃ〜ん?俺の彼女に、ちょっかいかけんでくれんよ〜」
そう言って、少しむくれた店主がさわらのお茶漬けと、だいぶ前に注文したお酒を徳野の前に置いた。
「えっ?それは知らなかったよ。二人、そんな関係?なんか、羨ましいな〜」
徳野は、店主とあすかを交互に見やる。そして、出されたばかりの酒を一気に仰ぐのだった。
「やだ〜。ちょっと、徳野さん?嘘よ、嘘。本気にしないで。マスターには、私よりももっと若くて綺麗な奥さんがいるんだから。ねぇ〜、マスター?」
えっ、嘘?徳野がそう呟くも、あすかの笑い声にその声は掻き消される。
「いやいや、そんなことないない。あすかちゃんの方がず〜っと、うちのヤツなんかより魅力的やで。それにおじさん、あすかちゃんが店に来てくれると嬉しいやんか」
「またまた、マスターったら。その言葉、もう聞き飽きました」
「そっかい?」
作品名:And Then ~すべては、そこから…~ 作家名:ミホ