テポドンの危機1、続
「日本は、彼らの亡命を助けたりしない。そして、北からの攻撃も許さない。われわれにはミサイル追撃など、最新の防衛システムもある。」
そう、言い残し、執務室から立ち上がろうとした。
「….後は、サットの連中に任せろ。」
そう言い残し、部屋から出て行った。
「…あとは、サットし次第か…」
少し荷が重過ぎる…
東がそう呟いた。
「…ったく…後一ヶ月足らずで任期満了という時に、何てことだ…」
外気に触れながら、鯉積はそう、ぼやかざるには居られなかった。
官邸の外に出ると、雨が降り始めていた。黒雲の立ち込めたような嫌な雨脚だった。
「近頃、やけに雨が多い。これで地震でも起きなければ良いが…」
いつもの通り、ハイヤーには乗らず、一際激しく降り始めた、雨の中へと、一人足を踏み出した。
三沢のスケート会場では、白熱したショートトラック競技が行われていた。まるで、周りの不安を払拭するかのように、鋭いスケート裁きと行き詰まる熱戦が観客を魅了し続けていた。男子では大方の予想を裏切るように、日本勢を抑えて韓国選手が活躍した。金メダルを取った、チョンリークンはドーピング検査を控えていた。本来彼のドーピングに付き添うのは洋平の役割だったが、急遽もう一人の英語通訳陽子が担当することになった。競技を終えた後、どこに行くのにも彼の後を追っていかなければならない。トイレや休憩の時もそうである。さすがに金メダリストだけあって、歩くスピードも只者ではない。陽子は駆け足るように彼の後を追い続けた。
「何で、そんなに早いの。ねえ、あんた、ちょっと待ってったら。」
そんな悔しい思いの陽子だったが、いつの間にか彼女の思いは小さな恋心に変わっていた。
ただ一人洋平の安否を心から気使うのは飛鳥だった。
「洋平さん、ちゃんと帰ってきて。」
心配げな顔で、そう願う彼女だった。
「官邸から連絡はまだか…」
上原が警官の一人に聞いた。
「…たった今、入った情報によりますと、首相はサットにすべて一任する、そういうことでした。」
「一任といっても、これでは手も足も出ない…」
そういう間に、特捜室の無線に、メッセージが送られてきた。
「待ってください、上原警部、誰かが、いや北朝鮮の選手団からのメッセージです。」
“改めて言う…われわれは二十四名全員米国への亡命を希望している。それを日本政府に要求する。われわれの希望が叶わないとき、そのときは、人質全員の命は保障しない…
その時、もう一人の声がした。それは紛れもない日本人の声…どこかで聞いたことがある。
“!上原さん。洋平です。たった今、北の司令室に居ます。僕は無事です。そして硝さんもここに居ます。今から彼らの要求を通訳するように言われています。彼らは本気のようです。ほかの選手たちもほとんどここに囚われています!
{…..}誰かが鋭くさえぎる声がした。
“…すみません、彼らの要求だけを通訳するように言われました…“
“….車を、そして運転手を付けて。空港にチャーター便の飛行機を一台。韓国語のできる機長をつけて欲しいということです。そしてアメリカに直接飛びたい。そう言っています。
準備が整えば、人質は一人ずつ、解放する。しかし、それは全員が空港に着いた後だ、そういっています。分かりましたか、車とチャーター機…」
「洋平君、時間を稼いでくれ。なるべく長く。こちらの手配にも時間がかかる…」
“彼らは早くしろといっています。さもなければ一人ずつ、犠牲者が出ると…彼らは爆薬も持っていますよ。大きな火薬庫…あ、い、痛いっつうのに、このやろう…”
再びそこで、洋平の声が閉ざされた。
「…チャーター機と車だなんて…」
上原がポツリとつぶやくように言った。
「おい、官邸ではその後どう言っているのだ。」
上原が怒りをあらわに言った。
「首相は、連中の亡命の手助けはしない。アメリカ行きの手配もしない。そう言っています。あの首相のことですから、そう決めたら、本気だと思います。」
「…連中も本気だ。さもなければ人質は危険にさらすと、言っている。」
一体どうすれば….
“いくら、サットに任せるといっても、こんな事態まで丸投げでは…”
さすがの上原は途方にくれ始めた。しかし、そうしている間にも、彼ら人質の命はますます危険にさらされていくのであった。
「こちらからの要求は彼らに届いているのか?」
「だめです。通信は一方通行で、相手方の受信は遮断されています。彼らは自分たちの要求だけを伝え、後はこちらの出方を見る姿勢と思われます。」
「何もかも手つまりじゃないか!」
ここ青森には米軍三沢基地がある。日常の訓練飛行が行われているが、一際米空軍機の様子が慌しくなった気がした。起動ヘリや、戦闘機が三沢アリーナの周りを怪しげに旋回し始めた。
「首相…アメリカからホットラインです。」
官邸に居る、官房長官が言った。
「アメリカから….プッシュ大統領か….」
官房長官は、それには答えずただ首を小さく立てに振った。
やがて、執務室の扉を開けて、再び鯉積首相が現れた。
「。。。。」
こう言うときの首相には誰も言葉をかけることはできない。
「….それで、どのようなご用件だったでしょうか…」
おそるおそる官房長官が声をかけようとしたとき、
「今すぐ、チャーター機を用意せよ。そして車の手配も、だ。韓国語のできる人間を探せ。」
それだけ言うと、さっと踵を翻し、トレードマークの髪を靡かせて、立ち去って行った。
“しかし、アメリカがここまで関与してくるとは…“
一瞬、僅かな懸念が彼の脳裏を過ろうとしたが、それを振り払うように歩く速度を速めた。
サットは既に臨戦態勢を整えていた。こうなれば、後は特殊部隊を送り込むしか方法はない。屋上からロープ伝いで窓ガラスを割って乱入、催涙ガスでかく乱した後、一気に突入。まさに強行突破。しかし、彼らに残された選択はそれしか無いかに思われた。その時、ある程度の犠牲者は覚悟の上だ。今の上原は冷徹な特殊任務を負った、戦闘集団の司令間に徹していた。ここには安易な温情が入る隙は一切ない。ただ完璧な計画性と綿密な計算、そしてそれにもと付く訓練された行動のみがあった。またサット自身、そのような冷徹な戦闘部隊でもあった。
「特殊部隊、準備よーし。」
班長の号令とともに、五、六人の全身黒の戦闘服に身を包んだものがヘリに乗り込むところだった。どうやら、空から屋上つたいに潜入するらしい。
階下の雪上からは拡声器で大きな声で、忠告が続いていた。
「人質を解放せよ。さもなくば君たちの安全は保障しなあい。逃げることは出来なあい。完全に包囲されている。再度警告する。ここは包囲されている。逃げることはできない。」
間延びした拡声器の声が、彼らにどれだけ伝わっているかは疑問であった。しかし、通信が途絶えている以上、彼らにできるのは、この方法はしかなかった。
建物の周りは報道陣や人ごみでごった返した。一体、どういう展開になるのか誰もが息を飲んで見守る様子となった。
ホワイトハウスでは、プッシュ大統領がコリンパウエル氏に命令を下していた。
「日本にチャーター機と彼らの輸送用の車を用意させるのだ。もちろん韓国人通訳つきで。
作品名:テポドンの危機1、続 作家名:Yo Kimura