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無実の男

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私は受付の女性が部屋を出るのを見送ると、周囲のものに眼を配った。御世辞にも綺麗とは言えない建物だった。壁の漆喰はひび割れ、雨漏りの痕が痛々しかった。事務室も狭く小学校の教室を思わせるものだ。従業員も十人にも満たなく、日本の中小企業のモデルであった。そこからすぐに桃内沙紀が応接室に入ってきた。
「警視庁の黒河です。お仕事中なのにお忙しいところ申し訳ありません。」
「いえ、そうでもないですよ。最近は不景気で寧ろ仕事が欲しいくらいですから。」
いきなりの先制パンチに、私の方が面食らった。ソファに座る際に、私は目の前の証言者に視線を送るのを怠らなかった。
濃い目の化粧に、毒々しいまでの口紅。爪はネイルアートと言うのだろうか、白、黒、黄色と様々な色で彩られている。第一印象では、少々遊んでいそうな女性であった。
桃内沙紀。二十六歳。市内のKH印刷株式会社と言う会社に勤務。被害者の遠野美樹とは会社の数少ない同期。配偶者は無。その程度しか頭に入っていない。
「今回お邪魔したのは他でもありません。先日起こった遠野さん殺害事件についてです。」
「えぇ。知っています。でもあの犯人は逮捕されたって新聞やテレビで報道されていますけど。」
「はは、それはマスコミが先走ったに過ぎませんよ。確かに遠野さんの同棲相手の佐倉氏が現に署内におりますが、あくまで重要参考人として任意同行してもらっているだけです。」
「彼がやったの?」
急に桃内の眼が変わる。その視線は獲物を前にした猛禽類を思わせる。この女、ただの遊び好きな女性では無い。
「それは解りません。実はそれについて聞こうと思い、今日はこうして訪れた訳です。
桃内さんは、佐倉氏の事を良くご存じなんですか?」
「良くって程じゃないわね。せいぜい二、三回逢ったって言うくらいかしら。面識はあるけどね。…私は彼がやったと思うわ。」
ポーチから煙草を取り出し、無遠慮に火を点けながらそう言い切った。
煙が宙を舞い、拡散し、そして消える。
「…そうお思いになる理由は?」
「一週間くらい前から美樹言ってたわね。私たち別れるかもしれないって。」
「原因は何ですか。もしかして浮気が原因とか。」
「あら刑事さん、耳が早いんですね。そうよ浮気よ。それも一度や二度じゃないから、今回は本気かなって思ってたわ。」
「佐倉剛輔氏の、ですか?」
「まさか。美樹の浮気に決まってるじゃない。」
初耳だった。確かに鈴原から浮気が原因で口論をしていた、とは聞いていたが、まさか浮気をしていたのが男性側では無く、女性側だったとは。
しかしこれで状況は悪化した。あいつのことだ、ずっと信頼していた同棲相手の度重なる浮気で、かっと頭にきて衝動的に相手を殺害してしまう姿が容易に想像できる。その後、我に返った佐倉剛輔が、茫然自失でフラフラと彷徨い、公園に辿りつく。
第三者を納得させるには持って来いの動機だ。
くそっ、まさか、本当にあいつが…。
いやそれはない。断じてない。あいつがよりによって自分の身近な人間に手を掛けるなんて、絶対に考えられない。
私の只ならぬ表情を感じ取ったのか、桃内が声を掛けてくる。
「あの刑事さん、大丈夫ですか。」
「え、あぁ、大丈夫です。最近寝不足が続いてまして。」
見え透いた嘘だと言う事は百も承知だ。彼女の方も、口から煙を吐き出すがそれ以上は言及してこなかった。
「そうねぇ。もしかしたら…。刑事さん、あそこに行ってみたら?」
「…はい? あそこ?」
「N**駅の高架下のバーよ。私と美樹と、それにその佐倉って彼と三人で飲んだ事があるわ。確か店の名前は『アラビク』だったかしら。」
「『アラビク』…」
「美樹曰く、二人で結構足しげく通って立って聞いてたわ。客も少なくて、もし出入りしてたらマスターも顔を覚えてるかもよ。」
「なるほど。早速向かってみます。ご協力感謝します。」
折りたたんだコートを拾い上げてようとすると、桃内は灰皿に短くなった煙草を押しつけこう続けた。
「私もね、こんなナリしてるけど美樹は数少ない友達だったんだから。あいつが死んで協力しない訳無いでしょ。」
彼女の横顔に、ブラインド越しのほの暗い夕陽が影を落とした。
私は改めて深々とお辞儀をして部屋を出た。

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あたりはかなりうす暗くなってきた。太陽の光はとうに消え、代わりにビル街のネオンがアスファルト上にケチャップをぶちまけた様に紅く滲んでいる。
ビルとビルに挟まれたように、そこは存在した。
―――アラビク
ドアを開けてみる。確かに客は多くは無いようだ。フロア自体も広くなく、せいぜい十人程度が限度と言ったところか。
「いらっしゃいませ。」
マスターだろう。ブラックのスリーピースを着こなし、口元には髭を蓄え、中年の威厳を感じさせた。
「お飲み物は?」
「いやいや、客じゃないんですよ。警察の者でしてね。実は今、人探しをしているところなんですよ。この人なんですがね。」
私は胸ポケットから、佐倉剛輔の顔写真を出した。
「見覚えありませんかね?」
「…知ってますよ。」
「なに知ってる? それはいつの事で!」
「そうですね。確か三日前ですよ。最後こちらにいらっしゃったのは。」
「三日前って事は、十月十九日ってことか?」
「えぇ間違いありませんよ。確かその日は御一人でいらっしゃったはずです。お店にいらっしゃったのが、八時過ぎでしたね。いつもは女性と一緒だったのに、この日ばかりは彼一人でしたね。そうそう、代金の方もツケになってましたよ。ええっと少々お待ちください。」
そう言うとマスターは、レジの隣の棚からファイルの様なものを取り出してきた。
私の目の前でページを捲りだすと、とあるページでその手を止めた。
「これです。お名前は……、佐倉様、佐倉剛輔様です。日付も入っていますね。はやり今月の十九日です。」
「ちょっと失礼。」
私はそのファイルを引っ手繰った。マスターの指さす場所には、確かに『ご飲食代:五千五百円。十月十九日』と入っていた。ご丁寧に『佐倉剛輔』と直筆の署名まで残っている。
間違いない。あいつの肉筆だ。
「マスター。先ほど、こいつが店に顔を出したのが八時過ぎって仰いましたね。では店を出たのは何時頃か覚えてませんか。」
「十一時過ぎです。お店の他のお客さんと、ちょっとした口論になりましたからね。しっかりと覚えてますよ。」
「間違いないんですね!?」
「えぇ。間違いありませんよ。何ならその口論したお客さんに聞いて見ますか。こちらもうちの常連さんですから。」
作品名:無実の男 作家名:星屑の仔