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無実の男

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「なら先輩、どうしますか。」

最近の若者は上からの指示を待つだけの受け身の人間が増えたな。これもゆとり教育と言う時代の闇のせいなのか……
なんてな。
そんな世代の土台を築いたのは、何を隠そう我々の世代だ。こうやって『時代』と言う曖昧な対象のせいにして責任から逃れようとするのは、我々の世代の悪い癖だ。そしてそれに気付いているのに、何もしようとしないのは個人の責任なのさ。

ハンガーに掛けてあるヨレヨレなグレーのコートを手に取る。
「決まってる。現場百篇、私が直接見に行ってみる。」
「え、でも部長に提出する報告書はどうするんです。」
「適当にでっち上げてろ。

北風が一陣、私のすぐ横を通り過ぎた。お前は通り魔か、と言うくらい強力な突風だった。
ポケットから残り少ない煙草の箱を取り出す。乱暴に取り出し火を点ける。
紫煙がゆっくり杯に充満する。全身にニコチンが駆け巡り、脳も徐々にギアを上げに掛かる。最近では署内だけでなく取調室でも健康増進を目的とした禁煙化が進んでいる。だがしかし、歯をタールで真っ黄色に染めた輩を見ると、一体誰のための禁煙化なのだろうと不思議になる。だからあの時の床に転がった灰皿は、ささやかな抵抗なのだ。
暫くすると目的地に到着した。看板には『富士見荘』と書かれていた。
見るからにオンボロなアパートだ。壁のペンキは剥がれ、側面に設置された階段や二階の通路は、雨ざらしになっていて錆び放題だ。
そのアパートの前には、一人の老婆がせっせと落ち葉をかき集めていた。
大家の富士見静子だ。頭髪は白髪で染まっており、腰も大きく曲がっている。確か捜査資料では年齢は六十五歳くらいだったはず。私よりも一回りほど人生の先輩と言う訳だ。
「お忙しいところ申し訳ありません。このアパートの大家さんの富士見さんですか?」
私の問いに、老婆はゆっくりと顔を上げる。
「私、警視庁一課の黒河と申します。少しお時間よろしいですか。」

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部屋に通された。富士見荘の101号室だった。富士見静子は自分のアパートのこの部屋に、今現在暮らしているそうだ。三年前に伴侶を病気で失い、それ以来女手一つでこのアパートを守ってきたそうだ。しかしこのご時世、不景気だし何より建物の老朽化で入居希望者は年々減ってきていると言う話を聞かされた。
「そうそう、つい先日の事件の事でしたね。」
「えぇ。事件当日の話をもう少し詳しく聞きたいんです。例えば佐倉剛輔氏を最後に見たのはいつごろですか。」
「ええっと、確か事件の起こった前日です。確か時間は夕方の六時頃だったと思います。」
「確かですか?」
「はい、もうすっかり日も暮れていましたし、まず間違いないと思います。仕事から帰ってきて、二階に昇る階段で見ました。ほら部屋が二階なものですから。」
「なるほど、ではそれ以降は見てない訳ですね。例えば、彼がアパートから出ていく姿とか。」
「見ていませんねぇ…。ただ気がつかなかったと言う可能性もありますけどね。」
「では遠野さんのほうはどうです。彼女は何時頃こちらに帰ってきたかはお分かりですか?」
「確か、七時過ぎでしたね。テレビのニュース番組を見ていたので、恐らく七時三十分前後のはずです。申し訳ないんですが遠野さんの方もそれっきり見てません。」
「すると、翌日の朝、203号室で遺体として発見するまで遠野さんは見てない訳ですね。
富士見さんは夜中、203号室の方から物音を聞いてはいなんですか?」
「あぁ、そのことですか。いえ、正確には気がつかなかったんです。と言うのももうこんな年でしょ、寝るのは早いんです。」
「しかし、部屋はそうとう争った形跡がありました。恐らくかなりの物音があったと予想されます。現に、隣の202号室の方は大きな物音でびっくりしたと証言されていましたよ。」
「えぇ。たぶん慣れてしまったのだと。確かに夜中に大きな音を聞いた気もしますが、特に目を覚ますことも無く、また眠りについてしまいました。と言いますのも以前は結構な音が漏れていましたよ。『別れよう!』とか『殺すぞ!』とか。それはそれはびっくりしました。ただそう言う日が何日も続くと、人間って不思議なものですね、慣れが来てしまうのです。その日も、もしかしたら大きな物音や叫び声がしたのかもしれませんが、あぁいつものことだろうとおもってしまったのかもしれません。そのことがショックでショックで…。」
メモ帳に眼を落とす。鈴原の持ってきた調書とさして目新しいことが得られなかった。取り敢えず調書に間違いが無かったと言う事が解っただけ僥倖か。
「もう一度お聞きします。良く思い出してください。あいつを、佐倉剛輔を御覧になっていませんか。後ろ姿を見たとか、階段を下りる音を聞いたとか、外から話声が聞こえたとか。本当に何でも良いんです。あなたの記憶一つで、あいつを無実の罪から救いだすことが出来るかもしれないんです。」
老婆は狼狽していた。いきなりそんな事を言われても、と言った表情であった。
私も無理を言っていることは重々承知であった。もしここで思い出せるものなら、とっくに鈴原が聞きだしていることだろう。富士見静子は、何もありませんと首を横に振るだけだった。
「いやいや、すいません。急に押しかけて来た上に、訳の解らないことを言ってしまって。」
私は自らの無礼を詫びるように、速やかにその部屋を後にする。
ドアノブに手を掛け外に出ようと言う時、私は最後に振り返った。
「最後にお聞きしたいんですが、富士見さん。富士見さんから見て『佐倉剛輔』ってどんな人物でした?」
「えぇ、とっても良い子でしたよ。」
その言葉に嘘偽りは無いように見えた。私は、ですよねと漏らし、改めて富士見荘を後にした。

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「只今桃内を呼んで参ります。」
受付係の女性が、目の前にコーヒーを置いて、応接室から出ていった。
作品名:無実の男 作家名:星屑の仔