So Wonderful Day
(6)
この辺りでは比較的新しい住宅のバートン家に着いたのは、リクヤがミセス・ブラウンとの電話を切って三十分後。急ぎ車を降りてドアベルを鳴らすと、出てきたのはそのミセス・ブラウンだった。白髪を前からきっちり引っ詰めて、露わになった額にはうっすらと汗が浮かび、頬はばら色に発色していた。医師二人を迎え、腕まくりしたシャツをさりげなく下ろしながら中に導く様は、まるでこの家の主のようである。
リビングに人の姿はなく、その奥の夫妻の寝室に家族が集まっていた。入ってきた二人を一斉に見る。ベッドの中央にはシェリル、彼女の肩を抱くのは、花柄のスカーフを三角巾代わりにして左腕を吊るマイケルで、反対側では子供達が母親の胸元で組まれた腕の中を覗いていた。彼女の腕の中には、大判のタオルに包まれた赤ん坊がいる。
「あれからすぐに生まれたのよ。女の子」
ミセス・ブラウンがベッドの端に「よっこらしょ」と腰を下ろした。
「助かりましたよ、ありがとうございました」
リクヤが彼女に礼を言った。
「昔取った何とかよ。赤ん坊を取り上げるのは二十年ぶりぐらいだけど、覚えていたわ。最近、私に認知症疑惑が上がっているようだけれど、まだまだ大丈夫でしょう?」
ミセス・ブラウンは片目を瞑って見せる。
「ソーシャルワーカーに言っておきますよ。年寄り扱いするなってね」
リクヤはそう答えて、カバンの中から聴診器と簡易血圧計を取り出しシェリルに近づいた。
ジェフリーはベッドから離れたマイケルの担当だ。彼の左腕は骨折していたが、ちゃんと副え木で固定されている。これもミセス・ブラウンの処置で、花柄のスカーフは彼女のものだった。
ビクトリア・ブラウンは元看護師であり助産師の資格も持っているのだとか。二十年前に引退するまでは、ここら一帯の妊婦を担当していて、実はシェリル・バートンも彼女に取り上げられた子供の一人であり、それをシェリルが思い出して上の子が呼びに行かせたというわけだった。
マイケルは左腕の完全骨折で、持参した治療キットで充分間に合った。子供達二人は身体が柔らかく小さいため、目に見えるのはかすり傷程度、頭も打っていない様子である。雪でスピードが出なかったことが幸いしたのだろう。念のため、明日にでもクリニックに来るように指示した。
赤ん坊は簡単なチェックを受け、生まれた時のためにすでに用意されていた傍らのベビーベッドに移された。産湯も使い、清潔な産着に包まれていたので、何ら問題はない。ミセス・ブラウンの手技は完璧だった。
「可愛い女の子だね」
シェリルを診ながらリクヤが言った。
「ありがとう。出来ればクリスマスに生まれて欲しいと思っていたから、神様が願いを叶えてくれたのね」
彼女は胸にかかったクロスに口付ける。
「本人は嫌がるかも知れないよ。一緒に祝われちゃうからね」
「うふふ、そうかも」
ニュッと、湯気をたてるマグカップがシェリルに差し出された。ミセス・ブラウンが人数分、温めたミルクだ。
「そんなことありませんよ。世界中のクリスチャンみんなが祈る日なのよ。これほど神聖な日に生まれる幸運はないわ」
「祈りはキリストのためでしょう?」
血圧の測定帯をシェリルの腕から外しながら、ミセス・ブラウンの言葉にリクヤが控えめに反論した。日ごろ、彼女と接するうち、口では勝てないことが彼にはわかっている。もちろんジェフリーも知っていた。
「祈りを捧げる行為と精神が崇高なものなの。そこにはただ神様への想いがあるだけですからね。幸せも嘆きも考えず、ただ祈るだけ。ある意味、無欲で純粋な日よ」
ミセス・ブラウンはミルクの入ったマグを配り終えるとベビーベッドに近づき、中の赤ん坊を見つめた。リクヤはと言えば、右眉がいつもより中途半端な上がり方をしている。彼女に反論したいのを抑えているのか、それとも機会をうかがっているのか。マクレインではこう言う複雑な表情を見せない男だった。一年前に再会した時も。ジェフリーは頬が緩んだ。
「不満そうね、リック。その様子だと、あなたはクリスマス生まれなんじゃない?」
今度は右眉が完全に反応した。
「いつもクリスマスに『負けていた』口ですから」
クスクスとミセス・ブラウンが笑う。「いくつになるの?」の質問には、リクヤは答えなかった。「五十五才ですよ」とジェフリーが変わって答えると、彼はジェフリーに向かって口元をへの字に曲げた。五十五才など八十三才と比べれば子供だが、その表情も、ジェフリーには少年に見えた。
「少なくとも知った私は、これから先、クリスマスが来る度にあなたの誕生日でもあると思うのよ」
ミセス・ブラウンはリクヤの前に立ち、彼の手を取って両手で包み込むようにして握り締めた。
「お誕生日、おめでとう。あなたのことを愛する人達には、今日はまぎれもなくあなたの誕生日。それは覚えておきなさい」
彼女につづいてその場にいたみんなが「おめでとう」を言った。
リクヤのへの字に曲げて引き結んでいた口は緩んだ。上がっていた右眉も元の位置に戻って逆に左眉と対になり、下がり気味になっている。リクヤは彼女の、そして周りの反応に困っていた。ミセス・ブラウンもそれを察したのか、握り締めた手を放し、少し背伸びをして今度は彼の頬を両手で挟んだ。きっと年の功や元看護師としての経験値で、リクヤの複雑な生い立ちを感じ取ったかも知れない。
「明日、うちに来て頂戴ね、ドクター。アポロンのお薬が切れたから」
「…ミセス、猫は専門外なんですがね?」
そんな言葉は聞き流し、ミセス・ブラウンはまた赤ん坊の元に戻った。
リクヤはジェフリーの方を見て、肩をすくめた。
作品名:So Wonderful Day 作家名:紙森けい