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So Wonderful Day

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(7)




 帰り道、雪はすっかり止んでいた。傾いた太陽が灰色の雲の向こうに薄っすらと透けて、弱弱しいオレンジ色の光を放ちながら遠くの山並みに沈もうとしている。雲がところどころ切れ、冬のくすんだ青い空を覗かせていた。
 バートン家にはミセス・ブラウンが残ってくれることになり、ジェフリーとリクヤは車に乗り込んだ。雪道も慣れておきたいと、帰りはリクヤが運転席に座った。
 ラジオから天気予報が流れる。低気圧は通り過ぎ、雲も急速に晴れて今夜は星空になるだろうとのことだった。
「晴れても雪が溶けるわけじゃない」
 リクヤがシニカルに言った。
「確かに。来た時と同じくらいかかるなら、一時間は車の中だ」
 ジェフリーはうんざりとした口調で答える。
 一面の銀世界。またこの中を走るのかと思うと辟易するが、戻らないわけには行かない。それでも轍に新たな積雪はなく、他にも車が通ったため、踏み固められて道らしくなっている。スピードは出せないものの運転は来た時よりも楽だった。タイヤが取られることもなくスムーズな走行で、一時間もかからずに帰宅出来そうである。
――ミセス・ブラウンに先を越されたなぁ。
 つい半時間ほど前のことを、ジェフリーは思い出す。「誕生日おめでとう」を一番最初にリクヤに言うのは、自分のはずだったのにとも。
「何が?」
 リクヤが聞き返した。心の声は、どうやら言葉になって現実に出ていたらしい。隠すのもおかしいので、「誕生日おめでとう」が…と答えた。
「なんだ、覚えてくれていたのか」
「あたりまえだろう。こんなわかりやすい日、忘れるわけないさ。うんとロマンチックな夜にして言うつもりだったのに」
 バックミラー越しに彼がジェフリーを見た。呆れているのがわかる目の表情だ。
「キャラじゃないだろう?」
「失敬な。僕は好きな相手には誠実でマメなんだからな」
 だったら四度も離婚するわけがない――もう一人のジェフリーが頭の中で言った。
「どうだか。君は元奥方達の誕生日をよく忘れて、当日になって大騒ぎしていたじゃないか」
 リクヤがジェフリーの内なる声を代弁する。当然ながら反論出来ない。ミセス・ブラウンほどの年季があれば、上手くやり込められるだろうに、その点ではまだまだ自分も若造だと苦笑する。
 小一時間もしないうちに、自宅にたどり着いた。太陽の残照が山の向こうにほのかに見えたが、辺りはすでに夜モードになっている。雪が被っているせいか、景色はどこまでも続く荒野に見えて、いつもと雰囲気が違った。牧場の延長であるクリニック周辺には家屋がないので普段も静かなところなのだが、今夜は一層の静寂に支配されそうだった。
「誰かいる」
自宅近くでリクヤが指差す。留守宅のはずなのに、窓からは灯りが漏れていたからだ。
「ああ、エレナだ。夕食の支度に来てくれているんだよ。今日は疲れて作る気になれないだろう? だから向こうを出る時に電話で頼んでおいたんだ」
「気がきくな?」
「だろ?」
 ジェフリーはガレージの手前で車から降りて、一足先に家の中に入った。部屋は暖められていて、料理の良い匂いがする。リビングの中央に移動したダイニングテーブルの上にはアレンジした花が飾られ、ジェフリー手作りのバースデイ・ケーキとエレナが作った料理が並んでいた。電話で知らせた時間よりも少し早めについたのだが、ほとんど準備は出来ている。
「リックは?」
 エレナはキッチンで料理を盛り付けている最中だった。
「ガレージだ。もう来るよ」
 当初は娘夫婦の家で開く予定だったパーティーを、エレナが気を利かせてジェフリー達の自宅で準備してくれたのだ。
 サプライズ・パーティーはわくわくする。本来ならクラッカーを鳴らすところだが、幼いエイミーが驚いて泣いては水を差すことになるからと無しにした。それにクラッカーの音がなくても、リビングに入った瞬間にリクヤが驚くことは想像出来る。
 表のドアの開く音が聞こえたかと思うと、ほどなくリビングのドアノブが回り、リクヤが入ってきた。
「ハッピー・バースデイ!」
 揃った声にリクヤの目が見開いた。
 クラッカーは鳴らないが、ジェームズの抜いたシャンパンの栓が心地よい音を響かせて宙を舞い、それを見て喜んだエイミーが、甲高く可愛い声を上げる。
 エレナがエイミーに予め棘を取った赤い薔薇を一輪握らせる。「リックに『ハイ』して」と背中を軽く押すと、エイミーはヨチヨチとリクヤに向かって歩き出した。
「こりゃ…いったい」
 リクヤは突っ立ったまま、ぼそりと呟いた。独り言に近い。
「今日は君の誕生日だ。誕生日と言えば、バースデイ・パーティーに決まっている」
 エイミーがリクヤの足元に到着した。「あい」と薔薇を差し出す。リクヤはようやく我に返り、かがんでその花を受け取った。
「決まっているのか?」
「そうさ、少なくとも僕達の『家』ではね」
 ジェフリーはリクヤに近づいて、彼の肩をポンポンと叩き、立つように促した。リクヤは抱っこをせがむエイミーを抱いて立ち上がる。エレナがあらためて「おめでとう」を言い、リクヤの頬にキスをする。ジェームズも「おめでとう」と握手した。
 リクヤは少し固まっている。どう反応して良いかわからない様子だった。手が機械的にエイミーの金色の頭を撫でる。
「ほら、リック、とにかくこっちへ。ローソクを吹き消さなきゃ。ケーキはパパが作ったのよ」
 エレナがケーキにローソクを刺し、火を点けた。
「ケーキを、君が?」
「僕からの誕生日プレゼントさ」
 リクヤがテーブルの傍らに立つや否や、ジェフリーは「Happy birthday to you」を歌い出した。エレナがリクヤの腕からエイミーを引き取り、ジェームズと並んで父親の歌に合わせる。
 リクヤがここに来て一回目の誕生日だから、ローソクは一本にした。ゆらゆらと、炎が歌に合わせるかのように揺れる。リクヤはそれをただ見つめていた。
歌が終わって、リクヤがローソクの火を吹き消す。同時に拍手が起こった。
「ありがとう」
 リクヤは火の消えたローソクを見つめたまま言った。感激してくれているのだろうか。バートン家でも今も、リクヤは戸惑いを隠せないでいる。
 ジェフリーは彼が泣くかも知れないと思った。泣いてくれれば良いと思った。感激して欲しいわけではなく、まだどこか頑なな彼の心が解れればと――が、しかし。
「ジェフ」
「ん?」
「綴りが間違っている」
 リクヤはケーキの飾り文字を指差し、顔を上げた。「え?」とジェフリーは指差した先を見る。昼間、エレナに「リクヤを愛しているのだろう」と図星を指され、動揺して「birthday」の「y」の字をミスった。修正する間もなくバートン家に向かったのでそのままになっていたのだ。直してくれても良いのにとの意味合いで、ジェフリーはエレナを振り返った。
「だって、全部自分でするって言うから」
とエレナはジェフリーの言わんとすることに答えたが、どうも確信犯に見える。
「や、それはだなぁ、ちょうど君からの電話が」
 しどろもどろに答えるジェフリーに、笑いが起こる。その中にはリクヤの声も入っていた。

作品名:So Wonderful Day 作家名:紙森けい