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So Wonderful Day

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(5)




 運転手を買って出てくれたジェームズの厚意を丁重に断り、ジェフリーは車に乗り込む。
 マイケル・バートンの妻・シェリルは出産を年明けに控えていた。予定日までは一週間以上、三人目の子供で安定し、妊婦本人も慣れたものだったのだが、母体にショックを受けると状態は途端に変わる。リクヤからの短い電話の内容だけではわからないが、車が横転したとなると多少のケガを負っているかも知れない。ここから郡の総合病院までは距離があった。ケガの度合いではヘリの要請が必要になるだろうと、ジェフリーは考えをめぐらす。
「また降ってきたな」
 ジェフリーは独りごちた。風で雪がフロントガラスに吹きつけられている。
 アメリカのスノーベルトであるクリーブランド出身のジェフリーは、雪には慣れっこだった。だがリクヤはどうだろう。ジェフリーが知る限り、彼はマンハッタンでの生活が長かった。通勤もたいていは公共機関を使っていたように記憶している。雪道を運転したことがあるのだろうかと。
 途中、自宅の前を通りかかったので様子を見たが、当然ながら公私で兼用している茶色のCUVはなかった。
――出ることは出られたってことだな。
 しかしそれから数分進んだところで、雪で立ち往生しているそのCUVを発見する。傍らにはタイヤを覗き込むリクヤの姿が在った。
「リック、どうしたんだ?」
 ジェフリーは車から降りて、リクヤの元に向かった。
「チェーンの巻き方が甘かったらしくて、外れてこの様だ。巻き直すのは無理だと悟ったところに君が来た」
 彼は肩をすくめた。
「とにかく、こっちに移れよ」
 ジェフリーはリクヤを促した。彼は頷いて、車の中から二人の診療バックとポータブルのレントゲンが入ったケースを運び出す。
車内で詳しい話を聞くと、シェリルは横転した車に乗っていたのではなかった。雪橇遊びに出かけた夫のマイケルと二人の子供の乗った車が、自宅から数メートルのところで雪溜まりにタイヤを取られ横転。身体の小さい下の子が這い出して泣き叫ぶ声を家に残ったシェリルが気づき、外に出たところで足を滑らせて転倒したのだった。咄嗟にかばったのと積もった雪がクッションになり、幸い腹部は直接打たなかったのだが、ショックで破水してしまったのだと言う。
 マイケルと上の子は何とか車から出られたが、どちらもケガをしているようだとリクヤは話した。
「ヘリ、呼んだ方が良くないか?」
「国道で玉突き事故が起きてて、911は手一杯だ。よほどのことじゃないかぎり無理だろう。さっきマイケルから電話があったけど、ケガは大したことなさそうだった」
「シェリルはどうなんだ?」
「陣痛が三分置きに来ているらしい」
「それってヤバクないか?」
 ヤバイと言うのは、自分達が着く前に生まれてしまうかも知れないと言うことだ。
 積雪による悪路と降雪による視界の悪さで、車は思うようにスピードを出せないでいる。この調子だと、バートン家まで早くても三十分はかかるだろう。
「三分間隔になって、どれくらい経つんだ?」
 リクヤは首を振る。
「わからん。シェリルは電話に出られないようだったし、最初に電話してきたのはボビーで要領を得なかった」
 五才になる下の子のボビーは、事故と母親の状態とで半ばパニックを起こしていた。マイケルがようやく車から抜け出し、クリニックに連絡してきたのは更にその二十分後で、それから今に至るまで十五分、間に911への通報も含んでいるから、一時間以上経過しているのではとリクヤは言った。
「そうか。子宮孔次第だけど、初産じゃない分、計れないな」
 積もらない雪ではあるが、風で舞いワイパーを使っていても視界を奪う。まっすぐ走っているつもりでも、足の下でタイヤが不安定に動くのを感じた。ラジオは記録的な降雪で引き起こされる事故を伝え、注意を促している。気をつけなければと思った矢先、車が急に重くなり進まなくなった。アクセルをふかすがエンジン音が大きくなるばかりだ。
「どうした?」
「タイヤを取られた」
 バックは出来たのですぐに立て直して進みだしたが、しばらく行くとまたタイヤを取られた。それが繰り返されるものだから、ますます遅くなる。運転を諦めて乗り捨てられた車両が道幅を狭くしていることも、走行を困難にしている要因だった。自然現象の前では、つくづく人間は無力だと思い知らされる。
「歩いて行った方が早い気がする」
 無人で停まっている車を横目に、リクヤが呟いた。
「よした方がいい。視界がこれだけ利かない中に出たら、遭難するぞ」
「冗談さ」
――本気でやりかねないから言ってるんだよ。
 リクヤは患者に対して、彼自身が思う以上に真摯だった。マクレインでの救急車への乗車シフトの時には、火が燻っていようが、漏れたガスが残っていようが、待機指示を無視して患者の搬送に飛び出して行った。
 あの頃はまだまだ若く反射神経も現役だったが、リクヤも今日で五十五才になるのだ。外見上は確かに若く見える。心臓にケチがついたジェフリーと違って健康そのものだが、「本当に若い頃」とは、いざと言う時に差が出るに違いなかった。
「なんだ、その恐い顔は?」
 知らず知らずジェフリーの眉間に皺でも寄っていたのか、リクヤが言った。
「思い出したんだよ、君がワーカーホリックで、意外と使命感に燃えるタイプだったってことをね」
「大げさな。ここはそんなに忙しくないだろう? 事件や事故がそう頻繁にあるわけじゃなし」
「どうだか。この前だって溺れた子を助けに飛び込もうとするし」
「目の前で溺れていたら、誰だって助けに行くさ」
「父親がすぐ近くにいたじゃないか」
 それは一週間ほど前の休日にアシェンナ湖へ釣りに行った時のことだ。小春日和で暖かく、他にも子供連れが数組、釣りやバーベキューを楽しんでいた。二人が釣り糸を垂れていたところから遠くない水際で、魚が跳ねるのとは明らかに違う水音が聞こえたので目をやると、小さな手のひらがもがきながら沈んで行くではないか。周りに大人の姿がなく、一緒に遊んでいた子供が大人に知らせに走って行くのが見えた。
 ジェフリーが持っていた釣竿を放り出した時には、隣にいたはずのリクヤの姿は駆けて小さくなっていた。間もなく現れた子供の父親が助けたのだが、彼が一瞬遅れていたならリクヤが飛び込んでいたに違いない。
 暖かい日とは言え、初秋のアシェンナ湖の水温はかなり冷たく、ショックと水を飲んで子供はぐったりと意識を失くしていた。リクヤの適切な処置ですぐに意識は戻り、泣き声を上げた。手際は往年の彼を彷彿させ、ジェフリーは関心した。
「三年も無駄に過ごしたから、仕事するのが楽しいんだろう?」
「うるさいよ」
 リクヤはふいと横を向き、胸元から携帯電話を取り出す。
作品名:So Wonderful Day 作家名:紙森けい