すりばち公園
けれどもカラスはスズメとは仲良しである。カラスの居るところにスズメは安心して寄ってくる。幼いころ、まだ小学生だった、近所の同い年のH君と山に遊びに行き、カラスの卵を取った思い出がある。H君は僕と違って運動能力があり、高い松ノ木の天辺にある巣を一人よじ登って、卵を取って来てしまったのだ。それは宝石のようなきれいな卵だった。
(九)
夢を追い求める生活に現実はない。常に方向のある、前向きな生活だが、ひとたび夢が崩れると、猛烈な孤独感が押し寄せてくる。とても生きていられないほどの心境になる。至上主義者の陥りやすい落とし穴だ。
そんな体験を、かって経験したことがある。あのときの孤独感を忘れない。人は夢を持つのもいいが、ほどほどにしておかなければならない。
市場経済とはまさにこんな世界だ。しかも、いつの間にか、自分の意思とは関係なく、そういう世界に入り込んでしまうのだ。
そこに入ったら最後、身動きできなくなって、いつの間にか生か死かという問題に立たされてしまう。怖い世界である。大きな利益と、大きなリスクが共存しているからである。
しかも夢のように実態のない、現物を対象としないお金だけの世界である。これはソフト経済の特徴だが、実は芸術の世界もこれに似ている。自殺した天才芸術家は大勢いるが、株の世界でも生死をさ迷う事件は多い。
・・・努力とそれに見合う成果を追求するのはいいが、市場経済で問題なのは、自分の意思とは関係なく、どんどん深みにはまっていくのである。これは大きな問題である。
だからこそ人為的な市場への操作は禁止されていると思うが、神聖な場であっても、世界を救うためには最小限の範囲で、手を加えなければならないときもある。しかしそれによって、多くの罪の無い人も傷つくのである。
この危険極まわりもない市場経済は、強い規制が必要ではないか。大きな収益を狙って、自分が滅んでも仕方がない。よく考えなくてはならないことだ。
おぼれたものは藁でもつかむ。弱い人間が陥りやすい世界だ。
実のところ、株をやって、得しただろうか。むしろ大切なものを失い、どうにもならない状況に追い込まれている。
後悔はなはだしいが今の心境である。
しかしそうと言っておれず、今の仕事を続けていくだけである。
思えばずっと昔から、いろいろなことがあった。いい時はほとんど無かった。苦労の連続である。しかも、多くのものを失い、元に戻れないようになっている。株は、能力の無い自分にはちょっと重すぎた。
そして、途中から止められないことも確かだ。このまま続けて行くしか仕様がない。
(十)
いずれにしても、自分に未来があるのか、仮説を立てたもののクラスメイトと同じ運命にあるのか分らない。
9月24日月曜日、この日もやはり公園で日記をつけていた。朝から、公園の周囲に建設会社の作業者が止まり、自分の目の前ですり鉢の土手の苅込が始まった。機械で一周すると見事に芝生は刈られていく。それを見ながらの作文だったが、この作業は次第に大きくなり、ハンドルで雑草刈りをする作業員も次々と現れ、公園全体に広がって行った。
仕方がないので、この日は途中でやめ、スポーツクラブでの待ち時間が長かったのを覚えている。翌日、やはりまた書き物をしに公園に行ってみると、見事に刈られ、見違えるような光景となった。長髪の頭部をバリカンで坊主にしたようなものだ。どこもかしこも一変し、それは見事な変わりようだった。
その変化を楽しんだのは自分ばかりではない。スズメもセキレイも一杯やってきて、にぎやかな公園となった。
餌を探すもの、すり鉢の窪みに下りるもの、休憩所の屋根の下た近くまでやってきた。やはりセキレイは勇敢である。自分を恐れない。テーブルからその愛らしい姿が、じっくりと見えた。
しかし、初初しい光景を前にしても、自分の心は弾んでいなかった。この小鳥たちを前にして彼らの人生を考えていた。「小鳥たちは寿命が来るとどこへ行くのだろう」。今までに、彼らの老いた死骸を見たことは無かった。どこか特定の場所があるのだろうか、と思った。
家に帰って、パソコンで調べても、ハッキリと書かれていなかった。餌が自分でとれなくなると、小鳥たちは自ら捕食される動物に見つかる場所に行って、最後を終えるようである。あくまで想像であるが。
ああ、それでカラスとスズメは仲良しなんだと思った。
(十一)
死神と共存する社会を持つスズメは、人間の遠い社会の姿ではないだろうか。人類の未来も決して明るいものではない。企業も、金融を頼りにするいうことは、すでに末期症状である。
工業社会のあと金融社会が来るというけれど、それはあくまで幻想であり、その前に規制で身動きできない世界になっている。
日本も、誰もが認める斜陽国家である。世界の中心は中国と朝鮮の時代がすぐ来るのだ。
そういう中で、現在の半導体コンピューターの次に来る、次世代の量子コンピューターの開発が続けられている。世界の言葉の壁が、翻訳技術の発達で取り払われ、都市の時代へと進んで行く。
持ち株は相変わらず地の底を這うような動きだった。ひとたび売らられば、株価によって潰されるただならぬ状況だった。
あれから1ヶ月、季節は大きく変わり、秋の様相を深めてきた。着ている服装も半袖から長袖、そして冬物の、毛の入った長袖に変わった。スクーターの関係もある。服装ばかりではない、空も、水のない池から吹いてくる風も涼しいとは感ぜられなくなった。秋の草は先日見事に刈ってしまったが、公園に漂う空気は確かに秋の雰囲気だった。
そういう中、公園のトイレが激しく壊された。休憩所には焼肉をやったあとだろう、肉片と金網、そして地がこげたあとが二つあった。地元の中年のおじさんに聞くと、若者ではないかと言う。注意すると『殺されるから』黙って見ておいたほうがいい、と言う。
(十二)
製造業がどんどん海外に出て、金融に頼るのはわかるが、主役がいつの間にかサービス業に交代しつつあるのか、コンビニの株価の高さには驚く。
ハイテクの代表選手だったNECで大失敗し、本当に株をやっていい時は一度もなかった。おまけに家族も持てず、この世に生まれてきた意味さえ判らない。市場経済の怖さを知った。
しかしクラスメイトのことを思えば、まだ自分の方がいい。結婚しなくて良かった。自殺して人生を終わるなんて惨めだ。
・・・そういう中、持ち株はまた下げ始めた。どこまで下げるのだろう。いよいよ覚悟しなければならないのか。
こんなにつらい金融産業なら、まだ欲を出さずに普通の方がましだ。豊かな生活とは何だ。海外に出て、金持ちと見られていた喜びが、この苦労の賜物だろうか。なんにせよ、大切なものをすべて失い、これではクラスメイトの方が目的を達した人生だったかもしれない。彼の子供はみな優秀だそうで、教師の傍ら体育館で子供たちに剣道を教えているそうだ。
本当は株を早くやめて、小説に打ち込むべきだったかもしれない。
(十三)
工業社会のあと金融社会が、そのため金融産業を育成しなければ、・・・・。