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すりばち公園

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 セキレイはこの公園にはよく来る小鳥で、隣りの水のない池には、いつも見受けられた。やはりくるくると動き回り、餌を探しながら水たまりに入ると、思い出したように水浴をやっている。強い足を持った鳥である。
 しかしこの時は、そう長くは居なかった。すぐに飛び立って、大きな波を作るような飛び方で、東の方へ消えて行った。
 自分は、筆が進まないので、休憩所から出て、クレーターの芝生の土手に登り、視線が少し高くなったところで、一周してみることにした。
 ボリュームのあるこの土手は、歩いていても安定したものがあった。底は、クレーターよりもすり鉢に近く、円形のコンクリトが張られ、水抜きがあった。
 歩くにつれて、景色がどんどん変わり、また違った公園の姿が見えた。
 しかし陽射しは直射日光で強く、涼しくはなかった。いつの間にか、時間も大きく過ぎて、スクーターの座席の中にある腕時計を見たとき、10時を15分ほど回っていた。すぐにスポーツクラブに向かった。

   (五)

 このころ、自分には大きな焦りがあった。いっこうに訪れない株の売却タイミングが、徐々に自分の気持ちを暗くした。追い詰められ、大切なものを次々と失っていく。もう自分は、どうしようもないところまで来ている。自分は敗北者になった。惰性で生きているようなものだった。
 そういう中、部落のクラスメイトの死が、心不全でなく自殺だと知らされた。また、このころ金融大臣も自殺している。クラスメイトの彼は不動産業をやっていて、事業に行き詰まり、大きな借金を残して死んだ。市場経済の厳しさにやられたと思った。原因はよく分らないが、自分も同じ課題を持っており、人事ではないように思った。
 そして、年齢も深まり、お金とかそういうものの価値自体が怪しくなってきた。それが、内奥で、自分を追い詰める。見かけは、気楽な人生を送っているように見えても、敗北感は消すことが出来なくなっていた。
 今日も、昨日に続いて公園にやってきた。公園のおばさんの自転車が、いつも自分が止める場所にあったので、スクーターを押して休憩所の柱の近くに持ってきた。そしてヘルメットを脱ぎ、座席の下に入れると、自動車用のカラ拭き布を出し、自分の座る場所を拭いた。そのとき、背後の生垣の下の、狭苦しいところにキジバトが二羽休んでいるのが見受けられた。一匹は、羽を広げ、陽に干していた。

   (六)

 自分はキジバトには気づかないフリをして、いつもの長いすに腰掛けた。そしてリュックを隣の椅子に置き、中から手帳を出して、コンビニで書いた続きを書き始める。この日も天気がよく、そして暑かった。ただ屋根があって日陰だし、水のない池の方からやはり涼しい風が吹いてくる。
 文章を書いているときは無心になって何も思い出さないが、それでも背後のすぐ近くの生垣の下にキジバトのツガイがいることは気になった。木造の柵と、池の鉄柵の交差した辺ぴな所に、どうしているのだろうかと思った。
 何度も振り向いたので、一匹が木造の柵に上がった。しかしもう一匹は、いまだに羽を広げ、変な姿勢で陽に干している。
 自分は出来るだけそおっとしておこうと思って注意したが、やはり気になる。キジバトは美しい鳥である。我が家の庭にも毎日のように来て、椿や五葉松にとまっている。巣もよく作り、卵の白いカラが落ちている。しかし雛が育つことは、少ししかない。キジバトの泣き声は、今でさえカーテンの向こうで聞こえている。時々餌をやると、「もっと、くれ」という態度で、家の中の自分を見つめている。愛しい鳥だ。
 涼しい風がまた吹いてきた。公園のクレータのようなすり鉢の丘は、芝生で覆われているが、秋の草も見え始めた。ハギの次にあの桔梗の青い色も見える。日向に出れば、まだ本当に暑い夏だが、季節は人の知らぬ間に変化しているのだ。
 作文は絶不調の株の中でも、少しはよく書けたと思う。こういうとき、充実感がみなぎってくる。
 しかし、それも乾いたもので、しらけた気持ちは隠せない。
 キジバトは、いつの間にか2匹とも木造の柵に上がり、そのあとすぐに工場のあるほうに飛び立って行った。それから自分も公園をあとにした。

   (七)

 ちょうどいまから400年前、元和九年わが部落で一人の武士が悲劇的な最起を終えた。結婚して子供がまだ1歳にも満たない矢先、百姓一揆の用心棒として狩り出され、多勢の百姓を相手に一人で戦い、殺されたのだ。この武士、大坂夏の陣で負け戦となり、落ち武者としてわが部落にやってきた。一方、時を同じくして江戸から広島に鞍替えする武士が、生まれ故郷のわが部落に半年間立ち寄っていた。この武士は江戸時代の代表的詩人で、徳川家康とセットで出てきた芸術家であった。またこの武士も、大坂夏の陣で挫折し、武士を捨て筆で生きる道を決意していた。しかし婚期を逸して生涯独身を通した者である。
 大坂夏の陣からちょうど10年、家康の『戦国の世を終わらす政策』が、末端の事件としてわが部落に起きたのだ。
 この二人の武士の明暗を分けたのは、結婚か独身かという問題である。400年も過ぎた現代でも、生死の分かれ目として左右している。クラスメイトは、金ころがし経済の中にあって、家族を持つことがいかに市場経済では負け戦になることを痛感したのではないか。生前クラスメイトと最後に出会ったのは、郵貯銀行へ株購入代金を振り込むATM機の前だった。
 そのとき、自分は彼にBの話をしたと思う。「Bでは女に困らない。Bからこの郵貯銀行の自分の口座から出せる時代になった。便利になったものだ」と話した記憶がある。そのとき彼の生気のない様相にびっくりした。市場経済ではどこまで耐えることが出来るか、がまん比べの世界である。自分はそのために乗用車からスクーターに換え、常日頃から経費節約に苦労している。それでも大切なものを次々と失って行くのだ。厳しい世界である。クラスメイトは、家族を持って、次々とお金が必要になる中で死ぬしかなかったと思う。

   (八)

 それから1週間後の9月10日、日曜日、相変わらずほとんど毎日この公園にやってくる。この日も、休憩所の、いつもの席で日記をつけていた。天気がよく、そして暑かった。やはり株のことを書いていたと思う。
 そのとき、普段は水のない池の反対側でよく見るカラスが、樫の木のそばの鉄柵に舞い降りた。降りたとき、くちばしを少し開いて、鋭いまなざしで周りを見回した。そして再び飛び立ち、トイレの近くで休んでいた、毛の抜けてやせこけた三毛猫のそばに降りた。両足をちょんちょんと3回はねて猫に近づいて行く。あれは確かに猫を獲物と見た行動である。
 カラスくらいの大きさになると、猫ですら油断できない。顔はどう猛で、爬虫類の表情である。まだ日本が風葬や鳥葬だった頃、カラスが大繁殖し、死肉をついばむ縁起の悪い鳥として、イメージを悪化させてしまった。
作品名:すりばち公園 作家名:杉浦時雄