移ろいの中で (1月9日 追加)
それからまた何日かして・・・
美術の時間・・・
「今から先日の写生の絵を返すぞ」と一枚づつ返していく
そうしていると一枚の絵をみんなの前に掲げ
「みんな、この絵を見てみろ!絵というのはこういう風に描くものだ!!」
「この絵には人物が無いのが残念だ、人物が書かれていると間違いなく特選だった」
「すばらしい」と力を込めて説明するではないか!!!
それが五重塔を描いた私の絵・・・だった
どこがいいのか今でも分からないままだが、思いきり表現したのが良かったのか?いい加減に写生大会を行い切羽詰って描くことがいいのか意味は分からず、その時も恥ずかしくて顔が上げられなかった。
どういうわけか美術に関してはそういった思い出がいくつかある。
彫塑の時間も似たようなもので、粘土で原型を作り、石膏で型を取るとそこへ石膏を流し込み抜く。今は授業時間も減り、思うような美術の時間も取れないようだが、私の時にはそんな授業があった。多くの同級生は型を取るのが面倒なのでグーにする。机を回りながらそれを見た教師は「みんな同じようなもの作らずに自分らしいの作らないのか」と一言言った。その言葉に触発された私は「よっし分かった!」と野茂のストレートの握り方宜しく作品を作った。それも自分の手の1.5倍はあるものを。後日みんな作品が批評と共に返されたが私の作品は返って来ず、後日美術部の手によって何人かの作品が合わさったモニュメントに作り上げられその中央部に自分の作品があり、それは学校の玄関ホールに長い間飾られたいた。
それを意識して描ければそれは才能かも知れないが無意識に描くからたまたま出来上がっただけ。隠れた才能といえば聞こえがいいが所詮は波長が合っただけのこと。
今思うと、無心に絵を描いた。そこには門の表現だけがあった・・・それが良かったのか。40年ほどたった今その話を母にするとその絵のことはやはり覚えていたから、よほどインパクトがあったのかもしれない。
先日県展の作品を何点か見たが私にはあまりいいとは感じられなかった
「この程度でいいのなら来年は自分も出してみよ」と考えた
イメージはもう出来ていて題名は「恋人」に決まっている。
街に佇み寄り添う恋人を表現しようと浮かんできた。
そう考えると意外と美術は得意だったのかもしれない。
作品名:移ろいの中で (1月9日 追加) 作家名:のすひろ