おちていく…
愛子は、浅く息を吐いた。
それは安堵のため息だった。
矢田の、細く笑んだ顔が現れたからだ。
「課長……?」
そう言って、愛子も小さく微笑んだ。
「どうしたんですか?もう、お帰りになったんだと…」
「あ…。そのつもりだったんだけど、忘れ物をしてしまってな」
そう言って矢田は、自分のデスクに置きっぱなしになっていた携帯を愛子に見せた。
「そうですか…」
「なんか、驚かせてしまったかな?」
「いえ…。あっ、でも、ちょっとだけ…」
愛子は、自分はいつからこんなに怖がりになったんだ?
と思ったら、つい恥ずかしくなって照れ笑いをした。
「残業、まだ掛かるのか?」
矢田が愛子のデスクに近寄り、パソコン画面を見る。
「あ…?あと、もう少しで終わります」
矢田を見ていた視線をパソコンに移し、愛子はまた作業を再開した。
「そうか…。なら、青山が終わるまで待っているかな」
矢田は窓際に行き、ブラインドを上げた。
明るすぎる夜景に照らされた、矢田のシルエット。
無造作に掌をポケットに突っ込み、外を眺める矢田の斜めになった背中を、
愛子は惹き付けられるように見入った。
「どうした、青山?手が止まってるぞ」
矢田は愛子の見つめる視線に気付き、窓に映るもう一人の愛子に言った。
「あ……。す、すいません……」
愛子はガラスに映る矢田と目が合い、慌てて目をそらした。
それでも愛子は、矢田の姿が気になった。
矢田の夜景を眺める姿。
そのシルエットが素敵で、愛子はまだ見ていたい、という衝動にかられた。
時々、矢田に気付かれないように視線をやっては、すぐさまパソコン画面に戻す、
という動作を繰り返していた。
矢田がそこに居るというだけで、愛子は仕事に集中出来なくなっていたのだ。