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おちていく…

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カンパ〜イ!


公園のベンチに座り、二人はまず最初に缶ビールで乾杯をした。



ん?

「何か、へんな感じだな…?これって、こんな感じなんだな〜」

矢田が、缶のラベルを見て呟いた。

「何が?」

愛子も矢田につられるように、ラベルを見た。

「いつも買ってるビールだけど、何かヘン?」

「いや…。そういうことじゃなくて…。何か、こんな人生を送るなんて夢にも思わなかったもんだから…」

缶を握り締め、矢田は一気にビールを飲み干した。


「イヤなら…止めてもいいのよ…?」

複雑な心境なのは、愛子も同じだった。


「バカな!何言ってんだ、今更…。もう、決めたことだし…」

矢田は、飲み干した缶を握り潰した。

「じゃぁ、今日は、飲んで忘れましょうよ?何もかも。そうして、明日から二人で始めればいいじゃない。ねぇ?そうでしょう?」

そう言って、はい、と、愛子は口を開けたビールを矢田に渡した。

矢田が早く酔うようにと、ビールを少し捨ててはその中に焼酎を注ぎ足していた。

いわゆる『バクダン』というカクテルを愛子は作ったのだ。

矢田は、そのビールをまた一気に飲み干した。

飲みやすかったのだろう。

そのあとも矢田は、休むことなく飲み続けていた。

酔いが回り始めて味が分からなくなったのだろうか、あらゆる酒を混ぜ合わせたものを渡しても何も言わず、

矢田は何かにとり憑かれたように酒を煽っていたのだから。




「課長…?課長?そろそろ帰りますよ〜」

時間は23時を回り、予定ではこの先の橋で矢田の妻が待っているはずだった。


課長…?


酔い潰れて半分寝ている状態の矢田を、愛子は脇を抱え足元が覚束無いながらも、妻の待つ橋へと急いだ。


「も〜う、課長〜。しっかり、歩いて下さいよ。ったく〜!重いんだから〜!」


公園から橋までたった数分で着くはずの道のりを、愛子はたっぷり時間を掛け、やっとの思いで辿り着いた。


矢田を欄干のソバに横たわらせ、愛子は息を整えるように何度も深呼吸をした。



こんなに大変な思いするなら、あんなに飲ませなきゃ良かった…。

と、愛子は少し後悔しつつ、呼吸を整えた。

愛子は、腑抜け状態の人間を運ぶということが、こんなにも大変なものだと身を持って知ったのだ。

すっかり酔い潰れている矢田は、時よりブツブツと口を動かしてはいたものの、夢心地状態だった。



「遅かったじゃない?待ちくたびれたわ」

暗闇から姿を現したのは、矢田の妻だった。

辺りは薄暗く、微かに灯る街灯があるだけ。

矢田の妻の姿は、はっきりとは分からなかった。

どんな顔をしているのか。

どんな表情をしているのかも。


「こちらこそ、いらっしゃらないのかと思いましたわ」

互いにはっきりと表情が分からないまま、声だけで会話をする。

まるで電話の続きのように……



「始めましょうか」

そう言ったのは愛子じゃない。

間違いなく、矢田の妻だった。

「分かりました…」

「ひと気が無い時間帯でも、誰が見ているか分からないわ。早くすませましょう?」

妻が酔い潰れた矢田を抱え上げ、立たせる。

「奥さん?内ポケットに辞表が…」

妻を助けるようにして、愛子も矢田を抱えた。

妻は内ポケットから封筒を取り出し、自分のポケットに素早くしまう。

矢田を二人がかりで抱えたはいいが、この先からは思うようにことが進まなかった。

余計な跡や争った跡を残さない為にも、矢田には自然に橋から落ちては貰わなければならない。

さて、どうしたものかと思っていたところに、矢田が急に動いた。


オェッ!

嗚咽をあげるように、矢田は欄干から身を乗り出し吐瀉物(としゃぶつ)を勢い良く川へ吐き出したのだ。


今よ!

どちらともなく、その言葉と同時に、矢田の足を持ち上げた。

二人の息が合った瞬間だった。

矢田が面白いように欄干から真っ逆さまに川へと落ちて消えていった。

真っ黒い川は怪しさだけを漂わせ、矢田が落ちたドボンッ!という音だけが虚しく響いていた。




「終わったわね」

妻が、冷静な声で呟いた。

暗闇の中、二人は声を頼りに見つめ合った。

「あとは…」

「分かってるわ。上手くやるから、心配しないでちょうだい。それより、あなたこそ気を付けてよね」

妻は愛子の言葉を遮るようにして、少し楽し気に言った。

「分かりました…」

微かに震える、愛子の声と指先。

なのに、妻はそんな素振りを見せることなく平気で言い放った。

愛子が仕掛けたハズの計画。

いわば実行犯だ。

けれど、今は妻が率先して愛子に指示を出している。

平気な顔で。

平気な声で。

平気な態度で―――。




「それじゃ、私は行くわね。あなたと会うことは…そうね、矢田の葬儀くらいかしら。じゃ、お元気で」

そして、何事も無かったかのように、妻は家路に向かっていった。

愛子は妻の足音が消えるまで、ただただそこに佇んでいた。




作品名:おちていく… 作家名:ミホ