おちていく…
「お帰りなさい…」
「ただいま」
午後8時。
矢田は必ず、この時間に愛子の部屋に現れる。
矢田は約束をしたことは、ちゃんと守る男だった。
数分の前後はあるものの、大幅に遅れることやドタキャンをすることは今までにないに等しい。
真面目な男。
そんな言葉を印象付ける、几帳面な性格だった。
「今日は、何時に帰って来た?」
矢田は上着を愛子に渡し、ネクタイを緩めながらソファーに座る。
「6時に家に着いた」
矢田から渡された上着をハンガーに掛け、愛子は冷蔵庫から缶ビールを取り出す。
「昨日は?」
愛子の背中を追いながら、矢田は次の質問をまた投げ掛ける。
『お帰りなさい』から始まり、『おやすみなさい』で終わる生活は、愛子の部屋の合鍵を持った日から今も変わらず続いている。
代わり映えのしない矢田の行動と会話。
『ただいま』のあとに必ず『今日は、何時に帰って来た?』『昨日は?』と次々に質問責めは続く。
一連の質問は、矢田がある程度納得するまで何度も繰り返される。
「そうか、分かった」
矢田の質問が終わる合図。
矢田の質問中は、一切余計なことを話せない。
まるで面接試験のようだ。
矢田は、愛子が数十分前に冷蔵庫から取り出したぬるくなった缶ビールの口を開け、
グラスに注ぎノドを潤すように一気に飲み干した。
付き合い始めは楽しくて、いつも笑っていたような気がする。
会話も、矢田の一方的な質問じゃなかった。
それがいつの間にか歯車は少しずつずれていき、もう前にも後にも戻れないところまできてしまったらしい。
身動きが出来ない雁字搦(かんじがら)めの躰は、もうご主人様には逆らえない躰となっていた。
絶対服従の関係だ。