Refresh
映画に出てくる、お金持ちの書斎のような厳かな雰囲気の部屋で、村田と岡野部長は裸になり、体を絡ませ合っていた。部屋の中央にはベッドが一つ。他には机と椅子や鏡、室内に簡易なバスルームも設置されてある。大リフレッシュルームに着いた二人は、最初にこのバスルームに入り、村田が岡野部長の背中を流した。岡野部長の裸体は、村田には脂身の塊にしか見えなかった。
壁にかけられている鹿の首の剥製。今どき、鹿の首だ。今日びの応接用リフレッシュルームは、どこの企業でもホテルのスイートルームのような内装になっているらしいが、ここのような古い企業の工場では未だにこんな仕様になっている。そもそも最近では、取引先企業の重役を「おもてなし」することさえ廃止する業界だって出て来始めているというのに、この会社は、若手のフレッシュな労働力を絞り取って、自社の重役に「おもてなし」するなんて、どこまで時代錯誤なのだろう。
村田は極めて事務的に、行為をこなしていった。岡野部長はベッドに入ってからずっと目をつむったままで、自分からは全く動かずにいる。予想していた程の苦痛は無かった。かなり気が進まなくて、少しの体力がいる仕事。なんだ、普段の仕事と同じじゃないか。そう割り切れば、特別に辛いことはなかった。
それよりも、千穂理のことだった。昨日、リフレッシュワーカー達のやつれた表情を見たことをきっかけに、より一層気にかかるようになっていた。彼女も今、自分のように、できることならお相手願いたくない人間の、相手をさせられているのだろう。自分の場合は、この一回を終えれば済む。しかし千穂理はそうはいかない。来る日も来る日も、同じことの繰り返しだ。そんな彼女は今、何を心の支えにして毎日を送っているのだろう。そんな彼女を思いながら、自分は何をやっているのだろう――。
村田はふと、重大なことに気付いた。自分は、さっきからずっと、全く勃起していない。千穂理のことばかり考えながら、機械的に行為をこなしていたせいで、自身のペニスが萎れっぱなしなことに全く気付かなかった。数時間前にちゃんと、バイアグラも飲んだのに。こんなことは初めてだった。やはり昨夜の2時間連続リフレッシュは、さすがにまずかっただろうか。村田は焦った。「おもてなし」で勃起しないなどということは、特にこの会社のような古い企業では、大変無礼なこととして扱われる。慌てて、先日の横井とのリフレッシュや、昨日の女子高生とのリフレッシュの記憶を思い出してみたが、ペニスは反応しなかった。しかたなく、岡野部長の豊満過ぎる肉体を丹念に愛撫しながら時間を稼ぐ。過去の印象的だったリフレッシュの記憶を辿り、ペニスは、少しだけ膨張したかと思うと、またすぐに縮小を始める。焦れば焦るほど、泥沼にはまる。
「イチモツ、立たぬのは…」
ベッドで体を合わせ始めてからずっと、無言でされるがままの状態だった岡野部長が、突然、村田の耳元で囁いた。村田の体がビクッと震える。ペニスは完全に萎れていた。
「イチモツ、立たぬのは、胸にイチモツあるからでしょう」
一瞬の間が空いて、おほほほほほほほほほほほほという岡野部長のモノノケめいた笑い声が、部屋の中にとどろいた。村田はただ、呆気にとられていた。
「部屋に入ってからずっと、あんた、心ここにあらずな感じだったわよ。自分のちんちんがフニャフニャなことに、さっきまで気付かなかったでしょ。50年生きてる女の観察眼を舐めちゃだめよ。舐めるんなら、おっぱいを舐めてちょうだいね」
おほほほほほほほほほほほほという笑い声がまた続いた。村田は、自身の内面を悟られていたことに気付いて恥ずかしくなり、「す、すいません」とうつむきながら言った。
「ねぇねぇ、あんたが抱えてる悩み、あたしに話してみなさいよ」
「え、あ、はい?」
「今日はおもてなしに1時間半も用意してもらってるけど、あんたが萎えっ放しじゃ、残りの時間をもて余しちゃうじゃない。もしあたしに申し訳なく思ってるんなら、せめてあたしを楽しませてくれてもいいんじゃないかしら? おほほほほほほ」
「た、楽しませるって…。しかしちょっと、あまりにも個人的な悩み過ぎて、岡野部長に話せるようなものでは…」
「なによ、一人で悶々としてないで話してみなさい。おばさんが聞いてあげるから。悶々とするのなら、私の体を見て悶々としてよね。おほほほほほほ」
断り切れない状況になってしまった。確かに、ここで岡野部長に悩みを打ち明けることによって、おもてなしで勃起失敗という大失態を見逃してもらえるのだとしたら、安いものかもしれない。村田はもう半分やけになり、話す覚悟を決めた。
「実は最近、5年付き合っていた彼女と別れまして…」
「おほほほほほほほほほほほほ」
村田は全てを話した。別れを告げられた日の会話、そこに至るまでの二人の関係、仕事と人生に対して自分が抱えている悩み、彼女への罪悪感。頭を埋め尽くしていた様々な事柄を、初めて言葉の形でアウトプットした。岡野部長は、所々でうなずいたり、微笑んだりしながら、孫の話を聞くおばあさんのように、村田の話を聞いていた。岡野部長の優しい態度に安心し、村田は、途切れ途切れになりながらも、ふさわしい言葉を大切に選びながら、ゆっくりと話をした。
話を終えた村田は、少し涙ぐんでいた。岡野部長は、村田が第一印象で感じた老獪さからは考えられないほど優しい表情で頬笑み、そこで初めてゆっくりと口を開いた。
「話してくれてありがとう。あなたはさぞかし、毎日悩んで、苦しんでいることでしょう。半世紀以上生きている人間として、私からあなたに提言したいことが3つあります。でも、あたしは、自分の言っていることが絶対正しいのだと、あなたに押し付ける気は全くありません。道端で拾った参考だという程度に考えて、あたしの話を聞いておいてちょうだい」
村田は震える声で「はい」と言った。