Refresh
「今回の悪化の原因は、つまりそもそもの目標予算に無理があったことだと、君達はそう言っているわけだね」
ふかふかの椅子にどっかり腰を下ろした園山工場長が、淡々とした口調で言う。デスクを挟んで、村田と小池が園山に向かい、緊張した面持ちで立っている。工場長室に置かれている備品は、机もデスクもパソコンも、経理部フロアのものより3ランクほど上の品だ。極めつけは女性秘書の存在である。ふんぞり返る園山の傍には女性秘書がひざまずき、彼のズボンのチャックから飛び出したペニスをしごいている。
「そういうことになります」
村田はおそるおそる言う。
「コストの予算は製作部が計画するものだが、それを承認したのは経理部だったよな」
「わ、私たちもかなり無理のある予算だとは思っていたのですが、材料費の削減や作業効率改善によって、コスト低減を実現すると製作部に散々説得されまして…」
かなり動揺した口調で課長が答えた。気分屋の殿様に怯えながら仕える家臣みたいだ。
「そこに客観的立場から論理的指摘を加えるのが経理部の役目じゃないのかね。製作部の言うことをほいほい真に受けるだけなら、君達の存在意義は一体何なんだ」
園山が目を見開き、少し語調を強めた。同じタイミングで、女性秘書は手の動きを止め、今度はペニスを口にくわえ始めた。半年程前にここへ呼ばれた時は、別の女性秘書が同じように園山への奉仕をしていた。おそらく、園山が前の秘書に飽きて、新しく雇い直したのだろう。秘書は流動性が高い仕事だ。
「すみません、製作部との対話が不足していました。来期以降は納得行くまで予算額を追求するよう尽力致します。申し訳ありませんでした」
言い終えて、村田は頭を下げた。課長もそれに続く。2年半の会社生活を通して、どんな場面でも謝罪の言葉がスムーズに出てくるようになった。親方日の丸主義のこの会社では、目上の人に怒られた時に、弁明より何よりもまず、丁寧な言葉で謝罪できる力が必要不可欠だ。
息詰まるような時間が終わり、村田達は工場長室を出た。小池は顔中に汗をかいている。この会社はメーカーなので、経理部などの事務系部門より、実際に物作りを行っている製作部の立場が強い。その製作部のお偉いさん達に、若手のうちから製造コストについてあれこれ口出ししなければならないことが、経理部の大変な所だ。
食堂で昼食を済ませ、午後からは黙々とデスクワークをこなした。途中、リフレッシュルームに行こうかと思ったが、明日は岡野部長の「おもてなし」をしなければいけなかったことを思い出し、やめた。少しでも精力を温存しておいた方がいい。
○
久しぶりに、定時に会社を出た。周囲の同僚はまだ忙しそうに働いていだが、村田が明日「おもてなし」の役目を担っていることを慮って、小池が早く帰るように促してくれた。
駅までの道のりを歩く。「兄ちゃん、俺と一発どうだい?」と絡んできたパンチパーマの中年男を、足早に振り切った。
道中にある市役所の前を通ったとき、中から、疲れた表情の若い男女が、連れだって出てくるのが見えた。彼らはおそらく公務員のリフレッシュワーカーだ。世の中には、高齢であることや、身体的・精神的に障害を抱えていることへのコンプレックスから、一般のリフレッシュルームに入ることへ、抵抗を感じている人達がいる。そんな人達のために、「どんな方でも気兼ねなくお訪ねください」というコンセプトの下、役所の中に設けられたリフレッシュルームで、若手公務員が地元住民のリフレッシュ相手をするという制度が、最近になって様々な地方で導入されている。社会人になって1、2年目の公務員の男女が、決して高くない若手向の給料で、朝から晩まで老人や浮浪者など相手に体力奉仕をしなければならない、過酷な仕事である。リフレッシュワーカー用にパートでも雇えばいいのに、と村田は思うのだが、頭の固い役人のおじさん達は、「若手公務員は積極的に地元住民と交流すべき」という考えに固執しているらしい。浮浪者達のリフレッシュ相手をすることが、果たして「地元住民との交流」と言えるのか、村田には甚だ疑問だった。制度が導入され始めて以降、公務員試験の受験者数は急激に下がったそうだ。
村田と別れた富永千穂理の、現在の仕事というのが、このリフレッシュワーカーである。彼女は地元の市役所に勤めて、今年で3年目だ。通常なら、3年目にもなると別の仕事に移れるものだが、去年入ってきた新人が寿退社をしてしまい、穴埋めのため未だに現場へ駆り出されている。体力的にも精神的にも辛いこの仕事を、2年半も続けていることになるのだ。
「俺、もうやめてぇよ。朝、昼、夕方と、毎日三回やってきては、色々無茶なこと要求してくる婆さんがいるんだ。さすがに精力が持たねえって。ほんとに最近、毎日バイアグラ漬けだよ」
「私もやめたい。篠山先輩とか、また生理申請して、デスクワークの方に入ってるんだよ。絶対虚偽申告だよね」
リフレッシュワーカーたちの悲痛な会話が聞こえてくる。村田はまた千穂理のことを思い出した。千穂理も今頃、ここから市を二つほど隔てた彼女の地元で、同じように疲れた表情を浮かべながら、帰路に着いているのだろうか。千穂理が気丈に振る舞っていたのは、きっと、仕事の愚痴を遠慮なく彼女にぶつけていた自分に、少しでも元気を与えたかったからだろう。もっと、千穂理の心の傷みにも、触れてあげればよかった。普段は元気を装いながらも、彼女は心のどこかで、いざ本当に辛くなったら、自分に全てをぶつけて甘えようと、そう思っていたかもしれない。それを心の支えにしていたのかもしれない。彼女は今、その最後の砦も失った状態で、辛い毎日と向き合っているのだろうか。心に神経が通っているかのように、村田の胸がじわりと痛む。しかし、それだけ千穂理のことを思っても、自分にはまだ、人生の覚悟を決められる気がしない。守るものを背負って、仕事人生を歩んでいける気がしない。本当に、なんという愚か者なのだろう。
村田は歩みの速度を上げた。目的地変更である。目指すは駅の向こう側にある大型ショッピングセンターだ。こんな気持ちを紛らわせられる場所は、あそこしかない。
「ハッピータウン」というセンスの欠片もない名前の看板を掲げた、6階建てのショッピングセンターに着いた。中に入り、階段で地下2階に向かう。階段を下り切ると、そこには、「Free Refresh Room」と書かれた扉があった。村田は一呼吸置いてから、その扉を開く。
扉の中では、合わせて20人以上の男女が、裸になり、思い思いに体を絡ませ合っていた。備え付けの大型ベッドが2台設置されているが、みんな無我夢中のため、大部分が床の上で行為を行っている。いくつもの肌色の肉塊が芋虫の群れみたいに蠢いて、一部の者はヒステリックな声を上げながら、本能的快感に酔いしれていた。この光景はいつも、人間が所詮ただの動物であることを、村田に思い知らせてくれる。
村田は荷物を投げ出し、服を脱いで全裸になって、肌色の群れの中に駆け込んでいく。もう、何もかも、どうでもいい。どうにでもなればいい。尊い快楽よ、我を飲み込み、全てを忘れさせてくれ――。