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花狂い京女

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 垂れ桜は五分咲きでこんなに艶やかだから、満開はそれこそ緋色の滝がほとばしるようであろう。控えめな染井吉野が生娘なら、艶やかな垂れ桜は脂の乗った三十女と言うべきか?一見染井吉野を思わせる女は、妖艶な垂れ桜に豹変するのだろうか。
 楼花を見やりながら、宮司はめとった女の美しさを語った。
 「五十を超えると、つくづく女を美しいと思うんですわ。若い頃はやりたいばっかりで、美しゅうを思う余裕がなかったんやが、この年になると女の美しさがよう分かるんですわ。」
 「女は花やといいますやろ。花は生命をかけて美しゅうなろうとする。美しゅうなることで虫が群がり、虫の運ぶ花粉で受粉する。そやから花は精一杯美しゅうなろうとする。」
 「女も同じですねん。若い女はそれだけで美しいんだす。男を誘うように出来てるんです。自覚するせんにかかわらず、若い女は色香を一杯放つ。映えるちゅうか、匂い立つちゅうか、男が群がるように出来てるんですわ。」
 「そこで相談やが・・」と宮司の目が光った。いよいよ本題である。
 「お宅はカメラマンでっしゃろ。家内の身体を撮って欲しいんですわ。」
 「家内は三十で今が女の旬、ピークですねん。綺麗なうちに記録しときたいんですわ。」
 Kは怪訝に思って尋ねた。
 「奥さんの身体を撮るって・・ヌードですか?」
 「実は・・」と宮司は立ち上がり、書院棚からアルバムを取り出した。
 開くと現像の悪い写真が並んでいる。どれも女のヌード写真で、ポーズや構図は悪くないのだが、ポロライのせいだろう、色が飛んで薄汚れている。安っぽいエロ写真めいて見えた。
 「現像がひどいんですわ。お宅らに頼めばもっと綺麗に仕上がる。わしは私家版で家内のヌードを残したいんだす。」
 突然声が低くなった。
 「・・そやけど、家内は他人様に裸を見せるのが嫌や言うんですわ。」
 気を取り直したように宮司がKを見据えた。
 「こないだ、K君やったらとどうや言うと、何や躊躇(ちゆうちよ)したんですわ。・・お宅ならきっとOKする、そんな気がしたんだす。」
 「そやからOK出たら、ぜひ撮影を頼んます。」
 宮司は深々と頭を下げた。思案していると語気を強めた。
 「家内の美しさはわしが一番よう知ってます。お宅はわしの言うとおりにシャッターを押してくれたらええんだす。」、「・・勝手な願いやから謝礼は弾みます。後生やからおたの申します。」
 今度は手を合わせて懇願した。Kはヌード撮影に自信がなかったが、あの清楚な京女の裸身を拝めるのならと承諾した。
しかし、あの上品な女がヌードになるだろうか?・・半信半疑であった。



 不定愁訴と言うのであろうか。
 花の季節になると、女は微熱が出て心身が不安定になった。身体が宙に浮いた感じで、訳もなく気持ちが昂ぶったり、涙が出たりする。明日はいよいよ撮影という夜、女は眠れなかった。浅黒いKの眼差しがパリで暮らしたハッサンに似ている。取材に訪れた時、彼を直視出来なかった。若いKに三十路の裸身をさらすのが辛い。寝室を抜けだした女は浴室の鏡の前に立った。
 闇の中に白い裸体がボンヤリ浮かんでいる。こんな風に自分を見つめるのはいつからだろう。女は自分の裸体をしげしげと見つめた。
 一見では分からないが、手術をした左乳房が不自然である。シリコンを入れたせいか張り気味でかすかに手術跡も見える。身体の線は崩れていないが、女を誇示する部分、乳房や腹部に脂肉が付いている。二十代の張りと輝きが消えて、三十路の脂肪と色香が滲み出ている。宮司が言うように、脂の乗った今が女の旬かもしれない。
 うっすら肉の巻いた腰回りに手をやった。柔らかな腹部は生命を育む神聖な場所で、かすかに妊娠線が走っている。ハッサンの子を宿した痕跡である。
 ハッサンはフランス籍のモロッコ人で外語学院で知り合った。当時、女は実家が倒産し大学を辞めて新地でホステスをしていた。両親の離婚のゴタゴタが続き、日本に未練はなかったから、彼がパリに戻る時躊躇(ちゆうちよ)無く付いていった。
 パリの暮らしはハッサンが全てであったが、彼の子を死産させてしまい、アダルトチルドレンというのであろうか、罵詈雑言を吐くようになった。やがて男は黙って出て行き、パニックになった女は必死で捜したが、モロッコに帰ったと言う噂であった。それから5年余り、女はパリの日本人クラブで働いていたが、乳癌の影があると言われ突然帰国したのである。
 帰国してむかったのは父の墓のある京都であった。
 離婚した父の野辺送りをしてくれたのは実家の伯父さんだったから、不義理を詫びねばならなかった。伯父さんは幼い頃の女をよく覚えていて、我が子のように心配してくれた。伯母さんも優しい人で、「うちは娘がおらんさかい、困ったことがあったら何でも相談しいや」と言ってくれた。行く当てのなかった女は二人の慈愛が身に染み、好意に甘えてそのまま京都に住むことになった。幸い乳癌は大事に至らず、宮川の料亭で働くようになったのである。

 緑豊かな山並みに囲まれた京都は明治まで天皇の在所であったから、日本の最良の物産と職人が集められ、千年の歳月をかけて生活文化を磨いてきた。京都には日本の生活文化のエッセンスが、衣食住であれ、儀式や行事であれ、有形無形の生活文化が芸術に高められている。それは庶民の生活や作法に浸透し、季節に応じて暮らしを演出する京都人の奥行きは深い。
 女は根無し草だったから、無意識のうちに生きる形を求めていたのかもしれない。京都の人々の暮らし方、生活作法に強く惹かれた。裏通りの町家に住み、着物姿で地蔵に手を合わせて出勤する女は、誰もが振り返る粋な京女であった。
 宮司はそんな垢抜けた京女ぶりを見染め、足繁く料亭に通うようになった。余りの熱心さに女はデートに応じたが、さすが由緒ある神社の十七代目である。京の来歴や行事に詳しく、暮らしの作法に明るかった。京に嵌りつつあった女は宮司の講釈を楽しみにし、それを彼は好意があると勘違いした。
 ある時、宮司は「過去は問わない。年齢差があるがぜひ後妻に入って欲しい」とプロポーズした。父親のような宮司の申し出に一瞬吹きだしそうになったが、女は待てよと思い「考えさせて欲しい」と応えた。
 女は三十路に入りバツイチで流産し乳癌の手術もしている。今は料亭の仕事で何とか暮らしているが、これから先独りで生きていくのは心細い。先々のことを思うと独り荒れ野を彷徨うようで、気丈な女も時々眠れないことがあった。将来の保障と言うか、生活の安定が欲しかった。宮司の申し出はチャンスかもしれない。
 伯父さんに相談すると身を乗り出した。
 「あこは京でも由緒ある神社や、願っても無い話しや。貴女は色々あったから贅沢は言えん。清水(きよみず)の舞台から飛び降りるつもりで嫁いだらええねん。」
 伯母さんも「嫌やったら戻って来たらええんよ」と励ましてくれた。二人の暖かい言葉に押されて、女はプロホーズを有り難く受け入れたのである。
作品名:花狂い京女 作家名:カンノ